――ジャパン杯、予選リーグ戦の試合明けの夜。
俺は持田さんに呼び出されて、高層マンションのエレベーターで一人佇んでいる。急上昇を続けているエレベーターが発する重力には未だに慣れない。最上階の手前でゆっくりとエレベーターが停まる。吐き出された俺は人の気配のしないフロアから持田さんのねぐらを探す。表札も何も出ていない、黒塗りのドアの前でブザーを鳴らした。すると、ドアの向こうから「……鍵開いてるから」と声がする。都会の一人暮らしとは思えない不用心さだと呆れながらも、俺はドアを開ける。エントランスにはぐちゃぐちゃに脱ぎ散らかれたスパイクやスニーカー、廊下には練習着があちこちに転がっている。その奥のリビングまで辿り着くと、暗がりの中、砂嵐のテレビの前で、持田さんは頭からブランケットを被りながらお菓子を頬張っていた。まるでハロウィンのお化けの扮装をした子供だ。
「何やってるんですか、そんな格好で」とブランケットを軽く引くと、明るいくせっ毛がちょこんと顔を覗かせた。
「俺はやれるって言ったのに、平泉さんが休めって言うから、試合休んだんだ」
「まだ、本調子じゃないんでしょう?仕方ないじゃないですか、カップ戦の予選なんですから」
「椿のくせにベテラン監督みたいなこと言うんだな。俺、そういうの好きじゃない」
それならなんで俺を呼びつけたんですか、とむずがる駄々っ子をソファーへ座らせる。
(……軽口ばかり叩いてるけど、本当は不安でいっぱいなくせに)
王様は弱音を吐くことは決してしない。それが王様が王様である所以だ。その代わりに我が儘を通そうとすることで、自分の中の不安を相殺したいらしい。
「電気もつけないで、テレビもつけっぱなしで」
「エロいDVDでも観ようと思ったんだけど、気分が乗らなかったからやめた。テレビはつまんないバラエティばっかだし」
突然、ブランケットが宙に舞い上がり、ひらひらと落ちてきたそれは俺と持田さんに覆いかぶさった。
「椿君、胸貸して」
俺は頷く代わりに持田さんの背を抱いた。胸元に確かな吐息を感じる。
「なんか、手慣れてるね。もしかして、女の子にもこういうことしてんの?意外」
あなたのせいで慣れちゃったんですよ!、と言い返したかったが、堪えて、くせっ毛を掻き回してやった。
「あーあ、セットがぐちゃぐちゃじゃん」
「……持田さん、泣きたいなら泣いていいんですよ。俺も一緒に泣いてあげますから」
そう言い終えないうちに、胸をバシッと叩かれ、押し倒される格好になった。
「チキンだからってしみったれたこと言うなよな」
そして、大きな手で顔中撫で回され、少し厚ぼったい唇が吸いついてきた。閉じていた薄い唇はこじ開けられ、熱が粘膜にダイレクトに伝わる。こうされると、俺が何も反抗できなくなるのを知っての事だ。
「俺を鳴かせようなんて、十年早いよ」
「ソッチじゃないですって。恥ずかしいからってごまかす必要ないっすから」
「うるさいよ、おしゃべりワンコロ」
もう一度、持田さんの唇が俺の唇を塞ぐ。繋がった体温にこのまま溶かされてしまいたい。耳は舌先がねちゃねちゃと絡み合う音を拾って、意識もぼんやりとしてくる。
「……椿、セックスする?」
そう言って、俺を見上げた王様の目にはうっすらと涙が滲んでいた(ように、俺には見えた)。
性急でない、じらすような性行為は癒しを求めているかのようなものに感じられた。だから、大きく喘ぐより自然と吐息が漏れる。
(……本当は泣きたいくせに)
彼の矜持のせいか、気恥ずかしさのせいかはわからない。けれど、この人がすんなりと俺の胸で涙を見せてくれたら、今よりももっと深いところで俺たちは繋がれる。霞んでいく意識の中でそんなことを思った。
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