top : main : IceBlue : 83/140


甘いお誘い



傘を差し、長靴で水たまりを踏みながら歩く散歩道。レインコートを着たハンとジンの足下でも水たまりが弾け、きれいな毛もすっかり元気がなくなってしまった。

雨の日の夜は見通しが悪く、万が一事故に遭うようなことがあっては怖いのでなるべく散歩には出ないようにしている。そうなると仁王先輩はハンとジンの散歩に行けなくなるのだが、残念ながらテニス部は走り込みと筋トレの中練のみになって普段より早く部活が終るため、夕飯前の散歩に間に合ってしまう。さらに言うと散歩コースを立海まで捻じ曲げられハンとジンと一緒に仁王先輩を迎えに行くような格好にされた。まったくもって忌々しい白髪野郎である。


「今校門着いたんでとっとと出てきてください」
『おう、今行くぜよ。…ん?別に誰でもええじゃろが。…さあのう、丸井の知らん奴じゃなか?』
「はい?なんですか?」
『いいからおまんは黙っとれ。…ほれ、芥川が迎えに来るんじゃろ?とっとと行きんしゃい』
「…よく分からないんで切りますよ。あと五分で来なきゃ帰りますからね。じゃ」


電話の向こうで何やら揉めていたようだが用件は済んだので通話を切った。傘を差してシベリアン・ハスキー二匹を連れて突っ立っているなんて目立つにもほどがある。待つのは五分が限界だ。それ以上は有料です。

携帯をいじろうと視線を落としてすぐ、濡れたアスファルトの上を走る足音が聞こえた。仁王先輩に限って雨の中を走るなんて真似はしないだろうから私には関係ない。それに音は校門の内側ではなく外側から聞こえる。やはり私には関係な…くない。


「あー!ハスキーちゃんだー!久しぶり〜」
「マジマジさん!お久しぶりです!」


なんと、足音の主はいつぞやのマジマジさんだったのである。ビニール傘を差したマジマジさんは初めて見る制服姿で「マジマジさんって俺のこと〜?おかC〜」と笑っている。会うのはかれこれ三度目になるが私たちは未だにお互いの名前を知らない。ここまで来たら赤の他人からお知り合いくらいにレベルアップしてもいいだろうか。


「すみません、名前知らなくてずっと心の中でマジマジさんと呼んでたもんで…」
「じゃあ仕方ないね〜。俺、芥川慈郎。みんなジローって呼んでるC〜」
「じゃあマジマジさんで」
「うん!」


うんって…元気に笑顔で頷いたマジマジさんにそれでいいのかと思ったものの、無邪気な子供のような可愛さに少々してやられた。最近は邪気しかないような白髪野郎と一緒にいたせいかマジマジさんの笑顔が眩しくて仕方ない。

遅ればせながら、飛川佳澄ですと自己紹介するとやはりマジマジさんもハスキーちゃんね!と元気良く返してくれた。結局自己紹介した意味がなかったような気がしないでもないが、まあ慣れた呼び方が一番だろう。


「おー!ジロくんお待たせー…っつーかなんで飛川までいんの?」
「丸井くんだ!やっべー!やっぱ丸井くんかっこEー!!」
「当たり前だろい?…じゃなくて!質問に答えろっての!」
「はあ…喧しいのが増えよったきに…」


本当なら五分経ったところで帰るつもりだったのだが、マジマジさんとなんやかんや話している内に仁王先輩が来てしまった。こっちは面倒なのが増えたとため息をつきたい気分だ。マジマジさんは丸井先輩とこれからに美味しいケーキを食べに行くんだと張り切っていて、対する丸井先輩はハンとジンを連れた私を見てだいたいの事情を察したのか、お前も大変だなあと私の背中を叩いて笑った。


「俺も仁王と同じクラスだから分かるぜ」
「ああ…心中お察しします」
「本人目の前にしてする話じゃなか」
「仁王って見るからにめんどくさそーだもんね〜」
「芥川にも言われたくないのう」
「ああ…ジロくん俺がいねえとすぐ寝るもんな」
「そういえばこの前も公園で寝てましたね」
「あちゃー、はずかC〜…」


私はどちらかと言うとマジマジすっげー!と騒ぐテンションの高いイメージの方が強いのだが、公園で寝ていたマジマジさんの方がデフォルトらしい。この前も俺んちで寝ちゃって大変だっただの、合宿中は試合以外はほとんど寝とっただの、実は昨日も跡部に怒られたC〜だのと話は尽きない。練習が目的である合宿で寝るとは相当な猛者だと思う。

そして四人で歩きだし、くだらないことを話しながら駅前の大通りと公園へ向かう分かれ道までやって来た。本来ならそこで別れを告げるつもりだったのだが、マジマジさんに一緒に行こうよと誘われ、仁王先輩にハンとジンは任せんしゃいと(憎たらしい)笑顔で言われ、丸井先輩に仁王の愚痴なら聞いてやるぜとウインクされたので二人のお邪魔をさせていただくことにした。後ろ髪は思いっきり引かれるものの、ケーキは食べたいしあわよくば仁王先輩の対処法もご教授願いたかったのだ。


「というわけで後はよろしくお願いします。お母さんにはメールしとくんでいつも通りピンポン押してくれればいいですから」
「分かった。さあ、ハンとジンも行くぜよ」
「じゃーねー、におー」
「大会近いんだから風邪引かねえようにしろい」
「プリッ」


揺れる三つのしっぽをほんの少しだけ見送る。すぐにケーキモードに入った私たちはくるりと方向転換し、丸井先輩おすすめの喫茶店へと元気良く歩き出すのであった。




甘いお誘い

←backnext→


top : main : IceBlue : 83/140