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のんびり見学



『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか電源が入っていないため……』


三度目になるアナウンスを途中で切り、私は携帯の画面を睨みつけた。


「繋がりやしねー」


呼び出した番号はジローさんの番号だ。今日は東京のかず兄の家に泊まりに行く日であり、ジローさんに服を返しに行く(つもりでいた)日でもある。だがしかし、ジローさん本人に連絡することを忘れていた私は家を出る時間になって慌てて電話をかけた。そして一向に繋がる気配がないという次第である。

他にジローさんと連絡が取れそうな人といったら裕太くんと跡部さんくらいしか浮かばない。跡部さんに頼むのはどうにも気が引けるので却下の方向で。裕太くんも学校は違うから却下。まあ明日になっても困らないことだし、成り行きに任せるとしよう。

閉じた携帯をポケットに突っ込んで少し大きめの鞄を担ぎ直す。東京までの道のりも慣れたものだ。もうナビのお世話になることなく行ける。青学テニス部の誰かからかず兄経由で聞いた情報によると、今日の練習は朝から夕方まであるとのこと。よってそう焦って向かうこともない。こののんびり具合が夏休みだなあと思う。

電車に揺られること一時間半。青春台駅より二駅手前、かず兄の家の最寄り駅で降りると改札前で待っていたかず兄がにっかりと笑った。


「よーっす!なんだよ、お前あんまり焼けてねえな」
「日中はもっぱら引きもっこりだからねー。そういうかず兄は部活引退したくせになんで真っ黒なの」
「…夏期講習の行き帰りだけでこの様だよ」


切なげに目を逸らし、差し出された手はどういうわけか第二関節から先が焼けていない。なんだこの気持ち悪い焼け方は。そう言ってじと目でかず兄を見ると、何かを握るように指を曲げて「自転車焼け」とだけ呟いた。つまりあれだ、ハンドルの下になっていた部分だけ焼けていないと、そういうことなのか。

こ、この焼け方はだせえ…。


「ないわあ…」
「俺だって好きでこんな焼け方したんじゃねえよ!」
「早く脱皮するといいね」
「まったくだ」


まあ冗談の応酬はこの辺にして。まずは泊まり用の荷物を置きにかず兄の家へ向かった。そこでおばさんに挨拶をして必要のない荷物を置き、なぜか下だけ青学の体操服に着替えさせられたのだがこの理由はすぐに分かることなので置いておくとして。私たちは自転車に二人乗りをして青学へ向かった。かず兄はもともと自転車通学なのでバス代をケチられたのである。まあじゃんけんで勝った私は荷台でふんぞり返っていたので問題はない。

そうして着いた青学でまず驚いたのは、練習うんぬんより偵察の人の多さだった。


「なにこれ、多っ!」
「あれだよほら、関東大会で立海に勝ったらこうなったらしくて」
「にしたってこれは…」
「青学の前評判悪かったんだと。だから余計かもなあ」


まあ全部乾から聞いた話だけど、と言って話は締められた。なるほど、そういえば以前立海で見た光景に似ていないこともない。さまざまな制服を着た生徒がフェンスをぐるりと囲み、ビデオを撮ったりノートに何かを書いたりと大忙しなところとか。

唯一違うとすれば、立海のみんなは毛ほども気にする素振りを見せなかったが青学の人たちは顔をしかめたり苦笑したりと外野を意識している辺りだろうか。人の影から見ての判断なのでよく分からないが。


「よし、じゃあ行くか」
「え、本題の越前くんは?」
「どうせこっからじゃ見えないだろ。まあそのための体操服ってわけよ」
「はあ?」


にやりと笑ったかず兄は人混みを抜けてどんどんコートから離れていく。ちゃんと説明しろやと膝かっくんを入れたところでようやく止まり、かず兄も私に膝かっくんをしようとしたのでしゃがんで避けようとしたらそのまま背中をどつかれた。完全に避け方を誤った…じゃなくて。


