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彼の目に映る世界



文化祭二日目。みんな友達が来るだなんだとはしゃいでいる中、最初にやって来た知り合いの姿を見て私は黒板に額を打ち付けたい気分になった。

母だ。まごうことなき母だ。そして傍らには雅樹と祥平の姿もある。もう一人の奥さまはどちらかのお母さまか。…待て、それって、まさか、


「いつもうちの雅樹と雅治がお世話になっとります。私、二人のおかんね」
「い、いやこちらこそお世話になってます…!!


まさかのまさかだった!雅樹のお母さまイコール仁王先輩のお母さまだった!

さて、私の母と仁王先輩のお母さまは例の写真の見物に来たらしい。勘弁してくれ。雅樹と祥平はお母さんが行くなら俺たちも連れてけと駄々をこねてついてきたんだとか。まあそれくらいなら可愛らしいものだ。だからそこ、写真って何とか聞くんじゃない。

そろそろ後ろがつかえそうだったので先を促すと、それぞれ母たちはポーカー、ちびっ子二人はダーツと分かれた。雅樹は持ち前の運動神経の良さあってか高得点を出し、景品の駄菓子詰め合わせを抱えてちょっと嬉しそうな顔をしていた。だが祥平はだめだ。ノーコン過ぎて的に刺さったのが一本だけという有り様。景品は十円ガム三個。残念でした。

そしてポーカーでは我が母が一人勝ちした。薄ら笑いを浮かべた鋭い目でストレート、フラッシュ、フルハウスを連発して仁王母に「今度のランチは仁王さんのおごりね」と微笑んでいるではないか。そこ、リアルに賭けをするんじゃない。一応ここは学び舎だ。

こうして私だけが気疲れする一行が過ぎ、クラスメイトにお母さんすごいねと笑われながら接客すること十分ほど。何やら聞き覚えのある声が廊下から聞こえ始め、その騒がしい一団の先頭がひょっこりと顔を覗かせたことで思わず叫んでしまった。…私ではなく沙耶が。


「おっまえ…マジで来やがったな!!」
「当たり前だろう?行くって言ったんだから。というかなんだいその格好は」
「うるさい。似合ってるからいいんだよ」
「たしかに似合ってるけどさあ」


春のように柔らかな笑みをたたえてやって来たのは幸村先輩だ。これは不意打ちだったのか、沙耶は顔を真赤にしてつっけんどんな態度を返している。

いつもの私ならその光景をにやにやしながら眺めていたことだろう。だが今日はそうもいかない。幸村先輩に続いて真田先輩、柳先輩が現れればその後の流れは嫌でも予想がつく。案の定、順番待ちの関係で教室の外にはいたが丸井先輩、ジャッカル先輩、柳生先輩、仁王先輩の姿もそこにあった。ああ、今すぐ逃げ出すことができたらどんなにいいか。


「ちょっと!誰あれ知り合い!?他校生じゃん!」
「友達の先輩で…まあ、うん。トイレ行ってきていい?」
「その前に沙耶とあの人がどういう関係なのか教えて」
「無理…それならもらす…」
「うん。それ半分答えだよね」


イケメンでムカつくと言いながら沙耶の髪をぐしゃぐしゃにする幸村先輩を見て、クラスメイトはきらきらと目を輝かせた。これは最高のからかいネタだろうから、そういう目になってしまうのもよく分かる。

ゲームの結果は、ダーツ組の幸村先輩、真田先輩、仁王先輩が全員がそろって高得点を叩きだした。特に仁王先輩に至っては真ん中のブルに二本と20が一本の計120点でダントツの一位。本人としては「トリプルリング狙ったんに外した」と納得のいかない様子だったが、見ていた人たちはお客さんも含めてみんな拍手していた。

そして景品の駄菓子屋セットの内、お菓子類は全て丸井先輩にあげておもちゃ類だけを自分で持つ…と思わせて柳生先輩に持たせる辺りが相変わらずだなあと思う。


「…深雪たち、午後になったら来ますけどそれまでいるんですか?」
「おう、そのつもりじゃ」
「校庭の方に屋台が出てるんで、お昼はそこで済ませるといいんじゃないですかね」
「おまんが何考えとるか当てちゃる。特別棟に行かせたくない。…違うか?」


心配せんでもこれから行く。そう言って奴は指で挟んだ構内案内図をひらりと振った。

なかなか教室から出てこない仁王先輩を気にしてか、丸井先輩が置いて行くぞと声をかける。柳先輩が仁王先輩の隣に並び、一言二言話したかと思うと軽くこちらに向かって手を挙げ、一行は去って行った。

