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忍び寄る夏にダウン



立海男子テニス部は無事地区大会を突破し、県大会への切符を手に入れたそうだ。昨日、突然深雪から「優勝したの!」という電話がかかって来たときは驚いた。しかし、それよりもっと驚いたのは私が興奮気味におめでとうと言った途端に深雪が泣き出してしまったことだ。なんでも「常勝を掲げる立海大がこれくらいのことで浮かれてはならない」と真田副部長に言われたらしく、決して叱りつけるような口調ではなかったが悲しかったのだという。


『テニス部のみんなも学校のみんなも、相手校ですら勝って当たり前みたいな雰囲気なのよ?私、本当に嬉しかったのに…』


それを分かち合える相手がいない。同じように喜んでくれる相手がいない。…とても強い学校というのも、やはりそれはそれで考えものということか。うまい言葉は何も思いつかなかったがそういうことは遠慮なく私に報告して欲しいと伝えた。あと深雪を泣かせる原因を作った真田先輩の株はしっかり下がったとも伝えた。今度会うことがあったらぜひとも一言申し上げたいものだ。

そしてこの大変由々しき事態にも一言申し上げたい。日中の最高気温が二十七度を超えたとはどういうことか。誰の許可を得て五月にこんなくそ暑い天気にしやがった。おまけに衣替えは六月に入ってからなので制服は未だに冬服なものだから暑い、とにかく暑い。


「エアコンつけろくそやろう…」
「言うのはいいけど日誌に書くな。後で高崎に怒られてもしんねーぞ」
「うう…あつい…とける…」


こんな日に限って私は日直。日誌の今日の出来事の欄に呪詛のごとくあついという文字を連ねていったら余計に暑くなった。スパッツを穿いているからと限界までたくし上げたスカートはすぐに沙耶の手によって下ろされてしまったのだが、どうせこんなカブを見る奴はいないのだから許して欲しい。本当ならこのセーラー服も脱いでしまいたいくらいなのを我慢しているのだから。


「ハンとジンのお散歩どうしよう…夕方じゃまだ暑いよこれ…」
「あたしらも体育館がこもるから困るんだよなあ。扉開けるとボールが外に出るし」
「そっか、風もあんまり入らないもんね」
「そうそう、外で陽に当たるのもキツイけど中は中でキツイんだよ」


ふう、と溜息をついた沙耶の額にも薄く汗が光っている。放り出していた下敷きで煽ってあげると気持ちよさそうに目を細めていて、その顔がなんとなく頭を撫でてあげたときのハンとジンの顔に似ていてとても癒された。

しかし、案の定放課後になっても引かない熱気に私はがっくりと肩を落とした。夏を乗り切るためにも少しずつ暑さに慣れてもらいたくてハンとジンを連れ出したが、いつもよりゆっくりとした足取りに申し訳なさが込み上げてくる。

公園に着くと愛犬たちは日影の中に座り込んでしまい、同じく精神的ダメージを負っていた私もベンチに尻が溶接されてしまったがごとく動けなくなる始末。よっぽどげんなりしていたのか、公園で遊んでいたちびっこたちも心配して私のそばで遊んでくれるわで今日無理して来たのは失敗だった気がする。せめて夜まで待てば良かった。


「佳澄姉ちゃん大丈夫?顔赤いけど」
「日焼けしたのかもしんない。にしても子供は元気だね」
「佳澄ねーちゃんじじくせー!」
「おいこら性別まで変えんなクソガキ」


いつぞやのパシリの少年は心配そうに私の顔を覗き込んでくれたが、どこぞのクソガキはけらけら笑いながらこちらを指差してきたのでくすぐりの刑に処してやろうと腰を浮かせた。しかしその瞬間、視界が白く飛んで天地の区別がつかなくなり、慌ててベンチへ手を伸ばすも目測を誤って額を打った。冗談抜きで(いろいろと)痛い。


「い、いたい…」
「お、俺のせいか!?俺まだなんもやってねーぞ…!」
「今のはちょっと立ちくらみがしただけだから…」
「祥平、ハンとジンにリードつないで。佳澄姉ちゃん立てる?家まで送るよ」
「ちょっと待って別に一人で帰れるから…」
「いいからほら、乗って」
「お、おんぶ、だと…?重いからいいってホント、勘弁してください…」
「テニスで鍛えてるから大丈夫だよ」


パシリ少年がどえらいイケメンなんですが意味が分からない。小学生におんぶしてもらう中学生ってどうよと葛藤する私を置いてけぼりにして、祥平と呼ばれたクソガキはすでにハンとジンにリードをつないでいつでも出られる状態。目の前には動かざること山のごとしなパシリ少年の背中。…ええいままよ!潰れても知らないからな!


「よっと。佳澄姉ちゃんちってたしか俺んちに近かったよね」
「うぃっす。ホントごめんね、パシリ少年」
「パシリって…うわ、まだそれ覚えてたの?ちゃんと雅樹って名前があるんだけど」
「初めて知った」
「なあまさきー、パシリ少年ってどういうこと?」
「祥平には関係ない」


パシリ少年もとい雅樹は本当に私を家までおぶって送り届けてくれた。母には当然のごとく笑われ、熱を測ってみると三十八度二分と立派に風邪を引いていてさらに笑われた。普通の母親なら心配するなり呆れるなりするのだろうが残念ながら我が家の母は規格外なのでこれには当てはまらない。

雅樹と祥平には今度何かお礼をしよう。あと何も知らずに我が家へ来て当たり前のように一人でハンとジンの散歩に行ってくれた仁王先輩にも何か…お礼をした方がいいのだろうか。あの人が欲しがりそうなものなんて思いつかないのだが。

あれこれ悩んでいるうちに熱が上がってきた気がするので、まあ次に会ったときにでもリクエストを聞くことにしてその日は眠りについた。




忍び寄る夏にダウン

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