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意外性の破壊力講座



休み時間、明日香ちゃんに靴下を脱いでおけという指令を受けてからこうなるんじゃないかという気はしていた。


「わざわざ先生に許可取ったんだね…」
「うん。あ、制服濡らしたら次頼めなくなるかもしれないから、今日は濡らさないでね」
「今日はって何」
「はーい、じゃあ片足だけ上げてー」
「無視はいかんよ明日香ちゃん」


プールの縁に腰かけ、靴下の跡のない足を軽く持ち上げる。水音と一緒にシャッターを切る音が響き、遠くからは校庭で遊ぶ生徒の声が聞こえていた。

あらかじめ靴下を脱いでおくように言われたのは写真を撮るときに跡が残っていないようにするため。わざわざ先生にプールでの撮影許可を取った明日香ちゃんに連れられ、文化祭で出展する写真を撮りに来た私たち。素足で歩くプールサイドは焼けるように熱く、焼肉になると騒いでいたら相づちを打つように明日香ちゃんが食べたいねえと呟いた。


「焼肉は重いよ。素麺がいい」
「夏バテ?佳澄ってホントに暑いのだめなんだね」
「飼い主はペットに似るのです」
「へー、ペット飼ってるんだ。猫?」
「言ってなかった?シベリアン・ハスキー二匹だよ。マイスイートハニーちゃん」


ぱしゃり。水音は響くのにシャッター音は響かない。聞こえていた音がひとつ減ったことに違和感を感じて明日香ちゃんを見れば、彼女はカメラを下げてあんぐりと口を開けていた。なぜ明日香ちゃんがそんな間抜けな顔をしているのか分からず首を傾げる。

一拍置いて、急に真顔になった明日香ちゃんがずんずんとこちらへ向かって歩いて来た。反射的に後ずさろうと重心を後ろへ反らすも、明日香ちゃんが私の体を支えていた腕を引っ張ってがっしりと手を握ってくれたおかげで逃げられない。手と明日香ちゃんとを交互に見れば何やら獰猛な光を宿した目に射抜かれてしまうしで、こちらとしては最早お手上げ状態である。思わず悲鳴をもらした私は悪くない。


「あの、明日香、さん…?」
「どうして…」
「せめて手だけでも離してほし、」
「どうしてそんな美味しいこと言ってくれなかったのよ!!」


聞いちゃいねえよこの人。

私の手を掴んだまま興奮した様子で上下に振る明日香ちゃんは、こちらが置いてけぼりを食らっていることにも気づかずあれやこれやと喋り続けている。まあハンとジンは誰の目に見ても素敵に最強であろうことはたしかなのでいいとして、そうなると私は必要ないのではと思わなくもない。だって私としてもハンとジンを中心に撮ってもらった方が嬉しいし。

しかし、そのことを伝えた後の明日香ちゃんといったら…。


「いい!?セーラー服はかわいい!シベリアン・ハスキーはかっこいい!でも相反するものがイコールミスマッチとは限らないの!互いが互いの魅力を引き出し合う…どちらかが引き立て役になるわけじゃない、つまり前後の関係ではなく左右の関係!アンバランスなようでいて絶妙な調和!そこからにじみ出る危うさすらもまた魅力!そうそれすなわち“ギャップ”よ!!Do you understand!?」
「Oh…ゆーあーくれいじー…」


怒濤の勢いで演説が始まってしまって言葉にしたことを後悔した。エキサイトしすぎだろう、明日香ちゃん。

いろいろ説明してくれているところ悪いが、やっぱりよく分からないと言うと彼女は少し悩んだ後に「普段ふわふわしてかわいい男の子を想像しろ」と言ってきた。大真面目な顔で何を言っているんだと思わなくもない。とりあえず言われるがまま、ジローさんを頭に思い浮かべておいた。次に「その子のクールな表情、あるいは不意打ちのかっこよさを想像しろ」とのご指示が飛び、私も頑張って想像する、想像、する…想像…。


「できない…。ジローさんのかっこいいところとか想像できない…」
「ジローさん?彼氏?好きな人?」
「いや、友達…なのかな?」
「私に聞かれても分からないわよ」


ジローさんは学校が違う上に年もひとつ違うため、すんなり友達と呼ぶことができない。先輩とも呼べないし、かといって知り合いと称するほど浅い仲ではないだろう。これが裕太くんなら迷わず友達と呼べるのに、中学生とはなまじ上下関係がある分難しいものである。

そんな風に私が思考を明後日の方向へ飛ばしている間も、明日香ちゃんは次の例えを探しているようだった。このままプールの縁に座り込んでいても構わないが、そろそろ頭頂部の温度がえらいことになっていそうだ。善は急げと手をつないだまま日陰へ避難し、試しに触った明日香ちゃんの頭はやはり熱かった。しかし、なおも明日香ちゃんの内なる熱気は冷めやらぬ。


「かわいいがダメなら…逆ね、逆パターンのギャップ」
「逆?」
「つまりこういうことよ。まず普段クールでかっこいい人を想像して」


クールでかっこいい。これを聞いて真っ先に浮かんだのはなぜか仁王先輩だった。解せぬ。しかし仁王先輩のイメージを上書きするより先に明日香ちゃんが次のイメージを説明し始めてしまったので、私は仕方なく頭の中の仁王先輩をそのままにした。


「じゃあ、その人が柔らかく笑ったら?」


明日香ちゃんの目が、優しく細められる。脳裏をよぎったのはふにゃりと笑う仁王先輩の姿。ハンとジンを抱き締めてかわいいと言った、あのときの顔。思い出した瞬間に顔が熱くなった気がしたが、これはたぶん直射日光に当たりすぎたせいなので違う。その証拠に明日香ちゃんが心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。でもシャッターを切るのを忘れない辺り、彼女は将来いいカメラマンになりそうだ。

教室へ戻る道すがら、沙耶を例にあれやこれやとギャップというものの素晴らしさをレクチャーされて気づいたのだが…彼女は最初から普段クールでかっこいい人、つまり沙耶という身近な存在を例にギャップなるものを教えようとしていたようだ。それならそうと言ってくれればいいのに。仕返しの意味も含めて背中を叩くと、思いっきり頬を引っ張られた挙げ句その顔をカメラに収められてしまった。ガッデム。彼女は将来いいゴシップカメラマンになりそうだ。

後日、ハンとジンの写真を見た彼女がまた鼻息荒くギャップなるものの演説を始めた件については省略させていただく。うっかりかわいい写真を厳選して見せた私が悪かった。




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