普段、鳴らない携帯電話が流行りの歌と共に着信を知らせる。
椿がベッドの上に転がしていた携帯を拾うと、ディスプレイには知らない番号。
間違い電話か何かと思って、そのままにしておいたら、歌は止んだ。
が、しかし、間も空けずに携帯電話が歌いだす。
なんだろう。まさか、オレオレ詐欺だったりして……。
何事にもビビり癖のついてしまった椿は恐る恐る見知らぬ番号からの着信を受けた。

「……もしもし」
「えーと、椿君?椿君だよね?この携帯」

聞き覚えのある、少し掠れた声。……確か、いや、間違いない、持田さんだ。

「持田さん!?なんで、俺の番号知ってるんですか?」
「俺のチームに三雲っていて、三雲にジーノから番号聞くように命令した」

よくは知らないが、三雲という人も不憫だなあ、と椿は心の中で同情した。

「とにかく、どうしたんですか。急に」
「いやさー、椿君に会いたくなっちゃって。実はETUのクラブハウスの近くにいるんだよね。だははは」

会いたい、ってどんなことを話そうと言うのだろう。
椿の脳裏にはまだ昨日のことのように、あの威圧感のある持田の眼光が焼きついている。
だが、近所に待たせているのに、断るというわけにもいかないだろう。

「すぐ行きますから。ちょっとだけ待ってて下さい!」

部屋着姿だった椿はハンガーに架かっていたジーンズとシャツとダウンジャケットをベッドに投げると、
大慌てで着替え始めた。これからのことは考えないようにした。後が怖い。

私服に着替えた椿は「廊下は走らない!」の有里さんの一言も忘れて、クラブハウスのエントランスを目指した。
すれ違った世良が「椿、どしたの?そんなに慌てて」と呑気に声をかけてきた。

「いや、ちょっと、その大事な人と約束っていうか、待たせてるんで」
「わかったー!彼女だな!椿のくせにやることしっかりやってるんだなー。今度、紹介してよー」
「あ、いや、そういうわけじゃないんス。世良さん、また今度!」

逃げるようにぴゅうっと椿はその場から立ち去った。
その速さと言ったら、おそらくピッチの上のそれと同じぐらいのものだったろう。
一人残された世良はただ呆然と椿の後ろ姿を見送った。



「すいません!遅くなりました!」
「いいの。俺が急に呼び出したんだし。ね、椿君ってドライブ好き?
今、俺、海に行きたい気分なの。ばーっと湘南か九十九里にでも行く?いや、こっからなら九十九里のがまだ近いかな」

初めて、ピッチの外で会った持田は驚く程、饒舌だった。
緊張も手伝ってか、椿は「ウス」としか答えられずにいた。
クラブハウスの近くに停めてあった持田の車はシンプルな黒い車だ。免許すら持っていない椿にはどこのメーカーかなんてわからなかった。
助手席に乗り込もうとしたら、「椿君、これ左ハンドルだから」と窘められた。
改めて、助手席に乗り込む。隣には、あの持田がいる。
何を話していいのかもわからなくて、椿は下を向く他になかった。

「椿君、ちゃんとシートベルト締めて」
「あ、はい!」

緊張の余り、すっかり忘れていた。しかし、持田の意外な几帳面さを知って、少し驚きを感じたのも事実だ。
車は走り出す。法定速度をきっちりと守った穏やかな運転。
控えめのボリュームのカーラジオが明日の関東地方の天気を伝えている。
それも椿の耳にはぼんやりとしか残らなかった。持田は機嫌がいいらしく、何か鼻歌を口ずさんでいる。

(一体、何を話せばいいんだろう……)

人と喋るのがあまり得意とは言えない上に、相手はあの持田だ。
上機嫌なのは何よりだが、会話の糸口すら見つけ出せない。

「……椿君、楽しんでる?」

ふいに持田が投げたひと言に、思わず、椿は身震いした。
そう怖がるほどのことでもないのだろうが、また、あの目で見られたりしたらと思うと、自然に身体が硬直する。

「もしかして、俺のこと怖がってる?
ピッチの上はともかく、プライベートでまで『殺す気で来い』なんて思わねえよ。疲れるじゃん。
もっとさー、気楽に行こうぜー。気楽にー」

そうは言われても、椿にはまだ持田という人物が判りかねていたから、やはり黙りこくるしかできなかった。

「椿君って好きな子とか付き合ってる子とかいるの?」
「え、えええ、い、いませんけど!」
「顔真っ赤だよ。かわいいなあ。まあ、俺がもし女だったら、ほっとかないかな」
「そ、そうなんすか……?」
「ほら、自分の魅力に気づいてない。そういうところがかわいいんだよなあ」
「はあ」

