深夜、怪盗の格好をしたまま工藤邸バルコニーに降り立った快斗は、しっかりと施錠されている新一の部屋の窓を何の苦も無く解錠した。なるべく物音を立てぬよう室内に入り込んだはいいが、ベッドは蛻の殻。
 今夜が予告日で、快斗がいないのをいいことに、また推理小説でも読み耽っているのだろうか。あれだけ、夜更かししてはいけない、と苦言を呈したのに。
 シルクハットとモノクルを取り去り、白のジャケットを脱ぎ捨てつつ、快斗は深く息を吐いた。
 家に辿り着いた瞬間、疲労がどっと押し寄せた。今宵は殊更、心身ともに疲弊している。警察諸君や英国帰りの探偵による常以上の執拗な追跡だけでなく、組織の連中をも相手にしなければならなかった為だ。どちらも適当に撒いてしまうつもりだったが、怪盗を追い詰めるだけの実力もないくせに、執念だけは一人前だから始末に負えない。お陰で余計な体力と時間を奪われてしまった。
 思い出して辟易し、ネクタイを緩め青いシャツの釦を外しながら、部屋を出て階下へと降りる。リビングは案の定、煌々たる光に溢れていた。

「ただいま」

 帰宅を告げる言葉に、応えは無かった。

「新一?」

 首を傾げつつ、ソファを覗き込む。するとその姿が確認出来て、快斗は呆れて溜息を吐いた。
 きっと快斗の予想通り読書に熱中していたのだろうが、やがて襲い来る睡魔に負けてしまったらしい。読み掛けの本が開いたまま腹の上に伏せられていて、当の新一はと言えば、ソファに沈み込んで気持ち良さそうにすやすやと眠っていた。
 聞こえてくる規則正しい寝息や穏やかな寝顔を見ていると、荒んだ心も疲れ切った体も忘れられる程に愛しさが湧く。
 自室ではなくリビングで読書をしていた理由も考えれば、尚更だ。恐らく彼は、快斗の帰宅を待っていてくれたのだろう。
 自然と頬が緩むけれど、やっぱりこの状態は頂けない。今までにも何度か似たようなことがあり、その度に風邪を引くからと窘めていたのに。
 再度深々と溜息を落とし、快斗は新一の身体をひょいと抱き上げた。
 その所作は甚く丁寧で、本当は起こして部屋まで促しても良かったのだが、安らかに寝入っている新一を起こすのも忍びないと思う快斗の優しさが具に表れていた。
 そのまま部屋へ運んでやっていると、階段を上っている途中で新一が小さく身動ぎした。振動が伝わらないよう気を付けてはいたのだが、起きてしまっただろうか。
 足を止めて窺えば、新一は薄らと目を開けていた。未だ眠りの淵にいるのだと解るくらいに、その瞳はぼんやりとしていた。ぱたり、ぱたり、ゆっくりと瞬きを繰り返し僅かに彷徨った寝惚け眼が、漸く快斗を捉える。

「おかえり」

 舌足らずに紡がれた言葉は、寝惚けていて、それでも確かに快斗と意識した上でのもの。そう認めた途端、何とも言えない感情が快斗の胸の内に込み上げた。
 心地好くて嬉しくて、それでいて何故か無性に泣きたくなるような、とてもあたたかい何かだ。
 たった一言。だけどそれだけで、負の感情の一切が払拭され、心が凪いでいく。
 際限無く溢れる愛しさに目を細め、すぐにまた夢の中へと戻ってしまった新一の唇にひとつキスを落として、快斗はもう一度言葉を紡いだ。

「ただいま」

 応えるように、快斗の胸元を新一がぎゅっと握り締める。それにまた気を良くして、快斗は寝室へ向けて歩みを再開した。

(12/7/16)


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