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108本の薔薇の花



「……。」

終わった。

愛用している深緑のニットカーディガンを羽織り、自分と同じように憔悴しきっている同期の子に一言だけ声をかけ、鞄を肩にかけて職場を出た。上司がはちゃめちゃな人な為に、計画性、という物が欠けており、明日の朝入稿する物を何故か今日の朝持ってきたのだ。ごめんね!だなんて言いながら笑った上司に頬をひきつらせながらも、一番古株である自分と同期の子で雑誌の特集5ページ分を死ぬ気で仕上げたのだ。

会社の階段を降りながら腕時計を見てみれば、指しているのは午前0時前。今日の夜に雅治と約束があったのだが、泣く泣く行けない節をメールで送ったのは記憶に新しい。あわよくば少しでも会えるかも、と思ったのだがこの時間では無理だろう。終電も危うい。

「(雅治には悪い事しちゃったなー…)」

はぁ、と、階段を降りきった所で溜め息を一つ吐いた。何故か今日の約束を凄く楽しみにしていたらしく、ちょっとでも会えないか、といったメールに加えて仕事中に何回か不在着信も入っていた。何かあっただろうか…全く心当たりがない。とりあえずもう今日は疲労もピークに達しているので、謝罪は後にしてさっさと帰って寝よう。

そう思いながら、私は会社の玄関口を開けた。

「……。」
「……。」
「……ああ、疲れもピークだと幻覚まで見えるのか…」
「誰が幻覚じゃ、あほ」
「あいてっ」

頭の旋毛辺りを軽くチョップされてしまった。それにびくり、と肩を揺らしながらもゆるゆると顔を上げれば、そこにいたのは先程まで頭の中を占めていた恋人の姿。その表情は涼しげではあるものの、少しだけ手が早い事から拗ねているのがわかる。

「ええと…あの…ごめんなさい」
「……仕事じゃ仕方ないじゃろ、謝りなさんな」
「ええええ…でも拗ねてる…」
「拗ねてなか」
「あいてっ」

二発目。また旋毛に落ちてきた雅治の手に、私も少しだけ口元を尖らせてしまう。急な仕事だったからしょうがないといえばしょうがないのに、何故私はチョップを喰らわされなければならないのか。

「…怒ってる?」
「怒ってなか」
「だってチョップするし…」
「……お前さん、今日が何の日か忘れたんか…?」
「…え?」

呆れたように溜め息混じりに言った雅治に、私はクエルチョンマークを頭に浮かべてしまった。今日は…確か…2月1日…いや過ぎて…2月2日……あ。

「誕、生日…だ…私の…」
「まさか本当に忘れとったんか…はぁー…」
「な、だって忙しくて…!」
「おーおーお疲れさん」
「髪の毛ぐしゃぐしゃ…!」

私が意図的に今日の約束をキャンセルしたと思っていたのか、雅治はやっと機嫌を直すと、ふにゃりと笑いくしゃくしゃと私の頭を撫で始めてしまった。よくよく見てみれば鼻の頭が赤いし、私の頭を撫でているその手は冷たい。

なんだよ、ときめくじゃんか。

「雅治ばか、ばーか」
「くっくっく…照れ隠しなんて可愛いのぅ」
「違うって…!ああ、もう…」
「そうじゃ、そんな可愛いお前さんにプレゼントがあるんじゃが…ちょっと待ちんしゃい」
「やだ、嫌な予感する」
「はいこっちじゃよー」
「はーなーせー!」

いい歳した大人2人がする事だろうか。片方は女の手首を掴んで引っ張り、片方はそれに全力で抗っている。端から見たらおかしな光景だろう。だが雅治がプレゼントとか、嫌な予感しかしない。変な物を押し付けてくるに違いない。私は力任せに引っ張る雅治を恨めしそうに見上げた。

だが、少し落ち着いてみれば、違和感に気付いた。

「(……震えてる?)」

相当寒かったのか、私の手首を掴む手は小刻みに震えていた。それに少し申し訳なくなり、私はぴたりと抵抗を止めれば、雅治は怪訝な顔で此方を見下ろしたが、構わずにずんずんと歩いていく。そういえば、今日は私の歩幅も構わずに進んでいる。いつもは変に紳士的なくせに。

