07.
その翌日、快斗は再び彼の家に向かった。但し、真っ白な怪盗衣装を脱ぎ捨てモノクルを外し、昼日中に真正面からの堂々とした訪問だ。
玄関の戸を開けた瞬間の彼の顔はやっぱり少し間抜けで、快斗は思わず頬が緩んだ。
「…何してんだ、コソドロ」
聞き覚えのある台詞が飛んできて、すぐに解るところが流石は名探偵と、感心するとともに愉悦を覚える。更に笑みを深くすれば、目の前の表情は反比例するように険しく歪んだ。
互いの立場を弁えろ、昨夜彼が言った言葉の意味を、快斗とて紛う方なく理解しているし、歓迎されるわけがないことだってきちんと受け止めている。けれど承服は出来そうになかった。彼の心中思惟を察することも、それについて得心がいっても、それ以上に快斗は彼を欲していたからだ。
「怪盗でなければいいんだろ?」
だから快斗は、そう言って笑った。
「俺、黒羽快斗ってんだ。よろしくな!」
ぽん、軽い破裂音とともに赤い薔薇を一輪差し出して、にやりと口角を吊り上げて不敵に笑って見せれば、彼はとても嫌そうに目を細めた。
***
それから既に一月が経とうとしていて、その間快斗は殆ど毎日のように彼の元を訪れた。彼は始めこそ反発して快斗を追い返そうと躍起になっていたが、やがてそれが無駄な努力だと気付いたのだろう、疲れたような溜息とともに快斗を迎え入れてくれるようになった。
しかしその態度はどこか投げ遣りで、もてなす様子もないどころかまるで関わりたくないとでも言うようにほったらかしであるから、それをいいことに快斗は好き勝手やらせてもらっている。
訪問してまず、本来ならもてなす側である筈の家主の分まで珈琲を淹れ、時と場合に依っては食事の支度をすることすらある。最近では家主以上にキッチンに詳しくなってしまった。
怪盗が用意したものを、何の疑いもなく至極当然のように口にした探偵に始めこそ呆れたものの、多少なりとも信用してくれているのかと思えば嬉しくないわけがない。彼がまた美味そうにして笑うから、快斗はよりいっそう腕を磨いたし、やがて掃除や洗濯にも手を出すようになっていた。
***
すっかり探偵の家に入り浸るようになって、更に一月程が過ぎた、ある日のこと。
その日も例に漏れず新一の家にやってきた快斗は、相変わらず客人を客人とも思わない態度を示す家主に珈琲を淹れてやった。それから、持ち込んだ道具を広げてマジックの練習を始める。
リビングの一部分を占拠する形になり、身を沈めるソファから快斗をちらと一瞥した彼がそれに刹那眉をひそめたが、すぐに手元の本に視線を落としてしまった。快斗は構わずマジックに集中する。
快斗が訪ねても、彼は大抵読書に耽っていて、まともに相手してくれることは殆どない。それでも、こうして彼の傍にいられることや、ふとした時に快斗を追ってくる彼の視線を感じることが出来るだけで、快斗には十分だった。
そんな平穏な空気を壊したのは、鳴り響いた電子音だった。快斗のものではないから、当然彼の携帯電話だろう。ピリリリ、と実にシンプルな音が繰り返し着信を告げている。
「はい、工藤です」
机上に放置されていたそれを、彼が素早く手に取った。警察からの呼び出しだろうか、快斗は覚えず眉根を寄せたが、次いで聞こえてきた名前に眉間の皺をぐっと増やした。
「何の用だよ、服部」
服部平次、西の探偵。新一とは信頼し合った探偵仲間であり、互いを高め合う好敵手でもあり、秘密を共有した仲の良い友人だ。
そこまで考えて、快斗はむっと唇を尖らせた。気に入らない。秘密を共有するなら快斗とて同じだし、好敵手だって快斗の方が最適だろう。手加減のいらない頭脳戦を繰り広げられるのは相手が彼であるからで、きっと彼だって同様に違いない。
それに今彼の傍にいるのは、自分なのだ。───なのに。
「それで? 容疑者は何人だ?」
彼はすっかり探偵の顔をして、小さな機械から流れてくる相手の声に集中していた。先程までは、構ってくれなくても確かに快斗を意識していたのに、今やその全てが相手から語られる言葉へ向けられていて、快斗がいることすら忘れてしまっているようだった。
面白くない、気に入らない。
「…名探偵」
その瞳に自分を映して欲しくて呼び掛けても、彼には届いていない。
快斗の胸中を、重く暗い何かが支配していく。得体の知れないもやもやが、酷く気持ち悪い。
それから逃げるように踵を返して部屋を出た快斗は、だから彼の名探偵がちらりとその背を見送ったことに気付かなかった。
(12/6/23)
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