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戦地は遠く



八月十六日、土曜日。天気はくもり。しかし、おじいちゃんとおばあちゃんは太陽のように眩しい笑顔で出迎えてくれた。音で言うなら“ぺかー”といった感じの。夜は夜でおばあちゃんの手料理の大盤振る舞い。こんなに食い切れんと言ったお父さんもなんだかんだ嬉しそうだった。

そして翌日の八月十七日、日曜日。今日からいよいよ全国大会が始まる。


「佳澄、あんた今日は携帯ばっかり見てるわね」
「…うるせー」


母がそんなことを言い出したのは、おやつのトウモロコシを食べていたときのことである。実際、誰かしらから結果報告が来るのではとまめに確認していたので否定はできない。母は何が面白いのか、はんっと鼻で笑うとおじいちゃんたちの畑仕事を手伝いに出て行った。なんだったんだ今のは。

立海のみんなはもちろん、氷帝のジローさん…と跡部さん、青学はかず兄が応援に行っているし、沖縄から来た田仁志さんもいる。トーナメント表も大会日程も何もよく分かっていないので、せめてみんな初戦で当たらなければいいのになあと思う。これはさすがに呑気過ぎるか。


「ねえ、仁王先輩たち勝てると思う?」


ハンとジンに聞いてみたら、私の顔を舐めるだけで返事はなかった。当たり前だが可愛い過ぎて辛い。

結局、最初のメールが届いたのは夕方近い時間になってから。差出人はかず兄で、件名の時点でなんとなくテンションが高くて鬱陶しいと思ったのはご愛嬌。


『青学初戦突破!相手校なんかすげえガラの悪い奴ばっかだった!』


試合どうこうより先に“ガラの悪い”と出てくる辺り、相当ガラの悪い学校だったのだろう。その場に居合わせなくて良かったなあとほっとしたのも束の間。何度かメールのやりとりをしている内に相手が沖縄の学校と分かり、さらに“デブ”の二文字が出た時点で私はがっくりと肩を落とした。

青学が初戦突破、相手は沖縄の学校でふくよかな方がいらっしゃる…つまり、田仁志さんは負けたのだ。聞けば田仁志さんはあの越前くんに負けたらしい。あの田仁志さんに勝つとはどんなゴリラだと前にも思ったようなことを考えたが、越前くんはゴリラじゃなかったことを思い出した。…越前くんの謎は深まるばかりである。

そして、田仁志さんにメールを送るか送るまいかで迷っていたそのとき、予想外の人物から着信が入った。受信ではなく着信。つまり電話。表示されているのはあの名前。そんな、まさか直接結果報告が来るなど…。


『佳澄姉ちゃんのばかああああ!!!』
「うっせ…!!」


…そう、来るわけがなかった。来るわけがなかったことだけは今さら思い知ったが突然浴びせられた高音波のせいでそれどころではない。耳がきんきんする。携帯を遠ざけても聞こえる文句の羅列に疑問符を飛ばしまくっていると、向こうでがちゃがちゃと物が当たるような音が鳴って静かになった。なんだったんだ今のは。


「あー…もしもし?雅樹?」
『雅治の方じゃ』
「は!?え、あ…え!?」
『相変わらず間抜けな声じゃのう。…雅樹、おまんはちいと静かにしんしゃい』
『佳澄姉ちゃんのばーか!!』


仁王先輩だと思ったら雅樹が出たと思ったら仁王先輩だった。意味が分からない。とりあえず雅樹はえらいご立腹らしい。仁王先輩に替わったあとも後ろで馬鹿だ阿呆だなんだと騒いでいる。普段の雅樹からするとこの子供じみた罵声の浴びせ方は珍しい。私は何かよっぽどのことをしてしまったのだろうか。恐る恐る電話口の仁王先輩に尋ねてみると、奴はため息混じりに答えてくれた。


『おまんの家に行ったら誰もおらんから心配したんだと』
『心配してねえよ!』
『はいはい。…で、なんか知らんかと聞かれたが俺も知らんかったからのう、雅樹がぐずり始めて』
『ぐずってねえよ!』
『古怒田に聞いて理由は分かったが、聞かされてなかった雅樹が俺の携帯でおまんに電話をかけたわけじゃ』


分かったか?と皮肉ったような声で問いかけてくる仁王先輩に、私は力なく『はい』と答えた。

迂闊だった。留守にしている間に雅樹が家に遊びに来る可能性を考えていなかったし、仁王先輩にはこの間会ったときに話したつもりでいた。話してなかった。私のとんだ記憶違いだった。


「…仁王先輩、雅樹に替わってもらえますか?」
『ん。…ほれ、雅樹』


音は遠ざかったがすぐには替わってくれなかった。どうやらぐずっているらしい。ようやく電話口から聞こえた声も、不機嫌さを全面に出したような声だった。


『…もしもし』
「雅樹、ごめんね」
『行くなら行くって言えよ』
「う、うん…。すんません…」
『家のカーテン閉まってるし、車ないし、俺なんにも聞いてねえし』
「う、」
『兄ちゃんも知らねえって言うし』
「すみません…」
『夜逃げでもしたのかと思った』
「いや夜逃げはさすがに、」
『はあ?』
「なんでもないですすみません続けてください」


やだこの子怖い…というよりたちが悪い。普段しっかりしている分の反動なのか知らないが、子供っぽい駄々のこね方の中に妙な毒があっていろいろ刺さるものがある。しかも異論反論は認めない。あと後ろでくすくす笑ってる仁王先輩の声もしっかり聞こえている。が、そのことを突っ込む隙はないに等しい。

雅樹はしっかり十分ほどの説教を終え、今度からきちんと報せるようにと念を押してきた。ようやく小姑の説教から開放される身としては、なんでもいいから元気にはいと返事をするしかなかった。しかし、じゃあそろそろ切るねと言うと雅樹は小さく唸って電話を切ろうとしない。今度はなんだ、何が不服なんだ。


「雅樹?どした?」
『…佳澄姉ちゃん、いつ帰ってくるの』
「二十三日だけど…」
『ふーん…』


しばしの無言。何か言いたそうにしているのは電話越しにも分かるのだが、それが何かまでは察することができない。また怒られたら嫌だなあと身構える私だったが、雅樹はいい意味で予想を裏切ってくれた。


『俺、佳澄姉ちゃんと一緒に試合観に行きたかった』


試合観に行きたかった、一緒に、佳澄姉ちゃんと、一緒に、試合観に行きたかった…。頭の中で繰り返し再生される言葉が先ほどまでのお説教をきれいに洗い流していく。末っ子特有の甘え上手っぷりがいかんなく発揮されている。いかん、私はこれに滅法弱い。


「雅樹あんた私の弟に」
『やらんからな。阿呆は飯でも食ってとっとと寝ろ』


ぶつり。無情な終話音を前に茫然自失。その状態で勝利報告の電話をかけてきたジローさんに『弟っていいね』と呟くと『妹もいいよ!』と返された。どこも兄弟仲がいいようで何よりですよ、ええ。

…あ、立海の試合結果聞きそびれた。




戦地は遠く

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