唐突な質問は余計に椿を混乱させた。
そもそも、持田さんはどうして、俺を呼び出したのだろう。わざわざ、携帯番号まで調べて。
椿がもう少し勘の鋭いタイプなら、ここで何かしらに気づいたかもしれなかったが、
椿はサッカー以外のことはてんで鈍かった。持田さんの気まぐれなんだろう。そうとしか思えなかった。



陽が少し傾きかけた頃、車は九十九里浜にようやく辿り着いた。
持田は我先にと、運転席から飛び出し、履いていたスニーカーも放り投げて、波打ち際へと走って行った。

「待って下さいよ!」

椿も慌ててスニーカーと靴下を脱いで、持田の後を追う。
両手を高く伸ばし、きらきらと輝く水面を駆けて笑う持田の姿は、無邪気な子供のようで、
あの鋭い眼差しを送ってきた人物と同一人物には見えないくらいだった。

「おわっ!」

駆け回っていた持田が砂に足を取られて、蹴躓きそうになった。
倒れかけた持田を咄嗟に椿が抱え込む。

「もう、子供じゃないんだからほどほどにしてくださいよ」
「……椿君、このまま」

持田が耳元で囁いた、そのひと言に、椿はただ腕の中の持田を抱きとめることしかできなかった。
ひと気のない砂浜では、静かに波の音だけが広がる。
気がつけば、持田の顔が近い。視線は自然と絡み合う。持田の表情は真摯で、冗談を言っている顔つきではなかった。
打ち寄せる波に浸かった足は冷えていくが、身体の芯はやけに熱い。
椿の腰を抱く持田の腕にぐっと力が入る。そのまま、椿は持田に抱き寄せられる恰好になる。

「なんでだろうね。あの試合の後、ETUムカつくなあって思ってたんだけどさ、
達海さんでも村越さんでもジーノでもなくて、ただ君のことばっかり考えてて。
あんまり考えすぎちゃったから、俺、どうかしたのかなって思っちゃったけど、今日、会って確信した」
「は、はい……」
「俺、椿君のこと好きになったみたい」

そう言って、持田はもう一度椿の身体を抱き寄せた。
向かい合わせになった心臓からはダウンジャケット越しに弾んだ拍動が伝わる。

「君が俺のこと苦手ならそれでもいいよ。でも、覚えといて。俺が椿君のこと好きだってこと」
「お、俺は……」

椿は混乱と安堵がぐちゃぐちゃに入り混じった感情の中から必死で言葉を紡いだ。

「俺は、まだ持田さんのことを何も知らなくって、でも、持田さんのことをもっと知ってみたいって
思う気持ちもあって。……すみません。こういうのはじめてで、上手く答えられないっす」
「ははっ、かわいい。本っ当にかわいいな、おまえ。キスしたくなっちゃうじゃん」

口角を上げた持田が腕を伸ばし、椿の顔を引く。
思わず、椿は目を伏せたが、一瞬の間の後に訪れた柔らかな感触は額に与えられた。

「大人のキスはまた今度」

それでも、椿は確かな腕の温もりと額に刻まれたくちづけに、意識を持っていかれてしまっていた。
このままでいたい。そう思った。

「そろそろ帰ろうか。あんまり遅くなると寮長に怒られるだろ?」
「ウ、ウス!」

二人は砂浜から車までの間を手を繋いで歩いた。
言葉は交わさなかったが、今の二人には余計な言葉は必要なかった。
車中でも、会話らしい会話はなかった。
ただ、今の椿は持田を恐れて言葉を発せないのではなく、今のこの空気に酔いしれたくて、何も言わずにいたのだ。



持田の車がETUのクラブハウスに近づいた。

「俺はあんま近くに行くわけにいかないから」

運転席から降り、椿を見送る持田に椿は声を上げた。

「また、会えますよね!」

持田は黙ったまま、微笑んだ。こんな穏やかな持田の微笑みを椿ははじめて見た。
それだけで胸がじりじりと締めつけられる。
椿に向かって、何度か手を振ると、持田の車は行ってしまった。

――椿は、これから持田とどんなことが起きようとも、今日のことは絶対に忘れないと、そう誓った。


****

素敵な機会をありがとうございました!
テーマは「キラキラ☆青春」なモチバキですw

[*BACK]
◆執筆者個人HPに戻ります
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -