フリル
踵を鳴らして
柱時計
見透かした
丁寧
高菜
おはよう、と同級生の名前に声をかけられて、五条は目を見張る。
寮の廊下、ちょっと女子の部屋へ行こうか、と五条は思っていたところだった。
そう思っていたのは、少し目が早く覚めたから、今日一緒に出掛ける予定の名前も起きていたら、早めに出掛けてしまおうかと誘うつもりだったからだ。
携帯で連絡することも勿論出来るが、単純に寝惚け顔を拝みたいという下心があった。
五条がそんな下心を携えていると、不意に声をかけられてそちらを見れば、いつもと雰囲気の違う、柔らかい生地を身に纏った名前がいた。
薄いシフォンのブラウスに、ふわふわとフリルのついたスカートを揺らしている。
普段は、動きやすいから、とTシャツにショートパンツなんて履いている名前が、可愛らしい格好をしているのだから五条は固まってしまう。
触れたら折れてしまいそうな女の子そのものだった。
昨夜、明日の待ち合わせは11時ね、と念押ししていた名前が可愛い格好で目の前にいるのだから、五条は自惚れてしまう。
名前は自分のために可愛く身形を整えたのだ、と。
「五条、今日11時だよ?覚えてる?遅刻しちゃ駄目だよ?」
「覚えてるし。」
「私今から出掛けるからちゃんと来てね。」
「は?出掛ける?今から?」
「うん、もう少ししてから出るよ。11時にはちゃんと待ち合わせ場所に着くようにするから。」
11時に待ち合わせ、それは高専内ではなく街中のある地点だった。
何故そんなまどろっこしいことをするのか、高専から一緒に出た方が長くいられるのに、そう疑問に思ったが五条は今の今まで気にはしていなかった。
当日何かと理由をつけて一緒に出ればいいと思っていたからだ。
まさか名前が朝から出掛けて、しかも可愛い格好をして出掛けて、なんならいつもはそう手入れしていない髪を丁寧に整えて出掛けるだなんて。
一体そんな可愛い格好を、今から五条以外の誰に見せるというのか。
五条は先程の自惚れた自分を揺すぶって正気に戻させてやりたい。
何なら今までずっと思っていた、名前は絶対俺のことが好き、という自惚れも正気に戻させてやりたい。
名前は、待ち合わせの念押しをすると部屋へ戻ってしまったようだった。
名前はすぐ出掛けるような物言いをしていた。
すぐに行動に移さなければいけない。
尾行、何度か任務でしたそれがこんなときに役立つなんて、人生何があるかわからない。
五条はそうと決めるやいなや、夏油の部屋へ行ってドアを勝手に開け、寝たのが遅かったのか目を中々開けない彼を気持ちが悪くなるまで揺さぶってやった。
起きた夏油から鉄拳制裁をされたが、五条は今それどころではない。
名前に変な虫がついてしまう。
夏油は、五条から急に支度を促され、寝起きだから、と渋ると、大丈夫今日もイイ男だから早く着替えて!と心のこもっていない大声を上げる五条に催促されて、仕方なく着替えた。
これ以上夏油がごねると五条の駄々が始まるからだ。
夏油と五条は、名前が出たのを見計らって、女子寮へ行くと、家入の部屋をコンコンコンコンコンコンと忙しなく叩く。
硝子ちゃん起きて、硝子起きてー、硝子起きてるのはわかってるんだよ、硝子ちゃん早くー、と五条と夏油が二人がかりで部屋の前で騒ぐと、面倒臭そうに家入が顔を出した。
この女子寮で五条と夏油が騒いだとして、それはあまりに日常的で誰もそれを止める者はいない。
家入はこのまま放置しようかと思ったが、五条が駄々をこねると面倒だからと顔を出してやった。
今すぐ出掛けるから着替えて、と言われて急な誘いに面倒そうに家入が、化粧をしていないことを理由に渋ると、大丈夫化粧しなくても硝子可愛いから!と全く心のこもらない言葉を五条から放たれ、家入は苛々としたが、やはり五条に駄々をこねられるのは面倒だから仕方なく用意をした。
名前は既に出掛けていたが、五条の六眼をすれば彼女の行く先を追うのは容易く、あっという間に追い付いた。
五条はフードを被っているし、夏油は髪を下ろした状態でキャップを被り、家入はいつも結ばない短い髪を後ろで纏めている。
少し装いが違っていれば気付かれにくい、と三人で相談したものの、こそこそと暗い色を着た怪しげな男女三人を見付けて、ヒソ、と話す者もいた。
通報されかねないが、真剣な五条が面白くて夏油も家入も悪ノリして付き合ってやる。
名前が五条との待ち合わせ近くの古風な喫茶店に入って行くとから、三人もそれにならう。
店員に案内される席が名前に気付かれそうな席だったから、彼女に気付かれにくく、かつ、よく観察出来る席を店員に指示して無理矢理確保する。
「それで、名前が誰かと待ち合わせしてるって?」
「ぜってぇそうだろ。だってあんな可愛い格好で出掛けて、わざわざ俺との待ち合わせ外にしたんだぜ?誰かと会ってから来るに決まってる。」
誰だよ絶対生かして帰さない、そんな殺気を五条から感じて夏油は肩を竦める。
その決めつけは本当に正しいのだろうか。
名前は、飲み物を注文すると、そう大きくない手持ちのバッグから小さな冊子を取り出して、イヤホンをつけて机に向かっている。
およそ誰かを待つような雰囲気には夏油には到底見えないが、五条はやはり殺気だった表情で名前を見ていた。
三人とも急いで名前を追って来たから朝御飯を食べ損ねた。
五条に協力したのだから勿論彼の奢りである。
夏油も家入も好きなものを注文し、どうも名前のことで頭がいっぱいらしい五条に変わって夏油が勝手に五条の分も注文した。
肘をついて終始掌を組んで口の辺りを覆っている仕草は、何処かの初号機パイロットの父親のようだった。
形は違うがサングラスまでかけている。
「そんなに気になるなら声かけなよ。」
「俺が側に行くことで相手が逃げたらどうするんだよ。」
「いいじゃないか。変な虫を追い払える。」
「追い払ったってまた寄ってきたらどうするんだよ。完膚無きまでに叩き潰す。」
これこの子達全部食べるの?注文間違い?と少し戸惑った顔で店員がカートを引いて来たのだが、それらはどんどん五条と夏油の腹に収まり、家入は注文したものを少量全て味見をすれば腹が膨れる。
運ばれてきたモーニングメニューをもぐもぐと租借しながら、夏油と五条は言い合いをしている。
家入はそんな二人を見慣れているのか興味が無いのか、カコカコ、と携帯の文字盤を鳴らしていた。
五条がパフェを頼み、それを持って来た店員は、先程の皿が空になっているのを見て瞳を瞬いて驚いていた。
そんなやり取りなどが終わると、流石にいい時間になっていて、喫茶店の雰囲気に合った年季の入った柱時計が、10時半を一つ鈍い音を立てて知らせてくる。
名前が時計を見て慌てて身の周りを片付け始めるから、三人は彼女が会計をしようと入口へ歩いてくるときに通路側から顔を隠した。
「誰も来なかったじゃん。」
「アイツ何しにきたんだ?」
「本人に聞きなよ。」
家入、五条、夏油がそんなことを話している間に名前は会計を済ませてしまうから、三人も会計を済ませた。
待ち合わせ場所からファミレスは近い。
ものの10分もせずにそこへ辿り着き、名前が立っているのを少し離れたところから三人で様子を窺う。
夏油が五条をちらりと見ると、それに気付いた彼は、なんだよ、と視線だけで問い掛けた。
「結局名前は誰とも会っていないね。」
「約束してたのすっぽかされたとか?」
「そもそも誰とも約束なんかしていないんじゃないの?」
「じゃあ何で早く出たんだよ?」
「本人に聞きなよ。早く行きな?待たせちゃ可哀想だ。」
「20分も早いとか待ちきれないヤツみたいで俺カッコ悪ぃじゃん。」
11時まであと約20分。
五条は、格好悪い、と言い訳しながら自分を待つ名前を眺めていた。
名前の様子は、傍目から見ても、ちょっと浮かれているような、ウキウキ、と擬音がつきそうな様子で、五条を待っているのだ。
五条を待ってそうなっている名前が可愛くて堪らない。
それを眺めていると、五条は妙に幸せな気分になった。
