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心細い雨の日には



その日は朝から雨が降っていた。もしかしたら梅雨入りしたのかもしれないが、あいにく天気予報はまともに見た試しがないのでよく分からない。

靴が雨で濡れるのが嫌いだからと長靴を履いての登校。しかし残念なことに下駄箱には入らない。よく考えずとも分かることだった。仕方なく二年の昇降口の隅っこに置かせてもらったが、誰かにいたずらされたりしないか少し心配だ。


「ねえ佳澄、今日の放課後ってひま?」
「ひまっちゃーひまだけど」
「幸村先輩のお見舞い、行かない?」


薄暗い空をぼんやりと眺めながら沙耶はそう言った。そういうことならもちろん私もついて行くが、なぜ急にそんなことを聞いてきたのだろうか。少し悩んで沙耶のほっぺたを摘むと目を細め、どこか泣きそうな顔で沙耶は笑った。


「体育館で派手に雨漏りしてるところがあってさ、今日の部活は点検で休みになった」
「そうなんだ」
「…幸村先輩のメールの頻度が落ちてて、少し心配なんだ」
「そ、か…」


私は未だに幸村先輩のことはよく知らない。すごくきれいな人で、意外と冗談好きで、大胆不敵で、後輩想いで、いろんな人に愛されていて…。うん?これは知っていると言ってもいいのだろうか。直接会ったのはたったの一回なのでなんとも言いがたい。

沙耶が幸村先輩宛にお見舞いに行くとメールすると、しばらく経って楽しみにしているよと返ってきた。いつもより長く感じる授業をどうにか乗り越え、HRが終わるなり二人で教室を飛び出す。駅前の花屋で金魚草と迷ったのだが紫陽花を少しだけ買い、何度か行っているから覚えているという沙耶の後に続いて病院へと向かった。雨はやはり、止みそうにない。


「紫陽花の花言葉ってなんだっけ」
「ああ、お店で聞いとけば良かったね」
「幸村先輩は花とか詳しいから、いっつも下手なもん選べねえなあと思いつつ適当に買っちゃうんだよなあ」
「沙耶らしいっちゃ沙耶らしいよ」
「まあね。花とか気にするの柄じゃないし」


おどけたように肩をすくめてみせる沙耶は病室もしっかりと覚えているらしく、迷うことなく入院棟の中を進んでいく。そして幸村精市と書かれた部屋の前で止まり、数回のノックと中からの返事を聞いてスライド式のドアをゆっくりと開けた。


「こんちわっす。調子はどうっすか?」
「うーん、雨が降ってるからかあんまりよくないんだよね」
「あの、こんにちは…お邪魔します…?」
「こんにちは、飛川さん。雨の中来てもらって悪いね」


久しぶりに見る幸村先輩は相変わらず薄幸美人なのだが、心なしか以前より痩せた気がする。それに日を浴びていないのか肌の色が青白く、表情にも覇気がないように見えた。すでにあった花瓶に乱暴に紫陽花を突っ込む沙耶を横目に見て、幸村先輩はまたそういうことをすると口を尖らせる。それに対して沙耶はセンスがないからどうやろうが変わらないと言い訳をして笑い、ベッドの脇の椅子に腰を下ろした。

私も沙耶の隣の椅子に座り、二人の表情を見比べてふむと一人納得したように頷く。どうやら沙耶と幸村先輩は結構な頻度で会っているらしい。その証拠になぜか既視感を覚える減らず口の応酬が続いているのだ。なんで紫陽花にしたの?時期だからっすよ。花言葉知ってる?いえ。元気な女性だよ。幸村先輩にお似合いっすね。可愛くない。元からなんで。…などなど。なんだ、幸村先輩思ったより元気そうじゃないか。


「私、喉乾いたんで飲み物買いに行ってきます。幸村先輩は何か飲みたいものありますか?」
「…じゃあ、紅茶がいいな。一階の売店にしか売ってないんだけど、いいかい?」
「分かりました。沙耶は?」
「あたしはスポドリ」
「了解」


このときの私は、沙耶の心配は杞憂に終わってほっとしているもんだとばかり思っていた。呑気に売店で紅茶とスポーツドリンク、自分用のお茶を買って病室へ戻る。途中で点滴を引きずりながら元気良く(?)散歩している少年とすれ違ったりして、入院というともっと暗いイメージのあった私は少し呆気に取られてしまった。

それから無事迷子になることなく病室へ着き、ノックをしようと右手を持ち上げたところで中から聞こえた声に、私はその場から動けなくなった。


「大丈夫。あたしが言うんだから、絶対大丈夫っすよ」


力強い、沙耶の声。幸村先輩の声はほとんど聞き取れない。ただ、震える声で何かを言っていることは分かる。不恰好に持ち上げたままだった右手を下ろして、私はその階にあるロビーへと逃げ込んだ。

何が元気なもんか。私なんかより幸村先輩のことをよく知っている沙耶が“心配だ”と言うくらいだったんだ、元気なわけがないじゃないか。しかしいまさら心配してます、なんて顔をするのも嫌だ。大胆不敵、幸村先輩にもらった言葉通りの私でいたい。それに、今は元気でなくとも幸村先輩の病気は絶対に治るのだから。

うし、と気合を入れ直して立ち上がる。うだうだ悩んだり考えたりすることは性に合わない。暗い方向へ進むくらいならいっそ吹っ切ってしまった方が何倍も楽だ。


「うぃーっす。飲み物買って来ました」
「…悪いね、ありがとう」
「お金は後でいい?」
「うん。…あ、二人とも手はそのままで。ハンカチはこれ使って」
「サンキュー」
「…参ったなあ。飛川さんにまで見られちゃった」
「弱味ひとついただきました」
「ふふ、そうだね」


病室に戻ると沙耶は幸村先輩の手を握っていて、二人はそろって涙を流していた。その理由を聞くつもりはないが、二人とも私が出る前よりすっきりした顔をしていたのできっといい方向へ転んだのだろう。

私はまたみんなで千羽鶴を折るのもいいかもしれないなあと、雨の上がった空を見て思った。




心細い雨の日には

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