心臓が胸の内側を強く叩く。手は少し、震えていた。


「さ〜や〜。今の人は〜?」
「あーもー分かってんのに聞くな!いいから働け!」
「藍田に彼氏とか意外過ぎて…俺ですら彼女いねえのに…」
「お前と比べんなよ」
「他の人もかっこよかったねえ」
「ダーツの人すごかった!狙って当たるもんなんだね、ダーツって」
「そりゃそうでしょ」


またお客さんが流れ始め、それと一緒に先ほどまでの空気が入れ替わる。同じ学校の、見慣れた顔が順にやって来る。

今日兄貴来るんだよね。
景品って何?
うちのクラス打ち上げやるんだって。
外の焼きそば美味しかったよ。
昨日の軽音部すごかったね。
あと回ってないのどこだっけ。

時計を見ても、私の交代の時間まで一時間近くある。仁王先輩が出て行ってどれくらい経っただろうか。もう、展示室には着いた頃だろうか。そんなことばかりを考えていたものだから、視線は無意識の内に特別棟にばかり向いていた。そして沙耶には、私が何を考えているのかすぐにバレてしまった。


「気になるんだろ?一人くらい抜けても大丈夫だから行って来い」
「ホントに?」
「委員長、佳澄ちょっと抜けても大丈夫?」
「うん。なんか用事?」
「そんなとこ。ほら、大丈夫だって」
「う、うん。じゃあ、行く。なるべく早く戻ってくるから」
「おーう」


手を振る沙耶に背を向けて歩き出す。自分の教室を抜け出してからも、最初は少し早歩きになる程度だった。足が止まらなくなったのは人気の少ない階段を駆け下り始めてからだ。今から向かったところで仁王先輩に写真を見られないよう阻止することはできない。それならなぜ向かうのか。単純だ、ただ反応が気になる。それだけのこと。

渡り廊下を走り抜けて、途中で人にぶつかりそうになって、謝りながら展示室を目指して。目的地が見えたところでようやく歩調を緩めて、息を整えた。


「あ」


教室に入ってすぐ、受付にいた明日香ちゃんが声をあげそうになった。しかしそれ以上彼女が何かを言うことなく、ただ黙って仕切りの向こう側を指さす。私も黙ったまま、仕切りの前に座り込んで傍耳を立てた。


「飛川は、こんな表情もするんだな」


自分の名前が出たことで心臓が嫌な音をひとつ立てる。別に声が出そうになったわけでもないが、なんとなく口元に手を当ててしまう。次いで愛しいという気持ちが伝わってくるとまで言われて心臓はいよいよ収拾がつかないほどに暴れだした。今のは柳先輩の声だ。温かい声色だった。


「別に、あいつはいつもこんな顔じゃろ」


今度は仁王先輩の声。他に声が聞こえないところからして、この向こうには二人しかいないらしい。しかし、心臓の次は胃まで痛くなってきた。こんな顔って、どんな顔だ。あの泣きながら笑っている顔のことを言っているのか。私はいつも、そんな顔をしているのだろうか。

ちっとも考えのまとまらない頭に、また柳先輩の声が響く。息遣いが聞こえないよう、物音を立てないよう、私は精一杯体を縮こまらせた。


「そうか。お前には、いつもそういう風に見えていたんだな」


その言葉の後に、しばらくの間。不自然な沈黙の意味が分からず仕切りに耳をくっつけた。かすかに聞こえたのは仁王先輩の呻き声のようなもの。なんだ、この向こうでいったい何が起きているというんだ。

状況はさっぱり分からなかったのだが、柳先輩がそろそろ戻るかと切り出したので私は慌てて展示室を飛び出した。そして教室まで駆け足で戻りながら考える。

あの写真の私は泣きながら笑っていた。そして柳先輩曰く、愛しいという気持ちが伝わってくるらしい。そこから導き出される答えはひとつ。


「じゃあ、いっつもああいう顔してるって思われて当然じゃんか」


ハンとジンがいて私の顔が緩まないはずがない。仁王先輩はハンとジンがいないと一緒にいることもないので、必然的にそんな締りのない顔ばかりを見ていることになる。だからあれは当然の答え。

…頭ではそう考えるのに、顔が熱い。浮ついた可能性を振り払いたくて、必死に否定の言葉を重ねるのに心がそれを許さない。違うって、絶対そういう意味じゃないって、だから、ほら。

顔が赤いのは、走ったせいだから。




彼の目に映る世界

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