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一人より二人、それよりたくさん



次の日から早速明日香ちゃんによるモデル特訓が始まった。といってもカメラに向かってポーズを決めてにこっ!というものではなく、カメラを意識せずに自然体でいられるようにする練習だ。早い話がカメラに慣れろとのこと。ほとんどじっとしていたようなものだが、二時間近くレンズを向けられ続けてさすがに疲れてしまった。

今日はこの辺にしといてあげる、と楽しそうに笑う明日香ちゃんに別れを告げ、ぐったりしながら夕焼けの中を自転車で突き進む。そういえば母に帰りがいつもより遅くなると言っていなかった気がする。家に着いて車庫に自転車を入れながら携帯電話を確認すると、案の定母からメールが来ていた。しかしなんというか、内容がおかしい。


「“寝ちゃったわよ”って…何がだよ」


相変わらず母の言葉には主語がない。ハンとジンのことを言っているのだとしたらニュアンス的に私のことを待っていたのにふて寝してしまったということになるが…ちょっと待てそれ一大事じゃないか。慌てて車庫を飛び出し、玄関に鍵を差し込み、ドアを開く。しかしどういうわけか出迎えてくれたのはいつもと同じ面子だった。


「た、ただいま!ハンとジン、は…あれ?起きてる?」
「おかえり。あんたの帰りが遅いから待ちくたびれて寝てるわよ」
「は?誰が」
「仁王兄弟」


仁王兄弟って阿吽みたいで強そう。じゃなくて。リビングから出てきた母に言われて視線を落とせばたしかに見覚えのある靴が二足並んでいる。ひとまず嬉しそうにしっぽを振る愛犬たちの頭を撫で、まさかと思いつつリビングを覗くとブランケットをかけて仲良く眠る仁王兄弟の姿があった。こいつら人の家でくつろぎすぎだろう。

壁には二つのラケットバッグが立てかけられている。雅樹はスクール、仁王先輩は部活が終わってから真っ直ぐ我が家へ来たのだろうか。母に事情を聞くと説明するの面倒くさいの一言でぶったぎられてしまったので、起きたら雅樹にでも聞いてみることにする。仁王先輩はどうせプリだのピヨだのとまともに答えてくれないに決まっている。


「荷物置いたらとっとと夕飯作るの手伝いなさい」
「命令形ですか…」
「当たり前でしょ。ほら、にんじんとじゃがいも洗って皮剥き」
「今日カレー?」
「食べ盛りの男が二人もいるからね」


冷蔵庫から必要な材料を取り出す母。着替えに部屋へ上がるのも面倒だったので制服の上からエプロンを装備し、流しで野菜たちを洗う。顔を上げればリビングで眠る仁王兄弟がすぐに見えた。ハンとジンは二人に寄り添うようにして丸まっている。

うまく言えないのだが、その光景に胸の奥がむずむずした。私にも兄弟がいたらこんな感じだったのだろうか。自分と母以外の人が当たり前にいて、一緒にご飯を食べて、気を許せて、だらだらと気の抜けた格好を見せても構わないような。


「ほら、手が止まってる」
「…へーい」
「どっちが先か仁王くんちのお母さんと賭けてるんだから、さっさと落ちなさいよ」
「すんません、なんの話ですか」
「あんたの話に決まってるでしょ。ああ、仁王くんのお父さんとお母さんは仕事で帰りが遅くて、お姉ちゃんはバイトでいないから」
「おかん…これは会話のドッジボールや…」


それも外から一方的にぶつけられるやつ。ピーラーで皮を剥いたにんじんをため息混じりに渡すと慣れた手つきでリズムよく切り、早く次をよこせと左手を私に向ける。そんな作業を何回か繰り返していたらのそりと起き上がった仁王先輩が目をこすりながらキッチンへとやって来た。


「なんか、俺も手伝います…」
「あら、まだ寝てても構わないわよ」
「キッチンに三人も入りませんよ。何かしたいならハンとジンのブラッシングでもしててください」
「ん…」


小さく頷いたと思ったらまたふらふらした足取りでリビングへと戻って行った。そして言われた通りブラッシングをしている。寝ぼけているときは素直で扱いやすいとはいい発見をした、とこっそりほくそ笑むも、まあ今後活かせる機会があるとも思えないのだがとすぐに肩を落とす。

なんやかんやカレーが出来上がる頃には雅樹も起き、ハンとひたすらお手とおかわりをして遊んでいた。そのうち仁王先輩&ジンのペアとお手・おかわりの速さを競う妙な遊びを始めていたのだがまあそれは置いておいて。


「ほら、二人ともさっさと手洗ってご飯よそっちゃいなさい」
「お皿はこれね」
「ありがと!うちのカレーよりうまそー」
「それは言うたるな」


四人分のカレーとサラダが並ぶ食卓。四人のいただきますがばらばらに響いて、サラダの取り皿がどうの、ドレッシングがどうの、福神漬け出すの忘れただのといった当たり前のやり取りの中に仁王兄弟がいる不思議。仁王先輩は前に何度か我が家でご飯を食べていた分を差し引いても馴染みすぎだと思う。


「ねえねえ、佳澄姉ちゃんなんで今日帰りが遅かったの?」
「それは写し…ん部の子の手伝いしてたから…。あ、お母さん、これからもたまに遅くなるから」
「ふーん」
「そういえば仁王先輩こそなんで私より先に来てたんですか?」
「今日はミーティングだけじゃったからの。ほんで、姉貴から雅樹とおまんちで夕飯ごちそうになれっちゅーメールが来た」
「お母さんがうちに来るように言ったのよ」


なるほど、そういう経緯があったのか。口の端にカレーをつけている雅樹にティッシュを差し出しつつ、母はいつの間に仁王家と交流を持ったのかと首を傾げる。さっきも仁王ママとの賭けがどうのと言っていたし、私の知らないところで妙なご近所ネットワークがてきていたようだ。

なんにせよ、賑やかな食事は嫌いじゃない。




一人より二人、それよりたくさん

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