その日、正午を少し過ぎた頃に入った警察からの要請に、新一はすぐさま家を飛び出した。電話口で聞いた限りでは、事件内容は然程複雑そうなものでもなく、夕方頃には帰れるだろうと同居人に告げてからのことだ。
 実際、使われたトリック自体はすんなり解くことが出来たが、しかしその後が問題だった。推理を話し終えた途端、犯人が予想以上に食い下がったのである。証拠だってしっかり突き付けてやったのに、終いには暴れ出して始末に負えない。
 何とか押さえ付けて、喚き散らす犯人をパトカーに押し込み警察に任せる頃には、すっかり疲弊してしまっていた。
 それから警察の面々といくつか遣り取りし、新一が出来得る限りの全てが片付いた頃には、予定していた時間を大幅に過ぎてしまっていたのである。
 気付いてすぐ同居人に電話を掛けたが、繋がらない。ならばと慌てて帰途に着いた新一がその視界に我が家を収めたのは、今日があと一時間を残すという頃だった。
 夜も更け静寂に包まれた暗い道を歩いて、漸く辿り着いた我が家から漏れる光を見て、自然と肩の力が抜けた。零れ落ちたのは、安堵の吐息だ。
 けれども待っていてくれたであろう同居人の機嫌を思えば、疲れが蘇って足を重くする。恐る恐るといった風に玄関の扉を開き、やや小さめにただいまと口にした。
 常ならば、既に気配で察しているであろう同居人が、まるで飼い犬が主人にじゃれるかの如く嬉々として抱き付いてくる筈なのに、今日に限ってそれがない。リビングからは煌々と光が漏れていて、彼は確かにそこにいる筈なのに、やはり怒っているのだろうか。
 逡巡するも、意を決してリビングへ足を踏み入れ、絶句した。
 そこには確かに同居人の姿があったが、ついでに隣人の姿もあった。そして足下に散乱する、酒の空瓶や空缶の数々。その量たるや、両手に余る程である。

「あら、おかえりなさい」

 それらの山に埋もれるようにして、その場にはとても似つかわしくない姿の隣人───灰原哀が、新一に気付いて声を掛けた。
 その言動から、アルコールを摂取した様子は見受けられない。そもそも彼女は、中身はともかく見た目だけなら小学生だ。自ら飲酒するとは考えにくい。
 だとすれば此処に散らばる瓶や缶の中身は全て、同居人の胃に流し込まれたと言うことか。信じられない。
 呆然と目の前の光景を眺めていた新一に、同居人が漸く気付いたらしい。交わった視線の不明瞭さを怪訝に思う間も無く、同居人が突然走り出し飛びかかってきた。
 予想外の出来事に疲労も加わって、新一はその勢いに耐えきれず、同居人もろとも床にひっくり返ることとなった。

「…〜ッ、いってぇ!」
「あらあら」

 呆れを含んだ哀の声も、痛みに悶える新一には聞こえない。ただただ、元凶である同居人への苛立ちが募るばかりだ。

「快斗…!」

 怒りに任せてぶつけようとした文句はしかし、同居人───黒羽快斗の様子を見て、口内に飲み込まれた。

「しんいちぃーしんいちだぁー」

 上気しふにゃりと間の抜けた顔で擦り寄ってくる快斗に、開いた口が塞がらない。
 マジシャンとして常に周囲の視線を気にして体裁を取り繕う癖の抜けない、尚且つザルである快斗のこんな姿は、共に暮らす新一でさえ初めて見た。一体全体、どうしてこうなった。
 新一の胸中の葛藤を知ってか知らずか、隣家の少女が淡々と現状を説明する。
 曰く、恋人よりも推理が大好きな何処かの探偵さんに置いていかれ、拗ねていた所に奇しくも訪ねてきてしまった彼女は、暇を持て余した彼の愚痴とノロケに付き合わされた。適当に相手しているうち、どう流れたかはもう定かではないが、彼は酒に強く酔ったことがないという話になったそうだ。

「偉そうに豪語するものだから、本当かどうか、どれくらいの量を飲めば酔いが回るのか、実験してみたというわけ」

 結果、見事な酔っ払いが誕生した。
 全くくだらなくてバカらしい話だが、まるで犬みたいに身体全体を使っていっぱいにじゃれついてくる快斗の、普段とは違う無防備な雰囲気がちょっと、本当にちょこっとだけ可愛いなとか思ってしまった。から、頭をくしゃりと、次いで緩んだ目元をそっと親指の腹で撫でてやる。
 甘やかしすぎかとも思ったが、途端に嬉しそうに破顔するものだから、悪くない…なんて油断した、矢先。

「んぅ…ッ!?」

 後頭部を突然がしりと掴まれ、抵抗する間も無く口を塞がれた。すぐさま入り込んできた舌が、口内を無遠慮に動き回る。
 酒のせいか、快斗の舌は熱い。アルコールのにおいが鼻を抜けていくのに、飲んだわけでもないのに酔ってしまいそうだ。

「…ッン、…ん…」

 逃げようとする舌を絡めとられ、ねぶられ、吸われ、歯列をなぞっていく。上顎をざらりと舐められれば、覚えず身体が震えた。
 ダメだ、流されてはいけない。上がっていく息と体温に、必死に抗う。
 快斗の肩を無意識で縋るように握ってしまっていた両腕に、意識して力を込め目一杯引き剥がす。

「ふはっ…はぁ…、お…おまえ…ッ!」

 あまりのことに、言葉が出ない。よりによって隣人の目の前で、ベタベタした挙げ句こんな激しいキスを受けるだなんて。
 しっかりばっちり真っ直ぐに注がれる横からの視線が恐ろしくて、振り向けない。
 いくらべろんべろんに酔っているとはいえ、酔っ払いの行動だからと流してしまえるような問題ではない。なにより、恥ずかしすぎる。
 熱い頬に赤面を自覚して、怒りと羞恥のあまりわなわなと震える拳を握り締め、新一は腹の底から声を張り上げた。

「なにしやがんだ! バーロー!!」

 ちょっぴり涙目で吐き捨てて、新一は勢いのまま立ち上がり踵を返すと、部屋を飛び出した。一刻も早くこの場から居なくなりたかった。
 バタバタと階段を駆け上がる喧しい足音は、バタンという荒々しい扉の開閉音を最後に止んだ。
 残ったのは、突き飛ばされて尻餅をついた快斗と、佇立したまま実に冷静に成り行きを眺めていた哀の二人である。

「かーわいーなあ!」

 逃げ去った新一の背中を見送りつつ、だらしなく崩れた笑顔でそう言った快斗の目は、先程までの曖昧さなどまるで無くしっかりと焦点を結んでいた。上機嫌のまま体を起こす仕種や立ち上がる際の足許に、僅かも危うさは見受けられない。
 それを横目で確認して、哀は呆れも顕に深く長い溜息を落とした。

「…意地悪なひとね」

(13/8/29)


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