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夏はまだ終らない



立海の試合結果は、仁王先輩からは聞きそびれたが深雪が報告してくれたので無事知ることができた。相変わらず可愛げのないゲームカウントだったのだが、この際そんなことはどうでもいい。


『幸村先輩が、戻ってきたの』


涙混じりに告げられたその言葉に、すぐに反応することができなかった。幸村先輩と言ったら、あの幸村先輩。ずっと入院していて、もうテニスをすることはできないとまで言われて、それでも手術をして、立ち向かって、戦って…ある意味沙耶に負けた、あの幸村先輩。

戻ってきた。それがどれほど大きな意味を持つかは、深雪たちほどではないにしろ私にだって分かる。残念ながら私の口は『良かったね』だとか『おめでとう』だとかありきたりな言葉しか言えなかったのだが、それでも深雪は本当に嬉しそうに『ありがとう』と言ってくれた。

大会期間中は、青学のかず兄と立海の深雪から毎日勝利報告を受けた。これだけ勝ち続けていればどこかで当たりそうなものなのに、どちらかが負けたという報告はない。そもそも何校参加していてどれだけ勝てばいいのかも知らなかったので、まあいつかは当たるかもなあと悠長に構えていた…矢先、かず兄から優勝旗を掲げた青学テニス部の写真が送られてきて、その意味を知った。


(ああ、負けちゃったんだ)


仏頂面で優勝旗を支える人の隣、帽子の上からいろんな人に頭を撫でられているのは越前くんだろうか。目尻を拭う顧問の先生らしき人に、学校の指定ジャージを着た部員らしき人たち、応援に来ていたのであろう制服の人たち、青と白のジャージを着た人たちは、笑顔の人もいれば泣いている人もいた。

私は呆然と、何十分もその写真を眺めていた。ようやく目を離せたのは西瓜を切ったから食べなと呼ぶおばあちゃんの声を聞いたときだ。手元からこぼれた携帯がごとりと床に転がって、背中を柱に預けたまま仰いだ天井が少しだけ滲んだ。遠い遠いその場所で、みんなの夏が終わってしまったのか。目の前にして、手の届きそうな場所にあったそれを、逃してしまったのか。心のどこかで絶対勝つだろうと思っていたらしい私は、どうにもこの現実を上手く消化できずにいる。なんかお腹壊しそう。


「佳澄、西瓜温くなっから、へえく食べないよー」
「うん。今行く」


携帯は拾わずに、おばあちゃんが呼ぶ居間へ向かった。しゃくしゃくと音を立てて食べている間も、先ほどの写真と見ていないはずの立海のみんなの背中がちらついてちゃんと味わうことができなかった。それでも西瓜半分を食べ切ったので美味しかったのだと思う。おじいちゃんがお土産に持たせてくれた西瓜はしっかり味わうと心に誓った。

今日はいよいよ神奈川へ帰らなければならないのだが、二重の意味で悲しくてこれっぽっちも元気が出ない。迎えに来た父がまた来年も来るんだからとなだめてくる程度には元気が出ない。それでも出発の時間は来てしまったので、ちょっと寂しそうに笑うおじいちゃんとおばあちゃんに見送られ、私たちは長野を後にした。車の中は来た時の倍に増えた荷物が少し賑やかだった。


…と、そんなこんなでちょっとだけセンチメンタルになっていた私。みんなにかけられるような言葉もないので連絡もできず、それ以前に車の中で爆睡してしまっていたのだがまあそれはそれ、これはこれ。家に着く頃にはすっかり体が凝り固まって感傷的な気持ちなどどこかへ行ってしまった。短かったな私のセンチメンタルタイム。

家族三人でえっちらおっちらと荷物を下ろし、ひと通り片付けたところでほったらかしにしていた不在着信と睨み合う。かず兄、深雪、赤也、沙耶の四人からかかってきている。ここは…沙耶からかけよう。これが逃げの一手であることは自覚済みだ。だからどうしようという気もないが。


「…もしもし、かけるの遅くなってごめん」
『おー、やっとかけてきたか。明日の祭りのことで電話したんだけどさ…あ、結果聞いた?』
「聞いてはいないけど知ってる。かず兄が青学の応援行ってたから…」
『そっか。…うん。まあ、負けちゃったんだけどな。あの人たちもそういうのはもう終わってるから、気にしなくていいかんな』
「…お見通しっすかー」
『お見通しっすわー』


沙耶が『そういうの』と曖昧に指したのは悔しいだとか、悲しいだとか、そういうことなのだろう。いつまでも下を向いているなんて、きっとあの人たちのプライドが許さない。前を見て、先を見て、次に託したんだ。三年生は引退してしまうから、それは残される側の赤也が受け継がなければならない。


「赤也は責任重大だね」
『そういうこと。まあ深雪もいるし、大丈夫だろ』


そう言って穏やかに笑う沙耶に、私はすごく安心した。試合を見ていない私には未だに負けてしまったという実感が湧かないし、みんながどんな様子だったかも分からないので一人で勝手に不安になることしかできなかった。でも、それももう溶けた。座っていたソファからずるずると滑り落ちて、留守にしていたせいで埃の溜まった床に頬をつける。思ったより汚い。やめておけばよかった。

試合結果の話が一段落ついたところで、話題はお祭りのことへと移る。今日と明日、神社で行われるお祭りにいつもの六人で行って、その後に花火でもしようという計画らしい。もちろん私の返事はイエス以外にない。もう夏休みも残り少ないのだし、ここで遊ばずにいつ遊ぶんだ。私に関して言えば宿題も問題ないので大手を振って遊びに行ける。

祭りだからといって誰かが浴衣を着る予定もないため、昼間から集まって花火を買いに行き、たっちゃんの家で時間までゲームをして、そこからお祭りへと向かうというのが大まかな流れ。ただ、丸井先輩が出店大食い勝負がどうのと騒いでいたからもしかしたら神社で会うかもしれないとのこと。万が一出くわしたらなるべく他人の振りをしようと思う。


『たぶん他のテニス部の先輩も来るって。大会お疲れさまもかねて』
「ふーん。あ、幸村先輩も?」
『…あー、うーん、たぶん、な…』


そうかそうか、とにやける顔を締めることなく耳を澄ませていたら、そういうつもりで言ったんじゃなかったのに、と言い訳がましい言葉がかすかに聞こえた。うん。やっぱり率先して先輩たちを探して引き合わせよう。幸村先輩は沙耶が浴衣じゃないことにがっかりするかもしれないが。


「…ねえ沙耶、やっぱり浴衣着ない?」
『え、あたし甚兵衛しか持ってねえよ』


私は無力だ。とりあえず、何も知らないであろう幸村先輩に心の中で謝っておいた。




夏はまだ終らない

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