Take off.


 眼下に広がる人工灯の海。まるで宝石を鏤めたかのようにキラキラと輝くそれらの中で、一際目立つ赤い光の群れ。フェンスの上に危なげ無く立ちながら、怪盗は夜の街を見下ろした。
 捜し求める“赤”がそれであったなら、と思わずにはいられない。しかし遠ざかって行く光の群れに、陰鬱な気分になった。馬鹿らしいことを考えた。顔を歪める。
 どうしてこうも同じ手に引っ掛かるのだろうか。中森警部率いる捜査二課の面々の情熱は認めるのだけれど、それもこの身に届かなければ感じるものは無い。見るともなしに見送るその瞳は冷えていた。
 今夜の獲物も、目当ての宝石ではなかった。月明かりに透かしそうと知った時の何とも言えない錯雑とした感情も始めこそ持て余したものだったが、既に慣れた。今はただ、諦念と虚無感が胸に溢れるばかりだ。
 夜空を見上げる。真っ暗だ。輝く星々も、地上の無粋な光に霞んでしまっている。
 そんな風にして、自分も霞んでゆくのだろうか。闇に浮かぶ真っ白な衣装に身を包んでも、衆目を集めるマジックを披露してみても、上空を翔る鳥に手は届かない。そうして人々は興味をなくし、やがては誰の目にも映らなくなる。そんな未来を想像し、恐怖した。孤独が、とても恐ろしいもののように感じた。
 “確保不能の大怪盗”。それは自身にとって誇りとなる呼び名だが、同時に孤独であるのと同義だ。そう思うのは、請うているからだろうか。
 ―――誰か見つけて、と。
 息を吐き出した時、不意に背後で物音がした。とても小さなものだったが、そもそも近づいてくる抑えられた気配にはずっと前から気付いていたので、今更驚きはしない。ゆっくりと振り返る。
 
「これはこれは…。こんばんは、名探偵」

 白々しく言ってお辞儀をすれば、目の前に立った少年はたちまち顔を顰めた。少しだけ愉快な気持ちになる。
 
「今夜のショーにはいらっしゃらないようでしたが、何故ここに?」

 口元が笑みを象る。嫌味ったらしいそれに、少年はますます眉間の皺を増やした。
 
「お前こそ、何でこんなところにいるんだ?」
「おかしなことを仰る。私は怪盗で、今し方犯行を終えたばかりなのはご存知でしょう?」

 探偵の質問の意図が掴めず、怪盗はシルクハットの影で眉を顰めた。
 現場には姿どころか気配さえなかったというのに、予告状にはまるで含めなかった逃走経路を割り出してしまえるのは、怪盗が知る中ではこの探偵だけだ。誰もが皆、霞んだ姿でしか見えない怪盗を、正しく見ることの出来る人。けれど彼は、窃盗犯には興味がないと、怪盗にはまるで見向きもしなかった筈だ。
 しかし、ならばわざわざこんな所にやって来てまで欲するものとは、いったい何か。
 警戒心を深めるが、それは決して表には出さない。貼り付けた偽物の表情で、滔々と言葉を紡ぐ。
 
「それに、奇術師でもある。だからこそ、アナタはここにいらっしゃったのでは?」

 怪盗の逃走手段は、探偵でなくとも、世界中で殆どの者が知っているだろう。とりわけハンググライダーを使用し空を翔るのは、常套手段だ。それを前提として考えなければ、そもそもこんな高く聳えたビルの屋上には辿り着かない。
 探偵は怪訝そうな顔をした。伝わらなかったのだろうか。怪盗は言葉少なだ。余計な言葉を付随しなくても、彼相手なら通じるだろうと思っていたのだが。
 
「そうじゃねぇよ」

 否定に、怪盗は僅かに首を傾げる。言葉なく先を促せば、探偵は僅かに躊躇する仕種を見せた。今度は怪盗が怪訝な顔をする番だった。
 しかし、そっと口を開いた探偵の言葉に、驚き目を瞠る。
 
「…飛べもしねぇのに?」

 思わず息を呑んだ。恐らく気付いただろうに、探偵はそれ以上何も発さなかった。重い沈黙が辺りに漂う。
 図星を指されて狼狽えた。らしくない焦燥に漏れそうになる舌打ちを抑え込む。
 孤独な鳥は孤独を恐れ、空を恐れた。天を仰ぐことを忘れた人々の目には留まらず、その手も届かず、独りを助長させるだけだと気付いてからは、逃走手段から飛行を外した。暫くは飛んでいない。否、飛べなかった。けれど誰もそれに気付かなかった。その事実が更に孤独を深めた。
 身に付いたポーカーフェイスで探偵を睨むように見れば、彼は決まり悪そうに、場に不相応な程に美しい夜景に視線を投げていた。釣られるように視線を転じる。無数に輝く灯りはあんなにも遠い。それなのに、真っ直ぐにその瞳を向けてくれる唯一の探偵は、こちらを見ていない。それが酷く腹立たしかった。
 息を吐き出す。
 
「私としては、もう少し張り合いが欲しいものでね。せめて手の届く範囲に降りようかと…」
「誤魔化すなよ」

 怪盗の言を遮り、探偵が振り向く。
 
「言ったよな? お前を巨匠にしてやる、って」
 
 透徹な蒼の双眸が、怪盗を捉えた。どくり、心臓が音を立てて動き出す。
 
「どんなに空高く飛ぶ鳥だって、いつか必ず捕まえてやる」

 だから覚悟しとけ、と。大胆不敵に言ってのける探偵の瞳は、どこまでも真っ直ぐに怪盗を見据えていた。
 雑然とした作られた光に誰もが視界を眩ませる中、彼だけは真実を、確かな怪盗の姿を見つけてくれるのだ。先程まで怪盗自身を巣食っていた孤独という名の闇が、彼の言葉で唐突に霧散する。
 動き出した鼓動が煩く響く。跳ねる心臓を服の上から押さえ込んで、怪盗は笑った。嬉しそうに、愉しそうに。
 
「お待ちしております」

 殊更丁寧に腰を折る。顔を上げれば、真摯な瞳と視線が絡む。それも刹那で、シルクハットを右手で押し下げたことで先に外した。

「またお会いしましょう、名探偵」

 弾む声を隠しもしないまま、白い鳥は夜の空へとダイブした。

(12/2/08)


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