top : main : IceBlue : 140/140


輝く世界は回り続ける


静かに音を立てて、針が進む。いろいろなことを考えた。丁度一年前、初めて会ったときのこと、初詣のときのこと、立海に行ったときのこと。この一年で、本当にいろんなことがあった。

今日で今までの関係が終わるのか、それとも新しい関係が始まるのか。答えはきっと、どちらでもない。例え形が変わったとしても、終わらず、始まらず、続いていくんだ。


「よし、行こっか」


傍らで寝ていたハンとジンの背中を軽く叩き、少し弾みをつけて立ち上がる。部屋にはめかしこもうとして諦めた残骸が散らかっている。母に見つかったらきっと怒られるだろうな。帰ったら片付けよう。

玄関でハンとジンにリードをつないでいると、珍しく母がリビングからこちらにやって来た。しかし特に何を言うでもなく、じっとこちらを見ているだけなので気味が悪い。いつも言いたいことはずけずけ言うくせに、この人は何をしたいんだろうか。


「散歩?」
「うん」
「ふーん。まあ、いってらっしゃい」
「いってきます?」


結局最後までよく分からなかった。おまけにさっさとリビングに戻ってしまった。謎だ。でも、肩の力は少し抜けたかもしれない。

玄関を開けると冷えた空気が顔を撫で、うっすらと広がる星空が私を迎えてくれた。一歩、二歩。いつもと同じ道なのに、心臓は走る前から早鐘を打つ。吐いた息は白く尾を引き、私の後ろへと流れていく。

言うべき言葉は見つからない。告白なんて初めてだ。試しに好きの二文字を口にしてみたが、ただの“す”と“き”で中身が入っていないような気がした。

ポケットの中に突っ込んだひとつの紙切れは、もともと雑に破ったせいもあって皺になっている。まあ今さら大した問題でもない。皺を気にするくらいならあんな書き殴ったような文字を連ねたりはしないのだし。

この道も、よく仁王先輩と歩いた。だいたいが皮肉や憎まれ口の応酬で可愛げもへったくれもなかった。いったい何度“白髪野郎”と呼んだことか。きっとハンとジンも呆れるほど口にしたに違いない。それでハンとジンを取り合って、言い合いになって、どちらかが走って逃げて。


「しょーもないなあ、ホント」


でも、そういうところも好きなのかもしれない。

いろいろ思い出しながら歩いている内、いつの間にか歩調が遅くなっていたらしい。いつもならとうに公園に着いている時間なのだが、まだ五分ほどかかる位置にいる。少し急いだほうが良さそうだ。

歩く速さから駆け足に変えて。公園の入口を過ぎ、奥のベンチを目指す。申し訳程度に並んだ街灯が影を伸ばして縮めてを繰り返す。そして不意に、何か光るものが街灯の下を横切った。


「これ、シャボン玉?」


ふわりと光って、弾ける。シャボン玉が大好きなハンとジンは興奮してリードを強く引いた。離してはいかんと踏ん張ると同時にシャボン玉が流れてくる先を見据える。姿を見なくとも、犯人の予想はついている。

ベンチに腰かけた仁王先輩が、そこにいた。吹き出される小さなシャボン玉たちが、風に乗ってこちらへと流れてくる。

来てくれた。でも、言わなきゃいけない。ここから踏み出したら、もうあとには引き返せない。

仁王先輩を見るのは文化祭振りだから、ずいぶんと久しぶりだ。きっと大丈夫だろうと思っていたのに、いざ姿を見ると怯んでしまう。耳まで響く心臓の音と縫いつけられたように動かない足。そんな私の背中を押してくれた、いや、手を引いてくれたのは、大好きなハンとジンだった。

ぐん、と力強く引かれる手。それに重なるように、いつか見た光景が私の中から引っ張り出される。


暗く、人気のない公園。
ハンとジンがシャボン玉に気付いた。
視線の先を追って、ベンチに腰かけている人を見つける。
私はてっきり、おじいさんだと思って、その人が立ち上がった瞬間に逃げ出した。


