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息をするように嘘をつく



結局、あれから携帯の電源は切ったままにしていた。恐る恐る電源を入れたのは放課後になってからだ。昇降口で靴を履き替え、駐輪場へ向かいながら確認すると仁王先輩から校門で待っていろというメールが来ていて驚いた。まさかと思いつつ校門へ向かえばたしかに他校の制服を着た生徒が一人立っているではないか。しかしあれは…。


「まさかとは思ったけどそれよりまさか過ぎる…」
「ああ、良かった。まだ帰られていなかったのですね」


にこりと微笑んでみせたのはまごうことなき柳生先輩である。前後左右ぐるっと回って確認してみたがやはり柳生先輩である。とりあえずこんにちはと挨拶をして部活はどうしたのかと聞いてみると、一旦抜けてガットの張り替えに出したラケットをこれから受け取りに行くのだという。それならばなぜこんな所にいるのかと聞けば、仁王くんに頼まれてしまいましてと彼は苦笑を浮かべた。十中八九、昼の電話のことだ。


「仁王くんは“自分が行っても逃げられるだろうから”と言っていたのですが…」
「ああ…その読みは正しいですね…。とりあえずラケット取りに行きません?歩きながら話しましょう」
「はい。そうですね」


ゆっくりと歩き出した柳生先輩はごく自然な動作で道路側を陣取り、歩幅も私に合わせてくれるので仁王先輩とはえらい違いだなと思わず感心してしまった。紳士だ。変質者と勘違いしてしまった私が言うのもなんだが彼はとても紳士だ。

はじめは歩きながら部活や学校の話題など当り障りのない話をしていた。きっと明日には誰かしらに柳生先輩のことを聞かれるのだろうと思うと憂鬱ではあったが、今は忘れておくことにする。そして信号待ちを見計らったのか、柳生先輩は私の顔を覗き込むようにして眉尻を下げた。


「あれから何か変わったことはありませんでしたか?」
「はい。至って平和なもんですよ」
「それは何より。…あ、いえ、そもそも何もなければあなたが気に病むようなこともなかったのですが…」
「柳生先輩が気に病んでどうするんですか。お気遣い無用!こうやってピンピンしてるんですから、ほら」
「ふふ、飛川さんはお強いですね」


信号が青に変わり、再び歩き出す。ようやく柳生先輩が本題に触れてくれたのだ。ここから先は私から切り出そう。柳生先輩の目的地がここからどれくらい離れた場所にあるのかは分からないが、中途半端なところで話が終わってしまうよりはその方がいいに決まっている。


「ラケットを引き取ったら学校に戻りますか?」
「はい。練習には参加するつもりです」
「じゃあ仁王先輩に伝言をお願いします。“ハンとジンも待っているので余裕のあるときにでもまた来てください”と」
「…分かりました。戻ったら彼に伝えておきましょう」


私の気のせいかもしれないが、一瞬だけ柳生先輩の表情が強張った気がする。やはり練習後に体を休めず振り回してしまうのはチームメイトとしてもいただけないだろうか。そう考えると怖くなって、やっぱり今のはなしでと言うと柳生先輩は慌てたように言葉を遮ってきた。仁王くんの今までの生活を考えるとむしろその方がいいとフォローしてくれたものの、結局強張った表情の意味までは教えてくれなかった。

それからスポーツショップで無事にラケットを受け取り、柳生先輩は背負っていたバッグの中へラケットをしまった。ここまでの道中を含め、今の一連の動作の中でふと気づいたことがある。眼鏡は利き手と逆の手で押し上げるだろうからと気にしていなかったが、今ジッパーを開けたのも左手だったのだ。


「柳生先輩って左利きでしたっけ?」
「…いえ、昔は左利きでしたが今は右利きですよ」
「あ、私の友達にもそういう子います。小さい頃に直されたって」
「私もその口ですね。日常生活の中で不便することが多々あるからと」


また最初のときと同じくにこりと笑った柳生先輩。笑みを絶やさない辺りも紳士の務めなのだろうか。正直疲れそうだ。

それから柳生先輩と途中まで一緒に帰り、本当なら家まで送りたいのだがと申し訳なさそうにする背中を押してどうにかこうにか別れを告げた。仁王先輩も大概面倒くさいが柳生先輩も意外と面倒くさい人だ。しかし、これでお散歩の一件も片付いたと思えば気が楽なので、やはり柳生先輩には感謝せねばならないだろう。




息をするように嘘をつく

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