そんな事を思いながら着いた先は、近くの展望台付属の駐車場だった。あまり街灯の無いこの場所は真っ暗で、あまり周りが見えない。そんな中、雅治は一台の軽自動車に近付き、鍵を差し込んで開けた。確かこれは丸井くんの車だ。雅治は車を持っていないので借りてきたのだろう。
その車の後部座席から何かを取り出した雅治は、またそれを手に持ったまま車を閉め、また私の手を取り展望台の階段を登り始めた。雅治を挟んで私の反対側では何かがガサガサと鳴っている。まさか花束、だろうか。

「(キザな事するなー…)」
「何ニヤニヤしとるんじゃ」
「え、見えてた?」
「夜目は凄いんじゃよ、俺」
「何馬鹿な事を…」
「プリッ」

相変わらず意味のわからない擬音語を発すると同時に展望台に着いた。さぁ、と冷たい風が吹き抜けるそこには誰も居らず、神奈川の地元の街並みが一望出来た。

「おお…こんな時間にあまり来ないから…綺麗だね」
「そうじゃな…。…なあ」
「ん?」

また、雅治の手が震えた。

それを怪訝に思いながらも雅治を見上げれば、雅治はテニスをする時のような、いや、それ以上に真っ直ぐで、真剣な眼差しで此方を見ていた。それに私もつられて息をのんでしまう。

「まずは…誕生日、おめでとさん」
「あ、ありがとう」
「まさかお前さんとここまで続くとはのぅ…わからんもんじゃ」
「うん…そうだね」
「だからの…そろそろ、終わりにせんか」
「……は?」

どくん、と胸が音をたてると共に軋んだ。

今雅治は別れ話を切り出しているのだろうか、わからない。私は何かしただろうか。

目の前が真っ白になるなか、雅治はまた真剣な眼差しで、口を開いた。

「俺とおっても、なんも得は無い。息をするように嘘を吐く俺とおっても、のぅ」
「や、やだ、雅治、止めて」
「…?」
「やだ、私、や、だ」

もう駄目だった。私は自分が思っていたより雅治が好きだったようだ。堰を切ったようにボロボロと涙が流れてくる。それを見た雅治は、何故かぽかんとした表情だったのだが、私が泣き始めると、ハッとしたように目を開き、手に持っていた物を私に押し付けた。
その際にぶわっと薔薇の匂いが私を包んだ。

「何勘違いしちょるんじゃ、あほ!別れ話じゃなか…っああもう、俺のプランが滅茶苦茶じゃ…っ!」
「え、あ、え…わっ、」
「…結婚しよう」

ぐしゃりと花束が潰れる音がしたが、雅治は構わずに花束ごと私を抱き寄せた。しっかりと雅治の手によって固定された頭に雅治は顔を寄せ、小さく、本当に消え入りそうな声で、結婚しよう、と呟いた。私は驚きに瞠目してしまった。その際に、またぽろりと涙が落ちる。

「俺と…幸せを、作ってくれんか…」
「あ、雅治…雅治…っ」
「すまん、もうちょっとスマートにいきたかったんじゃが…駄目じゃな、緊張しちょる」
「うん、うん…っ」
「返事…聞かせてくれんかのぅ?」
「決まってる、じゃん…!…幸せになろう?幸せだけじゃなくて、不幸せも、2人で分けっこしよう…っ」

もうボロボロに崩れた化粧なんて気にしていられない。雅治の胸元に顔を埋めながら言えば、雅治はそっと私の頭を撫でた。そしてゆっくりと私の顎をすくう。

見上げた雅治の顔も、泣きそうな、でも凄く、幸せそうだ。

「これからも、一緒じゃな」
「あはは、よろしく」

ゆっくりと合わさった唇は、凄く震えていた。



XX:108本の薔薇の花
(泣き虫じゃー)
(っるさい、別れ話だと思ったじゃん)
(本当は、そんな俺と不幸せになってくんしゃいって言う気じゃった)
(あっはっは!遠回りな言い方、雅治っぽい!)



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「自由」蒼さんよりいただきました。とんでもない誕生日プレゼントいただいてしまって便所で読みながら号泣しました。もう初っ端から心憎い演出ですね。恥ずかしさで頭を抱えてたんですがin便所だったので…いやこれ以上は言うまい。蒼さんありがとうございました。





108本の薔薇の花

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