06.


 もうすぐ日付の変わる時刻、住宅街はすっかり寝静まりまるで人気が無い。繁華街に比べ明かりも乏しい地上を見下ろしながら、快斗は夜の空を飛んでいた。冷たい風が頬を撫でる。夜風を切り、やがて見えてきた目的地に向かって、快斗は次第に高度を落としていった。
 闇夜に佇む立派な洋館は、不気味な程の威圧感を醸し出している。建物を囲む庭の一角へ降り立った快斗は、しかしその場に立ち尽くした。衝動的に此処まで来てしまったが、その後どうするかなど全く考えていなかったのだ。
 彼の姿が見たかった。けれどそれを阻むのは、しっかり施錠されているであろう大きく切り取られた窓と、閉じられたカーテン。室内の様子は見えない。色を失くした快斗にはそこに明かりが灯っているかどうかさえ解らないが、中からは人の気配がして、彼が確かにそこにいるのだと察することが出来た。
 本当は鍵なんてすぐに外してしまえるし、カーテンだって開けることなど簡単だ。なのにそれを躊躇ってしまうのは、急激に膨らんだ先程の感情も、徐々に冷静さを取り戻し始めていたからだ。探偵に会いたくて家まで押し掛ける怪盗とは、如何なものか。今更な事実に戸惑い、行動に移し兼ねていた。
 その時、カーテンがひらりと動いた。自然なものでない故意的なそれに驚く暇も無く、カーテンの隙間からひょこりと顔が覗いた。彼だ。庭に佇む快斗を認めて、驚きに目を瞠っている。当然の反応だろう。自宅の庭に国際指名手配犯である怪盗が突っ立っているなどと、誰が思うだろうか。
 しかし驚いたのは快斗も同じだった。自身と彼とを隔てるそれを、まさか彼の方から除けてくれるなんて思いもしない。咄嗟に態度を取り繕う余裕も無いまま、快斗は呆然と彼と見つめ合った。
 我に返ったのは、彼がカーテンを、次いでガラス戸まで開けた時だった。夜のしじまにカラリと響いた音がやけに耳に付いた。その頃には快斗も己の今の姿を思い出し、取って付けたように頭を垂れた。
 
「こんばんは、名探偵」

 胡乱げに眉をひそめた彼は、その心中思惟を表したような声色で応えた。
 
「何してんだ、コソドロ」

 言い様に、快斗は思わず苦笑を零す。
 歓迎されるわけがない。それでもこうして彼の姿を目にしてしまえば、今更引くことも出来そうになかった。
 
「名探偵にお逢いしたくなりまして。ついつい此処までやって来てしまいました」
「ついじゃねーだろ。お前、自分の立場ちゃんと解ってんだろうな?」
「勿論です」

 探偵と怪盗。本来ならば決して交わることのない、対極に位置する存在だ。そんな二人が、犯行現場でなく探偵のプライベートであるこの場所で、こうして事件とは関係無く対峙している現状は、とても奇妙なことであろう。そんなことは解っている。十分過ぎる程に理解しているが、しかし。快斗にとっては、瑣末事に過ぎなかった。ただ目の前に居る彼の、その鮮やかなまでの色彩だけが快斗にとっての現実で、もう随分と前に失くしてしまったそれを手に入れることが出来るのなら、お互いの立場も現状の可笑しさも、何もかもがどうでも良かった。それほどまでに、快斗にとっての彼の色は魅力的だった。
 
「今宵のショーには来て下さいませんでしたね」
「泥棒は管轄外だ。中森警部が黙っちゃいないし、それに今日は白馬だっていただろ?」

 予想通りの答えだ。けれど。
 
「違うんです」
「…は?」

 怪訝そうな声を漏らした彼の瞳をひたりと見据えて、快斗は続けた。
 
「彼らじゃない。貴方じゃなきゃ、駄目なんです」

 そう言った瞬間の、彼のぽかんとした顔は少し間抜けだ。追い討ちを掛けるように、言葉を紡ぐ。
 
「私に色を見せてくれるのは、貴方しかいないんです。名探偵」

 彼はきっと、この言葉の本当の意味を理解出来てはいないだろう。当然だ。彼は、快斗の見えている世界がモノクロであることも、その中で唯一色付いているのが彼だけであることも、知らない。知らなくていいことだろうし、言うつもりもない。
 これは所詮、エゴだ。巻き込まれた彼にとっては、ただ押し付けがましいだけの迷惑な行為でしかないだろう。それでも、

「…貴方が欲しい」

 心の内に巣食う欲望の丈を告げる。
 彼は唖然としてその言葉を聞いていた。見開かれた蒼い瞳が、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
 その様子を泰然として眺めていて、暫し。漸く思考が働き出したらしい彼が、徐に溜息を吐いた。

「何ふざけたこと抜かしてんだ」
「冗談などではありませんよ」
「なら尚更バカだ。全然解ってねえじゃねーか」

 苛ついたように彼が言う。

「俺は探偵で、お前は怪盗だ」

 射貫くような鋭い眼光が、真っ直ぐ快斗へ向けられる。それすら受け止めて、快斗は悠然と笑んでみせた。

「怪盗は、欲しいものは盗んででも手に入れる」

 睨み合う二人の間に、現場で対峙した時のような緊張感が走った。しかしそれも刹那のことで、彼が再度吐き出した呆れたような溜息が、張り詰めた空気を払拭した。

「言ってろ、バカイトウ」

 ガラリ、開けた時よりもやや乱暴に閉じられたガラス戸が、彼の心境を表しているようだ。カーテンまで完全に閉められてしまって、快斗は小さく苦笑を零した。
 改めて解った。味気無い黒白とした世界を鮮やかに染め上げ動かしてくれるのは、彼しかいない。快斗にとって彼は特別で、確かに必要な存在だ。
 手に入れてみせる、そう決意して、快斗はその場を後にした。


(12/5/17)

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