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広がる輪



体育祭が迫り、体育の授業はその練習が中心となっている。これから秋の涼しさになるだろうと浮かれていられたのも束の間、また地獄の夏日が再来してくれやがったために私はぐったりと日影に座り込んでいた。もうげんなりだ。上げて落とすとはお日様も酷なことをしてくれる。


「佳澄ー。次リレーの練習だって」
「おいーっす…」
「おら立て。ちゃきちゃき歩け」
「あっぢぃよお…」
「んなもんあたしも一緒だっての」


呼びに来てくれた沙耶は、右手に持った青のバトンで私の頭をぽこぽこと叩いている。8ビートを刻み始めそうな気配がしたので渋々ながら立ち上がれば、リレーの選手に選ばれていない人たちに「がんばれー」と気のない応援をされた。なぜ私はリレーの選手になってしまったのか。こんなに暑いなんて聞いていない。

文句ばかりたれる私ではあるが練習はきっちりやりましたとも。負けたくないし、勝ちたいのは私とてクラスのみんなと同じである。おかげで次の授業は疲労でほとんど頭に入らなかった。

そして、この暑さのため今日の撮影はお休みとなり、最高気温が三十度を超えるとの予報が出たので土日の撮影もお休みに。空いてしまったこの土日をどうするかを議題に、リビングで一人脳内サミットを開く。ハンとジンと一日中ごろごろするという有意義な休日も最高だが、何か忘れているような気がしないでもないような…。そう、ハンとジン…もうひとつ何か面倒くさいもの…あ。


「跡部さんか」


そうだ、また忘れていた。跡部さんにハンとジンの自慢をする約束があったのだった。床に寝転がっていた体勢から半分体を起こし、携帯を探す。跡部さんは屋内ドッグランがどうのと恐ろしいことを言っていた気がする。とりあえず忘れない内にメールを送っておこう。ついでにハンとジンの写真も送りつけてやるとしよう。泣いて喜べ。

善は急げと携帯を掴み、ソファで伸びていたハンとジンを撮影し、跡部さん宛にメールを送る。しばらくジンのもふもふに顔を埋めて遊んでいると返信が送られてきた。なるほど、跡部さんらしい。対抗して愛犬の…マルゲリータ?の写真が添付されてきたではないか。アフガン・ハウンドもシベリアン・ハスキーに負けず劣らず美しい。しかし肝心の本文が空とはこれいかに…。

マルゲリータと睨めっこすること数秒、その答えは再び震えだした携帯があっさりと教えてくれた。


『おい、俺だ』
「俺様でいらっしゃいますか」
『そうだ』
「さいですか…」


ツッコミをいただけなかったのは残念だが、要はメールではまどろっこしいので電話をかけてきたらしい跡部さん。迎えの時間はもちろん、どうやら他にも伝えることがらしい。


『明日なんだが…』
『おれもー!おれも行くCー!』
『…今それを言おうとしてたところだ。少し静かにしてろ、ジロー』
『俺のこともちゃんと伝えとけよ!』
『ああ。…聞こえたか?』
「ジローさんは分かりましたけど、もう一人誰か来るんですか?」
『宍戸だ。あいつも犬を飼っている』
「おお!いいですね、いっぱいいた方が楽しいですよ!」


シベリアン・ハスキーが二匹にアフガン・ハウンド、さらに宍戸さんとやらの犬まで加わるとは素晴らしい。どんな子が来るかは当日までのお楽しみにとっておこう。大型犬か、小型犬か…。大穴でシベリアン・ハスキーだったりした日にはもんどり打って喜んでしまう。今から心の準備をしておくべきか。いやその前に宍戸さんって誰だ。

はたと気づいて尋ねようとするとほぼ同時、玄関のインターホンがピピポーンと間抜けな鳴り方をした。これは仁王先輩と雅樹の鳴らし方だ。以前は雅樹だけがこの鳴らし方をしていたのだが、最近は仁王先輩まで真似するようになってしまった。普通逆だろう。…じゃなくて。


「佳澄出て。今魚捌いてるから」
「へいへい」
『来客か?』
「客じゃないですよあんな奴」
『ずいぶんな扱いだな』


呆れたような声色を出した跡部さんは、用件は伝えたから切るぞと言った。私もそれじゃあまた明日と伝えてすぐに通話を切ったのだが、切った後で宍戸さんについて聞き忘れたことに気がついた。うん。どうせ明日になれば分かるのだしあまり深く考えないようにしよう。

通話を切った携帯をポケットへ突っ込み、玄関の鍵を外してドアを開ける。匂いを嗅ぎつけたのか、遊びに行けると思ったのか、あるいはそのどちらもか。ソファでくつろいでいたハンとジンが飛んできたので、開きかけたドアはすぐに閉めた。


「ハン、ジン、ウェイトね、ウェイト」
「おい、俺への熱烈な歓迎を邪魔するんじゃなか」
「あ、ちょっと!こら!何勝手に開けてるんですか!」


ドアの隙間からじと目を覗かせた客じゃないあんな奴、もとい仁王先輩。そしてその後ろで「宅配便でーす」と言いながら小さな箱を差し出す雅樹。仁王先輩はジンの前足を持ち上げて遊んでおり、雅樹は鼻先でくすぐるハンに「ちょっと通してね」と言うとその手に持った小さな箱を私に渡した。

中途半端に浮いた蓋の隙間から見えたのは何やら黒っぽいつぶつぶ。遠慮なく開ければその正体はすぐに分かった。


「ぶどうだ!どうしたのこれ!?」
「親戚から送られてきたやつなんだけどね、いっつも俺たちがご飯食べさせてもらってるお礼にって、お母さんが」
「やった!私果物大好きなんだよねー。二人とも上がっていきます?」
「いや、もう晩飯も近か。今日は帰るきに」


おお、ちょっと意外だ。思わずまばたきを繰り返してしまった。てっきりハンとジンと遊びたがると思った仁王先輩は、母に挨拶するとすぐに雅樹とともに帰って行った。こうして私は明日の跡部さんのことを言いそびれたというわけだ。なんだか今日は言いそびれてばかりな日である。


「あ、跡部さんにリムジンやめてくれって言うの忘れた」
「ぶどう没収」
「なんで!」


さすがの母もリムジン横付けは嫌らしい。跡部さんが空気を読んでくれることを願うばかりだ。




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