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油断大敵



結論から言おう。私は馬鹿だった。


「おまんが写真のモデルとは面白い。他の連中も誘って見に行くかのう」
「か、勘弁してください本当に…!」


昨日、おとといは結局我が家に来なかった仁王先輩だが、今日は学校が終わってすぐ来たらしい。私はそのとき、すでにハンとジンを連れて学校へ向かっていたので知らなかった。そして私とハンとジンの留守中に我が家へとやって来た仁王先輩は母から事情を聞き、帰宅前に再び我が家を訪れ、わざとらしい口調であれこれからかってきているという次第。もう一度言う。私は馬鹿だった。


「写真なんて言わなければ…散歩って言ってれば…」
「遅い遅い。もうこの耳で聞いてしもうた」
「引きちぎっていいですか」
「ダメに決まっとろうが」


はあ。これが溜め息をつかずにいられようか、いやいられまい。ただでさえ自分の写真を人に見られるのは恥ずかしいというのに、A2というポスターサイズなのだから恥ずかしさは倍増する。しかも相手は仁王先輩。…想像したら玄関でうずくまる程度には恥ずかしかった。

さて、ここで気がついたことがひとつある。仁王先輩は私より先に来ていたので今現在私より一段高い所にいるのだが、玄関には家族以外の靴が二足あるのだ。大きい方が仁王先輩として、小さい方は雅樹のものだろうか。どうやらこの兄弟はまた人がいないときに勝手に上がり込んでいたらしい。もう慣れたけど。


「雅樹も来てるんですか?」
「おう。夕飯の手伝いしとる」
「ふーん」
「…親は帰りが遅いし、姉貴も遊びに行っとっておらんちゅーたら呼ばれたんじゃ」
「ならよろしいです」
「よろしいんか」
「ご飯はみんなで食べた方がおいしいですから」


二人でハンとジンの足を拭いてやりながらそんなやり取りをした。仁王先輩との会話はいつも、中身なんてあってないようなものだ。真面目に聞けば適当にはぐらかされて馬鹿を見る。だが、最近ははぐらかさずに答えてくれることが増えたような気がする。そのことに気がついたのは、仁王先輩がジンを抱きかかえる後ろ姿を見たとき。…天変地異の前触れか何かだろうか。

どうせまた奴の気まぐれだろうと欠伸を噛み殺し、鼻をひくつかせるマイエンジェル・ハンを抱きかかえてリビングへ向かう。本日の夕飯は肉じゃがか。私は和食の方が好きなので万々歳だ。


「佳澄。ハンとジンのご飯、用意しといて」
「はーい」
「雅治くんは手洗って、お箸を出してくれる?」
「はい」
「仁王先輩がはいとか似合わな…っだ!」
「あんたは口じゃなくて手を動かす」
「ういーっす…」


母は口じゃなくて手がよく出る…と、これ以上余計なことを言うと何をされるか分かったものではないのでお口はチャック。大人しくドッグフードのケースに計量カップを突っ込み、ハンとジンのお皿に順に入れていく。水も新しいものに替えて、ぶんぶんと尻尾を振るマイエンジェルの姿をしっかりと堪能し、涎が垂れる前に「よし」の声をかけた。夏バテもせず、元気良く食べていて何よりである。

ハンとジンのご飯の用意が済めば、今度は自分のご飯の番。手を洗って母の向かい、雅樹の隣の席に座り、箸を持つ。雅樹の元気な「いただきます」の声に釣られて私もいつもより大きな声で言ってしまった。ちょっと恥ずかしかった。


「足りなかったらまだおかわりあるからね」
「じゃあ俺おかわりする!」
「ニンジンも食えよ少年」
「…食うよ」
「インゲンもな」
「だから食べるって!」


雅樹は可愛げがあって大変よろしい。素直にからかわれてぷんすこするものだからついついちょっかいをかけたくなってしまう。しかし度が過ぎると「あんたも肉ばっかり食うんじゃない」とニンジンばかりごろごろと皿に入れられる羽目になる。私と仁王先輩のように。というか雅樹をからかうとしたらこの二人だけなんだけども。

雅樹は私たちの皿に大量のオレンジが投下されて満足したのか、ごきげんな様子で食事を再開した。敵はニンジン、そして母。ニンジンは嫌いなわけではないがそこまで好きでもない。どうやら仁王先輩も同じようなものらしく、隙を見て雅樹の皿に移そうとして母にニンジンを追加されていた。よし。潔く諦めよう。


「こんなにニンジンばっかり食べたら赤くならない?」
「さあ?ミカンは黄色くなるって言うわね」
「あ。赤いと言えば俺りんご病になったことある!あの時は兄ちゃんにも移して…」
「ちょっと、雅樹ご飯粒落とし、たあああ!?」


がたん、と椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がる。そして椅子を後ろへと押しのけ、テーブルの下へと潜り込んだ。雅樹この野郎なんてことしてくれてんだ!!


「なんでこんな所にいるのハン!あああ…頭にご飯粒が…」
「ホントだ」
「ホントだじゃねえよ!毛がふわふわだから米粒取れねえよ!」


いつの間にやって来たのやら、テーブルの下にいたハン。そして構ってもらおうと雅樹の足の間から顔を出した瞬間、運悪くその頭の上へとご飯粒を落としてくれやがった。つまんで取ろうにも毛がしっかりと絡みついてしまって取れそうにないし、当の本犬は分かっていないのかただ楽しそうに尻尾を振るばかり。可愛いけども今はじっとしていて欲しい。

母は母で「これ使いなさい」と言ってハサミを手渡してくるし、私が「誰が切るか!」と言って突っ返せば遊んでもらえると勘違いしたジンがじゃれついてくるしでご飯粒が一向に倒せない。ここは癪だが奴に手伝わせるしかないだろう。


「仁王先輩!ちょっとジンと遊んでてください!」
「……っ、ま、待ってくれんか……くっ」
「え、喉つっかえたんですか」
「違う。兄ちゃんツボってんの」
「はあ?」


体をテーブルから横に向け、身を屈めるようにして口を手で抑える仁王先輩。よくよく見ればその薄っぺらい背中は震えている。今のやり取りの何がツボだったのか分からないと反論すれば「おまんだけが必死過ぎて」との答えが返ってきた。よし、ジン。あいつの脛を食いちぎってやれ。私が許す。

そうこうしている間に母の手によって頭の上の米粒は回収され、まだ遊んでもらえないことを悟ったのかハンは部屋の隅へ行くなり欠伸をこぼしていた。呑気なものだ。危うく銭ハゲができるところだったというのに。


「雅樹、もう下に落とさないでね」
「はーい」


呑気なのはこちらも同じ。気のない返事をすると、向かいで震える仁王先輩の脛を蹴り飛ばす雅樹なのであった。




油断大敵

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