五条を待ってウキウキしそうな女なんてそれこそ沢山いるだろうに、それが名前だと思うと、じわじわと胸の辺りが軋んでしまう。
今すぐ駆け寄って抱き締めてしまいたい。
しかし、近くにいすぎてはこの可愛い名前をじっくり眺めることは出来なくなってしまう。
五条の中で、先程ファミレスでの『名前が誰かと待ち合わせをしていたのではないか疑惑』はとうに何処かへ飛んでいってしまっていた。
誰か殺してしまいそうにも見えた凶悪な殺気は、華だかシャボン玉でも飛ばしそうなほど、ふんわりと和んだものに変わっている。
「あんな目立つところに立ってたら、ナンパされないかな。」
今日の名前はとても可愛い、ナンパされるなんて大いにあり得る。
五条がそんなありきたりな言葉でも不安を煽られることを見透かして、家入がそう棒読みで注意喚起の言葉を吐けば、ほんの少し砂埃を立たせて彼はその場から消えていた。
今は二人から少し離れた目の前、名前の隣に五条は立っている。
とても速かった。
名前は突然の五条の登場に心底驚いて飛び退いている。
「わぁッ!五条!吃驚した!」
「気付けよ。術師の端くれだろ。」
「えー?私じゃ力の差がありすぎて無理だよ。」
実際五条が喫茶店であれだけ殺気を放っていたのに名前は微塵も気付かなかった。
まあそんな間抜けなところも可愛い、なんてきっと末期だ、と五条はこのままただ名前を眺めてしまいそうで、何とか白々しくも口を開く。
「今日、どこ行ってたんだよ。」
どこにいたのか知っている五条は、語尾を上げるのを忘れてしまった。
しかし、その五条の失態には気付かずに、名前は少し焦ったように、えーと、と言いながらはにかんでいる。
「何だか、今日五条と遊びに行くと思うと、高専にいるの落ち着かなくて・・・それで、ちょっと早めに出て来たんだ。」
恥ずかしい、そう言いたげに名前は視線を下げている。
何だその可愛い顔は、と名前の可愛い照れた顔に五条も一緒に照れてムと口を歪める。
五条は今朝の自分に言ってやりたい。
コイツ絶対俺のこと好きだから自惚れてろ、と。
「名前、五条にあの格好見せる、ってずっとそわそわしてたんだよね。」
家入が夏油にコソコソと隠れながら裏話を教えてくれる。
焦れったい二人を眺めるのは実に楽しい。
家入が喫茶店で名前から『一番に見せたくて出掛ける前に五条に会いに行ったら廊下で出くわしちゃった』『無反応だった』『やっぱり待ち合わせ場所で見せれば良かった』とメッセージが届いたときは、丁度五条が、悪い虫を完膚無きまでに叩き潰す、と怖い顔をしていたところだった。
この二人はお互いの気持ちのベクトルが向きすぎていてとても面白い。
お互いに、それに絶妙に気付いていないところがまた面白かった。
夏油もそれを面白がっているのは一緒だったようで、へぇ、と楽しそうに意地悪く笑っている。
そう夏油と家入が続けて五条と名前を観察していると、五条が歩き出す前に彼らに振り返って手を振った。
シッシッ、とまるで犬でも追い払うかの様な仕草に、夏油も家入もその失礼な態度に青筋が浮かぶ。
彼らとて野暮ではない。
言われずとも帰る気でいたのだ。
邪魔するつもりも覗き見るつもりも毛頭ない。
あの五条だ、ありがとう、を述べられるとも思っていなかったが、朝早くから起こされたのだ、その態度は無いだろう。
「硝子、わかってるよね。」
「わかってるに決まってる。」
二人の気持ちは一つだった。
ただ一つ、家入は五条に対して、少しだけ胸がすくことがあった。
五条に一番に見せる、と楽しそうに準備していた名前は、数日前におかしいところがないか家入に見てもらっていた。
頭の天辺から足の先まで完成した姿。
当日足が痛くならないようにするんだ、と数日部屋の中でミュールを履いて過ごすことを話して、名前は楽しそうに踵を鳴らしていた。
あの可愛い名前を初めて見たのはお前じゃなくてこの私、と家入は優越を感じながら夏油と後をつけてやった。