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発言は計画的に



期間にして一カ月半ほどだろうか。仁王先輩が私たちの散歩に付き添ってくれたのは。

打っては消し、打っては消しを繰り返していたメール画面を閉じて溜め息をつく。六月、つまり春が終わった今、すでに記憶の彼方に追いやられつつあるいつぞやのストーカー対策として仁王先輩に散歩に付き合ってもらうという約束の期限を過ぎたことになる。本当なら昨日の内に言えれば良かったのだが、雅樹たちのことがあったのでつい言いそびれてしまった。ちくせう。

仁王先輩のご執心ぶりからして今後も散歩に付き合ってくれるだろうことは分かる。しかし、最初の約束がある以上なあなあにしてしまうのは私がすっきりしないし、何より仁王先輩は全国二連覇を成し遂げた立海のレギュラーなのだ。これから大事な大会を控えているというのに、本人の意思を確認せずに時間を取らせてしまうのはいただけないだろう。

…と、いうのは結局のところ表向きの理由でしかないのかもしれないのだが。


「はあ…なんだってんだちくしょう…」


おとといまでの私なら「ありがとうございました。約束の期限過ぎましたけどどうしますか?」とメールなりなんなりできたはずだ。しかし今の私にはそれができない。ほんっっっとうに!認めたくはないが昨日一人でハンとジンの散歩をしていてもう仁王先輩に付き合ってもらうこともないのかと考えたら…その…あれだ…非常に癪ではあるが寂しいと思ってしまったのだ。我ながら気が狂ったとしか思えない。

ほんの二カ月前は一人で散歩をしていたじゃないか。ハンとジン、そして私。以上。…なのに、思えば仁王先輩は驚くほどすんなりと私たちの間に入ってきた気がする。最初に会ったときにシベリアン・ハスキーに似ているなどと思ったせいだろうか。ああ、くそ、うだうだ悩んでいるのが面倒になってきた。


「暑い」
「夏服になっただけまだマシだろ。で、悩み事は解決した?」
「…さすが沙耶さん。なんで分かったの?」
「あんだけ眉間に皺寄せてりゃ誰だって分かるっての」
「気付かなかった…。とりあえず電話してみることにした」
「そ。よく分かんないけど頑張れ」
「うぃっす」


昼休み、ひらりと手を振る沙耶に背を向けてベランダへ向かった。日差しがもろに差し込むこの時間、ベランダに出ている生徒は少ない。電話帳を開き、仁王先輩の携帯へかけてコール音が一回、二回、三回。それが途切れて一拍、仁王先輩の第一声は“珍しい”の一言だった。


『おまんが電話とは珍しいな。まあ、用件はだいたい分かるが』
「なら話は早いですね。あ、今電話してて大丈夫ですか?」
『構わんから続けんしゃい』


後ろで赤也たちの声が聞こえていたのが遠ざかって、重い扉を閉じるような音が聞こえた。途端に電話の向こう側が静かになり、どうやら場所を移動してくれたらしいということが分かった。こう改められると逆に切り出しづらい気がしないでもないのだが。


「えーっと…ハンとジンのお散歩なんですけど、ストーカーの件はもう片付いたと見てもう一人で出ても大丈夫だと思うんです」
『…まあ、春の間だけっちゅー約束やったしな』
「はい。とりあえず今までありがとうございました」
『おう』


参った。どうして私はこんなに緊張しているんだ。いつも隣で話そうが話すまいが大して何も思わず、思うとすればこの白髪野郎とかそんな感じだったはずなのに普段の調子が分からない。いや、この白髪野郎が普段の調子か。しかし、ありがとうございましたの後に続ける言葉が見つからない。

聞きたいこと、これからどうするか、それだ、それをきちんと聞かなければ。…とは思うのに、頭の中で急いで組み立てた文章は私が意図していたものと少々違う形になってしまったのである。


「もし仁王先輩さえ良ければこれからも散歩に付き合ってくれませんか?」
『…は?』
「…は、あ、いや、うそ…え!?待った!今のなし!違う!お、おととい来やがれこの白髪野郎!!」
『ま、』


ぶつり。携帯の電源を切ると同時に盛大に頭を抱えた。自分が何を口走ったかなんて考えたくもない。なんだよおととい来やがれ白髪野郎って…いや問題はそれより前の発言なのだが今はそちらに気を取られていたい。

ベランダに出る前より憔悴した顔で戻ってきた私に、沙耶は「佳澄は悩むと失敗するよな」と楽しそうに笑っていた。それを先に言ってくれ。




発言は計画的に

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