05.


 今宵も怪盗として無事に仕事を終えた快斗は、とあるビルの屋上に人知れず降り立った。現場である美術館からは少しばかり離れていて、犯行直後の騒がしさは遠い。己を追って来る筈の警察も、まるで見当違いの方向へ駆けて行く。辺りは奇妙な程の静寂に包まれていた。
 同じ事の繰り返し。周囲を欺き続けなければいけない日常も、何の進展も得られない非日常も、もううんざりだ。けれども容易く総てを切り捨てることが出来ないから、その葛藤に苦しんでいる。
 人工灯溢れる地上から満月の輝く空へと視線を移して、快斗は疲れたように息を吐いた。
 色褪せた世界。そこから逃げるように、瞳を閉じる。瞬間、久しく忘れていた色彩を思い出させてくれた、彼の姿が瞼の裏に浮かんだ。
 あの時は心底驚いた。色なんてもう二度と、この目に映すことは叶わないだろうと思っていたのに。一瞬この原因不明の症状が治ったかと錯覚してしまった。だがそうではないのだと、こうして瞳を開ければ確かな現実が、モノクロの視界となって突き付けられる。懐から徐に取り出した今夜の獲物を試しに月に翳してみても、自身が追い求めるパンドラの赤は疎か、本来持つ筈の美しい青色を認識することも出来なかった。
 月明かりに透かしたままの宝石に、彼の瞳のあの鮮やかな蒼を重ねる。中途半端に魅せられた彼の色は、快斗の脳裏に焼き付いて離れない。失くして諦めてしまっていた分、請う気持ちは強くなる一方だった。
 盗んだ宝石は後々、父の代から助手を務めてくれている寺井に確認してもらうことにして、溜息と共に懐へ仕舞う。それと同時に響いた、階段を駆け上がる靴音に、快斗は弾かれたように顔を上げた。
 
(まさか…)

 階下へ伸びる階段へと繋がる唯一の扉を凝視する。次第に大きくなる足音に、逸る気持ちが抑えられない。
 小学生から高校生の体へと戻ってから、かの名探偵が怪盗キッドの現場へ足を運んでくれることは一度としてなかった。殺人事件を念頭に置く探偵だからとか、窃盗犯には興味が無いとか、理由は様々あるのだろうが、それでも彼がまだ元の体へと戻る前のように己の前に立ちはだかることを、心の何処かで期待している自分がいる。
 凪いだ世界に一石を投じてくれるだろう存在を、きっと望んでいたのだ。
 しかし、扉を開けて姿を現したのは、快斗の期待を大いに裏切る人物だった。白馬探、快斗のクラスメイトであり、キッドを捕まえると豪語する探偵だ。それなりに実力があることは認めるけれど、まさか此処で対峙することになるとは思いもしなかった。予告状に密かに含めた逃走経路、その中継地点を正しく読み取ることが出来る者など、快斗は一人しか知らなかったからだ。
 
「キッド…!」

 息急き切って言葉を発する白馬に、快斗は正面から向き直る。
 
「これは、白馬探偵。貴方が此処までやってくるとは、珍しいですね」

 揶揄を滲ませそう言えば、白馬は悔しそうに顔を歪めた。だがすぐに、いつもの勝気な表情に戻る。
 快斗が落胆の情を鍛えられたポーカーフェイスの裏に押し隠していることなど、彼はきっと気付きもしていないのだろう。
 
「観念しなさい。今日こそは、貴方を捕まえてみせます…!」

 強い光を湛えた瞳が、真っ直ぐにキッドを射貫く。その眼差しに、けれど快斗の心を波立たせるものは無かった。
 同じなのだ。今の快斗の視界を覆い隠す黒白と、白馬は何も変わらない。求めているのは白馬じゃない。
 欲しいのは、快斗の世界を染めてくれる唯一の、あの鮮やかに色付く蒼だけだ。
 自覚した途端、心の奥底から俄かに湧き上がった欲望が、快斗の胸の内をぐるぐると駆け廻る。欲しいと思った。あの透徹とした蒼い瞳に、己を映して欲しいと思った。
 
「…白馬探偵。申し訳ありませんが、私は急ぎますので、今宵はこれで失礼させていただきます」

 慇懃無礼に腰を折る。すぐさま非難の声を上げる白馬を無視して、キッドは踵を返してフェンスの上に乗り上げた。
 
「それでは、また」
「ッ待ちなさい! キッド…!!」

 追い縋る声さえ振り切って、快斗は衝動のまま、夜の街へ身を投げた。その脳内を占めるのは、ただ一人の名探偵だけだった。


(12/4/25)

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