「ちゃんと説明しろや!」
「そ、そんな怒るなよ…。コートの近くからじゃ見えねえの分かってたから校舎から見ようと思ったんだって…」
「…ああ、それで体操服」
「そゆことー。上履き家だから来賓用のスリッパ借りるぞ」
「おー」


要するにだ、私服のままだと校舎の中に入れないが青学の体操服を着ていれば最悪誤摩化せるだろうとのこと。先生は案外生徒の顔と名前を覚えているものだから無理な気がするがここは目を瞑ってやろう。

部活動に所属していない私は、他校を訪れる機会がない。立海には何度か行ったことがあるが校舎内に入ったのは外から直接家庭科室に入っただけなのでノーカウント。私の学校とは違う廊下、教室の配置、匂い。来賓用の玄関を過ぎ、職員室の前を通ると掲示板が目についた。行事や補習のお知らせなどが貼ってあったのは分かったが、私の足が止まったと見るや否やかず兄に襟首を掴まれたのでじっくり見ることは叶わなかった。ケチ。

スリッパを鳴らしながら階段を上がると、夏休みに入ってそれなりに経ったからか隅には埃が目立った。途中ですれ違った女の子たちには先輩と勘違いされたらしく、挨拶をされてしまった。焦っておっすだのと返してしまったがもう会うことはないはずなので良しとする。もしくは忘れよう。

おっすのことをからかわれ、腹いせにかず兄のスリッパを後ろから踏みながら歩いていると目的の教室へ着いた。私の学校と違って隣同士の席がくっついていない。チッ、金持ち学校か。大して意味もなく目をすがめる私には気づかず、かず兄はベランダへ出る窓を開けて手招きをした。


「テニスコートはここのベランダからが一番よく見えるんだよ」
「ふーん」
「青と白のユニフォーム着て打ってるのがレギュラー。で、あの帽子被ってんのが越前」
「へえ、本当にちっちゃいね」
「まあ周りが三年ばっかだから余計そう見えるかもな」


白い帽子を目深に被った小さい体。しかし、体格差のある先輩にも引けを取らない…ように見える。正直テニスのことはよく分からないのですごいすごくないもよく分からないがここは分かっている振りでもしておこう。かず兄に馬鹿にされるのは癪に障る。


「あ、菊丸が手振ってる。おーい!練習サボんなよー!」
「仁王先輩がボール当てた人だ」
「仁王先輩?誰それ」
「…立海の知り合い。かず兄、別の人も手振ってるよ」
「おお、なんだみんな気づいたのか」


ぶんぶんと元気良く手を振っている人、軽く手をあげるだけの人、会釈をする人、誰なのかを聞いているらしい人などなど。かず兄からあれが誰でどれが誰でと教えてもらったが、印象に残っている仁王先輩がボールをぶち当てた菊丸さんと変な髪型の大石さんの名前しか覚えられなかった。

しばらくの間、ベランダから練習風景を眺めていた私たち。しかし日差しの暑さに耐えかねて廊下へと避難した。動いて汗をかく分にはまだいいがじっとしていて汗をかくのは耐え難いものがある。そうして二人でコンクリのひんやりとした壁に貼りつき、粗熱を取っているとジローさんから電話が入った。どうやら不在着信通知のメールに気づいたようだ。謎な言語を駆使するハイテンションジローさんモードで何を言っているのかほとんど分からなかったが、とりあえず何かいいことがあったらしいことだけは分かった。あとかろうじて待ち合わせの約束を取りつけることもできた。


「ということで今から借り物の服を返しに行くことになりました」
「越前はもういいのか?」
「うん。どんくらいちっちゃいか見たかっただけだし」
「お前が言うな」
「……」
「いっだ…!おま、スリッパだからほとんど無防備なんだぞ…!」
「うるせえハゲ」


ぎゃんぎゃんとうるさいかず兄の襟首を掴み、教室を後にする。かず兄の家と青学までの行き方以外、東京の地理には相変わらず疎いので道案内をさせよう。最後にかず兄とサッカー部の練習をひと目だけ見て、私たちは待ち合わせ場所へと向かうべく自転車を漕ぎだすのであった。




のんびり見学

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