しとしとと雨が降り続いていた。
どんよりと低く空を覆う黒雲は、明るい太陽の光を遮断して久しい。
暗澹且つ幽寂な世界の中、仄かな灯火を揺らめかせながら土方は立っていた。
雨樋を伝い落ちる雨滴が、量を増していく。
小さな屋根の下では、細かに降り注ぐ霧雨から逃れ切れず、足元や肩が湿ってゆく。
服だけでなく気分までもが重くなり、知らず知らず深い溜息を零した。



















のち、




















「何やってんですかィ、土方さん」

不意に届いた聞き慣れた声に、土方は顔を上げた。
黒くて大きな傘を片手に、同じ服を着た少年が立っていた。
傘を持たない方の手は、棒付きの飴を口元へ運んだ。

「…見て解んねぇのか。雨宿りしてんだよ」
「それはそれは、災難でしたねィ。じゃ」

不機嫌面で述べれば、返ってきたのは実に素っ気無いそんな言葉。
それと同時にまた歩き出そうとするものだから、土方は慌てて彼を呼び止めた。

「半分貸せよ!」
「何で俺が土方さんなんかと相合傘しなきゃならねーんでィ」
「じゃあそれだけ寄越せ」
「嫌に決まってんだろ風邪引いて拗らせて死ね土方」

淡々とした口調で言い放つと、彼は今度こそ歩を進めて、霧雨で煙る町に消えて行った。
再び、雨音だけが響く静寂が訪れる。
薄情な奴め、と二度目の溜息を紫煙と共に吐き出し、軒下を借りている店のシャッターに背を預ける。
がしゃん、と些か耳障りな音が人気の無い通りに溶けて消えた。

「あれ、土方さん?」

少し経ってからまたしても名を呼ばれ、視線を上げる。
深緑色の傘の下から、眼鏡の少年がこちらを見ていた。

「傘、無いんですか?」

問い掛けに憮然として頷く。
心優しい少年は、万事屋まで一緒にどうか、と傘を半分差し出した。
万事屋まで行けば傘を貸すことも出来ますよ、と続けた彼に、だが土方はゆるりと首を左右に振って辞退した。
少年は傘とは反対側に買い物袋を持っており、自分がその言葉に甘えれば今日の夕飯の材料が濡れてしまうと思ったからだった。
こちらを気にしながら去って行く少年の後ろ姿を眺めながら、短くなった煙草を捨てた。


***


雨は止む気配を見せない。
白く霞む視界の中、ふと映える朱色が飛び込んできた。
赤色の番傘を差して、大きな犬と共に現われたのはチャイナ服に身を包んだ少女だった。
ばっちりと目が合う。

「傘ないアルカ、ダッセーなおい」

ぶふーっと空気を吹き出して、少女はその保護者を思い出させる言動で言った。
無意識に眉間の皺を増やした土方に不敵な笑みを浮かべて、少女は隣に寄り添う白い犬を軽く叩いた。
わん、と一声可愛らしく鳴いて、犬は体を盛大に振るった。
水飛沫が辺りに飛び散り、土方を容赦無く濡らした。
長く伸びた前髪から、ポタリポタリと水滴が垂れる。
呆然と立ち尽くす土方を見て、自身もびしょ濡れなのは棚に上げて大笑いした少女は、笑い声を響かせながら去って行った。
消えてしまった煙草を捨てて、土方は新たな煙草を取り出そうと懐に手を入れた。
しかし先程の物が最後であったと知り、大きく舌打ちした。
濡れた服が肌に張り付いて、その不快さに苛立ちが募る。
そぼ降る銀糸のような雨が、世界と己とを遮断する。
沸き上がる孤独感が、凍てつくような寒気を齎した。
ぶるりと身体を震わせ思わず右手で左腕を掴んだ刹那。

「…ひじかた?」

少女の影響で思い描いた人物の声に、弾かれたように顔を上げた。
色を失った世界の中で、元々色素が抜け落ちたような、けれど鮮やかな銀髪が、目の前に立ってこちらを見つめていた。
驚きに瞳を瞠る。

「何やってんだ、そんな所で」

何も返さぬまま、足を動かして彼の隣に立った。
当然のように、雨から土方を守るように傘をずらす彼に、自然と頬が緩む。
不思議そうな顔をしながらも、土方に促され二人並んで歩き出す。
世界は相変わらず静寂だった。
無言で歩みを進める。
足下で跳ねる飛沫も、陰鬱に降り続く雨も、しとどに濡れた身体も、先刻までの苛々が嘘のように気にならなくなっていた。
隣で小さく鼻歌なんかを歌う銀髪に、笑みが零れる。
気付かれないように、ただただ足を動かした。

「ん…?」
「あ?」

不意に立ち止まった銀髪が、首を傾げて傘を傾けた。
雨粒を弾いていた傘から、何時の間にか音が消えていた。
銀髪が傘を傾けたことで、視界が開けて空が広がる。
一面を覆っていた鈍色の暗雲は薄れ、切れ間から目映い陽光が差し込んでいた。
そして鮮やかに色付く七色の橋が、頭上に大きく弧を描いていた。

「おお、虹だ!」

不要になった傘を畳んで、銀髪は無邪気に笑った。
色を失った世界に、色彩が戻ってくる。
何よりも鮮やかで綺麗なそれに、土方は穏やかに瞳を細めた。

(09/10/31)


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