あれは、おじいさんじゃなかったんだ。それに、初めて会ったのは一年前の今日じゃなかったんだ。分かった途端、思わず笑みがこぼれた。


「仁王先輩」
「…おう」
「お久しぶりです」
「そう、じゃな」


仁王先輩のぎこちない作り笑い。この人はこんなに下手くそに笑う人だったか。シャボン玉を吹く手を止めたその横に、去年のようなプレゼントの山はない。どうやら一度家に帰ってから来たらしい。

私は仁王先輩から少し離れた位置に腰を下ろした。ハンとジンはもっと吹けと言わんばかりに仁王先輩の膝に足を乗せておねだり中。あれをやられて断れる奴はよっぽど非情か血が緑色かのどちらかだろうと私は思う。


「とりあえず誕生日おめでとうございます。はい、プレゼント」
「…なんじゃこの紙切れは」
「見れば分かりますよ。一回切りしか使えませんからね」
「ハンと、ジンの…一日独占券…。これ、使えるんか?」
「もちろん」
「…ありがとう」
「どういたしまして」


仁王先輩は器用に片手で紙を畳むと、大切そうにポケットへとしまった。

シャボン玉を吹く手が止まる。間にあるのは沈黙。心臓が胸を叩く。緊張から呼吸が落ち着かず、肩が上下する。汗ばむ手の平を握り締め、二文字の言葉を心の中で繰り返す。大丈夫。言える。みんなに勇気をもらった。だから、大丈夫。

最後にひとつ、大きく息を吐き出した。


「仁王先輩。ずっと、好き、でした」


声は緊張で震えて、つかえてしまった。相変わらず息は落ち着かない。震える手を隠すように、強く握り締める。仁王先輩の顔が見れない。返事を聞くのが怖い。今すぐここから逃げ出したい。


「ずっとって、いつからじゃ」
「分かんない、です」
「じゃあ、どこに惚れた?」
「そ、それも、分かんないです」
「顔か?」
「嫌いでは、ないです」
「声か?」
「それも、嫌いではない、です」
「性格か?」
「それはないです」


思わず最後の質問にだけきっぱりと答えると、仁王先輩は喉を震わせるようにして笑い出した。そしてひとしきり笑い終えたかと思うと、額を抑えて伸びをするように体を背もたれに預けた。ああ、と漏れる呻き声。文化祭の時に聞いた声も、ちょうどこんな声だったかもしれない。


「おまんには、いつも敵わん」


そう言って、額を抑えていた手をベンチの上に落とす。私は言葉を挟むこともできず、じっと次の言葉を待った。

そして、仁王先輩の手が、ずっと握り締めていた私の手を取った。少しためらったあと、開いた指先だけを小さく掴む。私はしばらく迷って、ゆっくりと力を込めた。初めて握る仁王先輩の手は、ちっとも温かくなかった。


「さっき、思い出したんじゃ」
「何をですか?」
「初めてここで見かけたときのこと」
「…私もさっき、思い出しました」
「奇遇やのう」
「奇遇ですね」


二人そろって笑うと同時に、涙がこぼれそうになった。喉が焼けるように痛い。理由は分からない。ただ、いろんな気持ちが溢れてしまって、それが堪えられなくなってしまったのだ。

私たちは二人とも前を向いたままで、視線は交わらない。それでいいのかもしれない。最後に仁王先輩はゆっくりと、言葉を紡いだ。


「俺も飛川のことが、ずっと好きじゃった」


とっさに唇を噛み締めて、涙を堪える。それから空を見上げて、涙がこぼれないようにした。だけど気持ちと一緒に溢れてしまって、止められなくなって、何度も袖で拭いながら泣き続けた。

奇遇ですねと震える声で笑う私。仁王先輩も、少しだけ掠れた声で奇遇やのうと笑っていた。

私たちの関係は、終わらない、始まらない。ただ、これからもずっと続いていく。ずいぶんと遠回りはしたけれど、それも含めてすべてがかけがえのないものになった。そして今の私たちを作ったんだ。



狼によく似た風貌の、
厳つい顔した可愛いあいつ。
冬色の宝石がきらりと光る。
ああ、今日も愛しい、



アイスブルーと回る世界




輝く世界は回り続ける

←back|×


top : main : IceBlue : 140/140