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雨上がりの副産物



台風でがたがたと震える窓、落ち着きのないハンとジン。テレビには芝居がかった勢いで雨に打たれるリポーターの姿が映し出され、殴るように防波堤を叩く波、崩れた山肌、駅で足止めを食らう人々と画面が切り替わっていく。

本来ならこの交通網の麻痺に巻き込まれていたであろう父だが、現在お盆休暇中のためテレビを観ながら呑気にビールを傾けている。良かったね、昼間はお母さんにこき使われてたけど。


「お、明日は台風一過の快晴になるだろうってさ」
「うるさい!嫌味か!」
「そ、そんなに怒るなよ…」


台風の被害状況から明日以降の天気予報へと移り、私は近くにあったハンとジンのおもちゃを父へと投げつけた。すぐにハンがおもちゃをくわえて私のもとへと戻ってきた。天使か。

しかしそれとこれとは話が別。これが怒らずにいられようか。いや、いられまい。すでに「明日は庭と道路の掃除の手伝い」と母から仰せつかっている私と父。折れた枝やら葉っぱやらゴミやらを掻き集めるという重労働を焼き殺すような太陽の下でやれと…?父は別にいいが私はものの数分で消し炭にされる気がする。

父のつまみ用の枝豆を食べながら、私はあれやこれやと抗議していた。しかし、ここで母が珍しく「アイスのひとつでもおごってやらないこともない」と言い出したので俄然やる気が出た。これは雨が降るのでは…あ、もう降ってるか。


「そういえばあんた、宿題は進んでるの?」
「八割方終わってますー」
「だから台風なんか来るのよ」
「そこは褒めるところでしょ普通」
「おー、佳澄は偉い偉い」
「枝豆食った手で撫でるな」


そんなこんなで酔っ払いの相手もほどほどに、この日はさっさとお風呂に入って寝た。

そして翌日、予想通りひどいありさまになっていた庭や家の前の道路を三人プラスご近所さんたちで片づけ、台風に巻き込まれて転がっていたコクワガタを自慢しに祥平がやって来たのが昼過ぎ頃のこと。私は午前中の時点で瀕死寸前。保冷剤を包んだタオルを首に巻き、素麺をすすりながらじと目で眺めてみたが祥平はめげなかった。あまりにも元気なので適当なところで追い返した。

午後は午後でゴミを捨てに行ったり、荒れた庭の手入れを手伝わされたりと忙しかった。最終的に暑さに耐えかねてホースの水を被るという暴挙に出たのだが、家の中でごろごろしていたハンとジンも飛び出して来て父と母も含めた家族全員がびしょ濡れになってしまった。憮然とした母が言い放った言葉はこうだ。


「ハンとジンは可愛いから許す。お前は可愛くないから着替えてアイス買って来い」


とはこれいかに…。いやまあアイスが食べられるのならいいです。それでいいです。父の慈悲もありちょっと高いアイスを買うことができたので良しとする。

掃除に追われた八月十四日。長野へ経つのは十六日。テニスの全国大会が始まるのが十七日から。明日は出発の準備やらで時間はそう取れないと思われる。そこで、夕飯後のデザートだったアイス…の棒を噛みながら携帯を取り出していつもの五人にメールを送った。


『あさってから長野に行きますー。お土産買ってくるね』


送信が完了したことを確認し、アイスの棒を手近なゴミ箱に捨てる。そうだ、あいつら以外にジャッカル先輩にもお土産を買ってくる約束をしていた気がする。あとはかず兄に変なものを買って、公園のちびっこ用にも何か買おう。

だるい体をソファの上に転がして天井を仰ぐ。陽に焼けた腕がすでに痒い。おまけによく働いたおかげでとても眠い。このままソファで寝たら母に怒られること間違いなしだが、少しくらいなら、


「佳澄。お客さんよ」


残念ながら、私のささやかな願いはものの数秒で叶わぬものとなってしまった。寝ぼけた頭はうまく回らず、母が不敵な笑みを浮べていることにもハンとジンの姿が見えないことにも気づけなかった。

後になってなんの考えもなしに玄関へ向かったことを悔やむのだが、後悔先に立たずとはよく言ったもので。間抜け面を惜しげもなく晒した私は「どちらさまですか」の後に間髪入れず「お引取りください」と続けるはめになったのである。


「なんじゃその言い草は。俺が会いに来たのはハンとジンであっておまんじゃなか」
「なっ、んで仁王先輩が…おかあさーん!聞いてないよ!」
「言ってないもの」
「ですよね!」


なんと、母が言うお客さんとは仁王先輩のことだった。大会前で忙しいから来ないんじゃなかったのかこの白髪野郎は。

元気に振られるもふもふの尻尾の向こう側、表情を緩めた仁王先輩を問い詰めると「風が強くて練習にならんかった」との返答が。台風一過の影響がこんなところにも出ていたとは知らなかった。嬉しいような嬉しくないような…いややっぱり嬉しくない。嬉しくないったら嬉しくない。


「何ぼーっと突っ立っとるんじゃ。さっさと用意せんか」
「うぃーっす…」


気のせいだろうか、ハンとジンの尻尾に加えて仁王先輩の尻尾毛まで振られているように見える。まあ以前のように毎日散歩に行くこともできなくなっているのだし、クールアンドミステリアスを気取った仁王先輩がこうなってしまうのも無理はないと思う。だってハンとジンだし。うん。

靴を履いて、母に声をかけて、外に出ると思っていたよりも涼しくて気持ちよかった。風がひんやりしている。

ぐっと伸びをしていた私に構わず、リードを持って歩き出した仁王先輩の後を慌てて追う。試しにジンのリードを奪って隣に並んでみたが、不思議と緊張することはなかった。


「早く夏が終わらないですかね」
「まあ、そう思わんこともない」
「終わって欲しくないんですか?」
「さあのう」
「ふーん」


いつもと同じ曖昧な返答。というよりそもそも返答にすらなっていない。私も奴にまともな返答を求めることはとうの昔に諦めている。慣れとは恐ろしいものだ。

それ以降も奴はうちの愛犬たちをたぶらかすばかりでまともな会話はひとつもなく、私はまあそんなものかと肩をすくめた。どうせまたしばらく会えなくなるのだし、今だけはハンとジンを譲ってやらないこともない。私の優しさに感謝しろ。




雨上がりの副産物

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