「俺、こんな大きい動物園来るの、はじめてっす」
あまり乗り気ではなかった椿だったが、すぐ目の前で堂々たる風格の猛獣たちを眺めていたら、なんだか昂ぶる心を抑え切れなくなってしまった。
「生態展示って言ってさ。なるべく自然のままに動物が過ごせるようにしてある。ほら、あの木陰で虎が骨つき肉にかぶりついてるでしょ」
饒舌な割に持田の表情は動物園に着いてからは、曇りがちに見えた。あれだけ軽口を叩いていたのに、(元の性格が性格とはいえ)楽しげな様子ひとつ見せやしない。
「……持田さん?」
ふいに椿が持田へ左手を伸ばすと、持田の右手がそれをぎゅっと握りしめた。痛むくらい強く力を込めて。
「見せたいものがあるから来てよ」
それっきり、持田は一言足りとも話そうとはしなかった。沈黙はある種の苦痛でもあった。嫌悪感はなかったが、持田が心のどこかにしまいこんだ痛みのようなものがひりひりと繋いだ手から伝わるような、そんな気がしたのだ。
不忍池まで辿り着くと、持田は黙りこくったまま、近くのふれあい動物園を指差した。子供がよく小動物や家畜を撫でているアレだ。
「こいつ、足びっこ引いてるだろ」
柵の中にいた一匹のヤギがずるずると後ろ脚を引きずっている。まだまだ若そうに見えるが、右脚がおかしな方向に曲がっていた。
「野生の動物だったら、長く生きられなかったろうな。立つこともできない動物は食われちまうから」
それから、持田は脚の曲がったヤギに干し草を一摘み咥えさせ、頭を撫でてやると、自分の右足をすっと摩った。
「痛むんですか」
――持田の右足には古傷があるのだと聞いた。靭帯を痛め、リハビリにもかなりの時間を要したと。
「や、足はそう痛まない。気持ちの問題かな。柄でもないけど、君を知ってから、俺は変わったと思う」
「変わったってなんなんすか?」
すると、久方ぶりに持田が口角を上げた。信じられないぐらい穏やかな笑みだ。
「好きだって言ってるでしょ」
「てっきり冗談かと……」
「ピッチの上の君も普段の君も全部俺のものにしたいの。まあ、椿君はそう簡単になびいてくれないからそこがいいんだけどさ」
すっと持田の両手が椿の背に回った。椿はただ大人しくそれを受け入れていた。この人は今、俺に心を開いてくれようとしている。そう思ったから。
「君には未来がある。その先を俺にも見せてよ」
(了)
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