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それは私の知らない世界



新人戦が始まったため変則授業になり、賑やかな運動部のいない教室は以下省略。

普段はあまりお世話になることのない保健室の先生が来てくれたりしたが、ほとんどの人がプリントそっちのけで遊んでいる。私はプリントもほどほどに進めつつ遊んでいるので、辛うじてOKということにしておこう。


「いっつも忘れそうになるんだけどさあ」
「んー」
「佳澄って意外と頭いいんだよねえ」
「意外と言うな」


プリントそっちのけで遊んでいる人、明日香ちゃんは欠伸を噛み殺しながらそう言った。右手に握られたペンが紙の上を滑ることはなく、ただくるくると回されるだけ。なんとなく自分のペンを突っ込んで邪魔をすると、弾かれた明日香ちゃんのペンはどこかへ吹っ飛んで行った。ごめん。


「ちょっと、シャー芯折れちゃったじゃん」
「ごめんごめん」
「まあいいや。あ、プリント終わった?ちょっとこれ選んで欲しいんだけどさ」


明日香ちゃんはどこまでもマイペースだ。なんかこう、攻撃的な部類の。机の上に転がされた拍子、砕けた芯の欠片を吐き出したシャーペンを眺めてそう思った。そしてそのシャーペンも本来の役目を果たさぬ内に筆箱へと戻され、代わりに取り出されたのは何かのアルバム。

選んで欲しい。その言葉と合わせて考えれば、アルバムの中身はすぐに分かった。


「文化祭のか!」
「ピンポーン!大判にするやつ、一枚はもう決まってるんだけどね、もう一枚この中から選んでもらおうと思って」
「あんま顔写ってないやつ」
「ないよ」
「マジでか」


ずい、と差し出されたアルバムに一瞬怯む。なぜならこの中身はオール私。ハンとジンもいるとは言え、その全てに私が写っている。これが怯まずにいられようか。いや、いられまい。と心の葛藤を繰り広げること数秒。「私的にはこれとかいいと思うんだけどねー」と明日香ちゃんがアルバムを大きく広げたので私は情けない悲鳴と共にアルバムの上に突っ伏す羽目になった。他の人に見られたらどうしてくれるんだこの野郎。

先生には静かにしなさいと注意され、へいへいと適当に返事をしながらアルバムを机の下へと滑りこませる。これなら周りの人に見られることはないのだが、エロ本を見てるような気分になるのが難点だろうか。


「それじゃ私が見れないじゃん!」
「もう見たでしょ!というか下から手突っ込んでくるな!」
「よいではないかよいではないか」
「あらまよしてお代官様…じゃないよ。撫でるなってば」
「佳澄ってくすぐり平気なタイプ?」
「割と」


話がそれた。私の太ももを撫でる明日香ちゃんの手は叩き落とし、改めてアルバムと睨み合う。ええい、ままよ。このままでは埒が明かん。

思い切って開いた一ページ目。裸足で歩く私と、あとをついて歩くハンとジンの後ろ姿の写真から始まった。そして、木に寄りかかって寝ている写真、枯葉色の草むらを歩く姿、花びらを風に乗せて飛ばす、夕焼けの中に伸びる影、橙色を帯びた冬色の…。いろいろな時間の中の私たちがそこにいた。

ただぼんやりと過ぎていた時間を切り取ると、こう見えるのだろうか。それとも、明日香ちゃんの目には全てがこう映っているのだろうか。思うことはいろいろあったが、結局口から出せた感想は一言だけだ。


「どう?」
「…明日香ちゃんすごい」
「改めて言われると照れくさい」
「いや、でも本当に…すごいよこれ。かっこいいもん」
「うん、まあ…ありがと」


明日香ちゃんにしては珍しく、はにかんだように笑う。これは明日香ちゃんの腕が良かったのだと一目で分かる。だってこれ、私がかっこいいなんてよっぽどだ。

ゆっくりじっくりページをめくっている間、これまた明日香ちゃんにしては珍しく静かにしていた。そして私の様子を注意深く観察している。なんとなく面白かったので知らんぷりを決め込んでいたのだが、ページをめくる手が止まったのを見て、奴はあろうことか机の下に潜り込んできた。パンツが見えるだろうが。


「ちょっと!こら変態!」
「あー、これね!これ私も自信作だよ!」
「聞けや!」
「ちょっとま、痛い!」


ごん、と鈍い音を響かせて明日香ちゃんの頭が机の裏にぶち当たった。先生はすでに注意することを諦めたのか笑うだけだ。明日香ちゃんの落ち着きのなさはどこぞの祥平を彷彿とさせる。あと赤也とか。小学校の通信簿にもう少し落ち着きを持ちましょうとか書かれていたタイプに違いない。ただもう少しくらい立ち直りが遅くてもいいと思うのは私だけだろうか。


「ったー、もろ打った」
「だろうね」
「話戻すけどさ、これいいでしょ?みんな似た雰囲気が出てて」
「うん。なんか私もハスキーっぽい」
「でしょー!あのときしつこく高さ調整してもらった甲斐があったわー」


夕陽も沈みかけて、空が赤から青へと滲む時間帯。最後の夕陽を瞳に受けた三つの横顔。まるで今日の終わりを見届ける狼のようだ…は、さすがに言い過ぎか。でも本当に、そういう印象を受けた。

自分なのに自分じゃないみたい。いつもと同じ格好に、いつも一緒にいるハンとジン。だけど、いつもと違う。仁王先輩にも似ているかもしれないと思ったが、これは口にはしなかった。


「大判にするの、これがいい」
「OK!じゃあこれで先生に提出しちゃうわ」
「他のは使わないの?」
「何枚かはこのサイズで使うよ。他に入れたいのある?」
「いや、あとは任せる」
「ふむ。任された」


返したアルバムを口元に当て、視線を斜め上に流して何やら思案顔の明日香ちゃん。このときはどの写真を使うか考えているんだろうな、くらいにしか思わなかったが、あとになってあれはただ笑いを堪えていただけだと知った。しかしそれもまだ先の話。

写真の世界は狭くて広い。写る世界はレンズの向こう側だけとは限らないのだ。




それは私の知らない世界

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