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冗談じゃない



家に帰って母と父に変質者を捕まえたことを報告した。母は笑って、父は顔を青ざめさせて、だけど最後には口をそろえて“無茶はするな”と私を叱った。それから部屋に戻って沙耶に電話した。ごめん、と言ったらやっぱり沙耶も“無茶はするな”と私を叱った。それで“無事で良かった”と笑ってくれた。

…と、ここで終わればいい話に聞こえないこともなかっただろうが問題はこの後だ。いや、むしろこの前にやってしまったことがそもそもの原因なのだがとにかく厄介なのはこの後だった。


「だから俺見たんだって!犬連れた女が男蹴り飛ばして押さえ付けてたとこ!」
「なにそれ怖っ。ホントに女かよ」
「ぜってー女!なんかめっちゃドス利いた声で怒鳴ってたけど背がちっちゃかった!」
「顔は?」
「暗かったし遠かったから見てねえ。でもそのあとパトカー来てたんだよなあ、昨日先生が言ってた変質者捕まえたのかも」


そんな噂がどこかのクラスから流れ始め、最初こそ私と特定されるのも時間の問題ではとびくついていたのだが、昼を過ぎた頃には“ドーベルマンを従えたゴリラ女”まで尾ひれと背びれと筋肉的なものがついていたのでもう気にしないことにした。ちなみに沙耶は私を見ながら腹を抱えて笑っていた。

そして放課後、駐輪場で自転車に跨がろうとしたところで深雪から着信が入った。恐らく部活動が始まる前にかけてきたのだろう。なんだか嫌な予感しかしなかったが深く考える前に通話ボタンを押してしまっていた。


「もしも、」
『昨日の夜、何かあったでしょう』


開口一番、疑問符のない言葉で遮られた。どうして深雪がとか、どこまで知ってるんだろうとか、そもそも変質者のことなのかとか、それを話していなかった罪悪感だとか、いろいろなものが頭の中を回ってお腹が痛くなった。まるで叱られた子供だ。

一拍置いて話し始めた深雪はこちらで流れていたのと同じような噂を聞いたのだと言った。深雪の機転でシベリアン・ハスキーではなくボルゾイを連れた、に改変したらしいが…ボルゾイって。みんな大型犬好きだな。

そしてやはり、変質者を捕まえた旨を白状するともうそんなことはしないでと叱られた。私もつい言い訳じみたことを二、三口走ってしまい、最後にはまたごめんなさいと言葉尻を濁す。深雪はしばし沈黙したのち、どこか焦ったような口調で立海に来て欲しいと言い出した。よく分からないが断る理由もないので…再びやって来ました立海なんちゃら中学校。他校の制服めっちゃ目立つ。


「自転車どうすればいい?」
「適当に駐輪場に停めていいわ」
「制服なんだけど…大丈夫かな?」
「合同合宿の打ち合わせってことにしておくから大丈夫よ」
「こ、これどこに向かってるの?」
「部室よ。さあ、着いたわ」


険しくも凛々しく美しい表情の深雪に腕を引かれ、勢い良く開かれた扉の向こうにはファミレスで会ったメンバーが勢揃いしていた。ちょっと待て、なんだこの物々しい雰囲気は。全員が席について神妙な顔をする中、呑気な赤也が醸し出す空気だけが私の救いに見えないこともない。


「すみません、状況が全く飲み込めないんですが」
「私が柳先輩に相談したの。なんだか増えちゃったけど」
「ワカメか」
「おい、こっち見ながら言うな」


とりあえず座るように促され、私は赤也と深雪の間の椅子に座った。仁王先輩が何かを訴えるような目でこちらを見ていたので、ハンとジンならいませんと言うとあからさまに肩を落とした。で、その隣の丸井先輩に頭を叩かれていた。いやいや、本当に私はなんで呼ばれたんだ。


「嫌なことを思い出させるようで悪いが単刀直入に聞く。…変質者に遭い、それを捕まえたのは飛川で間違いないか?」
「は、はい」
「どの辺りで遭ったかは覚えているか?」
「最初はたしか…一小近くで、次の日は緑地公園の帰り、その次が三小学区の住宅地で、昨日は家からそんなに離れてない場所で」
「はあ!?四日連続!?つか範囲広っ!」
「うお、びっくりした」


柳先輩が広げた地図を指差し、大まかな位置を思い出しながら話していると突然丸井先輩が身を乗り出した。驚いて私が身を引くと、仁王先輩とは逆隣に座っていたジャッカル先輩がきちんと座るように促す。

みんながまた落ち着いた頃を見計らい、柳先輩は地図から視線を上げて質問を続けた。


「男に遭った時間帯は?」
「あー…結構バラバラだったので覚えてないです」
「では、その男は飛川の知る人物か?」
「いえ、初めて見る人でした」
「何か声をかけられたりは」
「蹴り倒したときに呻いていたくらいで…」
「…武術の心得があるのか?」
「ないです」


ふむ、と頷きながらノートに何かを書き込む柳先輩。赤也が覗き込もうとしたらすぐに閉じられた。見たいけど見たくないな、あのノート。


「飛川が変質者に遭う前、立海でそのような被害は出ていなかった」
「じゃあ私が最初に見つけたってことですか?運の悪い…」
「いや、その可能性もないことはない。が、もっと別の可能性がある」


出没地域は広範囲に渡り、四日連続。しかし時間帯はバラバラで下校時刻からはずれている。遭遇したのは私だけで、他に被害は出ていない。

部室に備え付けられたホワイトボードに柳先輩のきれいな文字が列なる。何人かがまさかと呟き顔を青くする中、私と赤也だけが理解できず首を傾げた。


「柳先輩、別の可能性ってなんすか?」
「すみません、私も分からないんですが」


私がおずおずと手を挙げると部室内の空気が固まった気がした。いつになく険しい表情の柳先輩、そして深雪。…あれ?なんだこの空気、いや、だって、あれはただの…。


「…ストーカーだ」


そんなバナナ。

思わずそんな言葉が頭を過った。




冗談じゃない

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