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大馬鹿者



私は非常に苛立っていた。ここ二、三日ほど胸くその悪い出来事が続いているせいだ。そして私の予想が正しければなんらかの対策を取らない限りこの胸くその悪い出来事は春が終わるまで続く。冗談じゃない。これ以上ハンとジンの神聖なるお散歩タイムを邪魔されてたまるか。


「というわけで沙耶、金属バットか何か持ってない?あ、ゴルフクラブでもいいかな」
「なんに使うんだよ」
「ちょっとタマでもぶっ放そうかと思って」


無表情のままそう告げたら隣の席の男子が股間を押さえてこちらを見た。安心しろ。私の標的はお前じゃない。一方沙耶は呆れたような顔で「これだから春先は」と溜め息まじりに呟いていて、今ので分かったのかと驚いてしまった。


「とりあえず場所と時間帯と相手の特徴を先生に報告。自分一人でどうにかしようとしない。しばらくはその場所を避ける。分かった?」
「うへーい…」
「分 か っ た ?」
「…はい」


有無を言わせぬ様子の沙耶に私はしょんもりしながら頷いた。

端的に言うと変質者に遭った。露出系の。感想としては小さい頃に見たお父さんのと形が違うなという程度であとはただひたすら胸くそ悪かった。ハンとジンになに小汚いもん見せてくれてんだ。正直ホームランぶちかましてやらないと気が済まないが、先生にも沙耶と同じようなことを言われてしまったので我慢する。

…と、ここまでが今日学校での話。緊急で開かれた職員会議では最終下校時刻の繰り上げが決まり、なるべく一人で帰らないようにとの呼びかけがされた。私は部活動に所属していないので早めに帰れたが、問題はハンとジンのお散歩だ。夕飯の後のジョギングは近場だけで済ませた方がいいかもしれない。そう思ってコースも昨日とは変えて、動きやすい格好で街灯の下を走っていたのに。

向こうから走って来た人に乳を揉まれた。

すれ違い様の犯行だった。一瞬何をされたのか分からなかったが次の瞬間には全力疾走でそいつを追いかけていた。いやなんでここで追いかけるんだよと思わなくもないが、そのときの私は最近のイライラもあって怒りが沸点を超えてしまったのだ。致し方ない。


「待てこらてめえ!!ぶっ潰す!!!」
「ひぃっ…!?」
「ハン!ジン!ゴーアヘッド!!」


振り返った男は私たちを見て情けない悲鳴を上げた。走り出せ、のコマンドに従い前へと躍り出た愛犬たち。私の声から男に対する感情の類いを察したのか、滅多に耳にすることのない低い唸り声を上げている。二匹のシベリアン・ハスキーに気圧され、男が足をもつれさせた。あの顔、忘れもしない。昨日もおとといもその前も粗末なもん見せやがって!


「おら捕まえたぞカス!!」
「う、うわああ…ああ…」
「うわあじゃねえよボケ!!てめえ他の子にもやったんじゃねえだろうな!?ああ!?すり潰すぞこら!!」


勢いに任せて男の背中に飛び蹴りを入れ、倒れた男の腕を掴んで背中を踏みつけた。ハンとジンは相変わらず低い唸り声を上げており、もし私が何かされればためらうことなく噛みつくだろう。逃げようともがく男に虫酸が走る。足をずらして踏んだ尻の下にあるものと言ったら…お察し下さい、だ。

変質者なんか本当なら相手にしなくていい手合いなのに。触られたときに“もし他の子が”と考えたら動かずにはいられなかった。学校から報せが行っていたのか、警察の人は電話をしてすぐに来た。男を引き渡し、いつどこで何をされたかを丁寧な口調で聞かれて、逮捕することもできるけど裁判が必要だと言われて、面倒だからそういうのはいいと断った。送るか迎えを呼ぶかしようかと聞かれたがそれも断った。あとは警察からの厳重注意やなんやらのために男だけ交番に連れて行かれるようだ。遠ざかるパトカーを見送り、詰めていた息をようやく吐き出す。


「はあ…馬鹿だ、私」


今さら震え出した手が情けないったらない。沙耶との約束も早速破った。あとでちゃんと謝ろう。今日は厄日だとまた溜め息を吐いたが、前にもこんなことを思った気がするからきっとそのうちどうでもよくなるはずだ。うん、きっとそうだ。




大馬鹿者

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