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詐欺師には程遠い



関東大会決勝戦以降、仁王先輩が我が家へ来ることはなかった。全国大会で青学に借りを返すため、徹底的に鍛え直して…いや、鍛え直されているらしい。ハンとジンの写メをくれとせがまれて厳選したとっておきを数枚送りつけたのち、「俺は負けとらんのに」と珍しく愚痴が返ってきた。暑さが苦手で奔放な仁王先輩のことだ、いろいろとストレスが溜まっているのかもしれない。まあ私に何ができるわけでもないので「お疲れさまです」とだけ返しておく。

相変わらず蝉がうるさい今日この頃。雅樹もテニススクールの大会があるとかで今日は我が家へ来ないことになっている。すなわち暇。あまりつまらないだのなんだのと騒いでいると母に「はいつまった」と言って鼻をつままれるので大人しく退屈に耐えている。しかしここで名案が浮かんだ。青学のかず兄に越前くんとやらを知っているか聞いてみよう。というか聞こうと思っていたことをすっかり忘れていた。かず兄はすでに部活を引退したからどうせ暇を持て余しているに違いないし、善は急げ、だ。


「もしもしかず兄?今大丈夫?」
『おう、どした?佳澄からって珍しいな』
「ちょっと聞きたいことがあって」
『何?』
「テニス部の越前くんって知ってる?この間、関東大会の決勝戦に出てたらしいんだけどさ」
『おー、知ってる知ってる!…いや、でもなんでお前まで知ってるんだよ』
「実はかくかくしかじかで」
『なるほど分からん』


冗談はさておき、事のあらましを掻い摘んで説明する。立海のおっさんみたいな顔した三年生にその子が勝ったらしく、いったいどんなゴリラがいるのかと思いまして。雅樹の話を聞いて思ったことをそのまま伝えれば、かず兄は「あのチビがゴリラとか!」と言ってケラケラ笑い始めた。曰く、その越前くんとやらは私並に小さいらしい。思わず「すげえチビじゃん!」と言いそうになったが自分もチビだと認めることになるので口をつぐんだ。断じて認めん。成長期はこれからやってくる予定なのである。

どうせ暇なのだし、明日辺りにでも野次馬に行けないだろうか。せっかく東京に行くのならこの間のジェラート屋さんにも行きたいし、買い物もしたい。おお、なんだか夏休みらしくなってきた気がする。あ、ジローさんのティーシャツとハーフパンツもいい加減返さねば。

しかし、嬉々としてスケジュール帳を広げた私の耳に届いたのはそんなうきうき夏休み気分をぶち壊すものであった。


『テニス部ってたしか明日から合宿でいないぜ?昨日菊丸から潮干狩りしてくるとかメール来てたし』


…遠足か!

全国大会を控えて潮干狩りとはいったいどういう了見だ。立海なんて絶賛ゾンビ生産工場(赤也談)と化しているらしいのに…いや、当然練習もするだろうが、この合宿には関東大会お疲れさまでしたの意味も込められているのかもしれない。どちらにせよ、明日青学へ行ったところで目的が果たせないことだけは分かった。

気を取り直して。合宿は二泊三日で今週の日曜日以降なら確実に練習が見れるだろうとのこと。かず兄は一丁前にというか無理矢理塾の夏期講習に放り込まれたとかで、月曜日は午前中からそちらに行かなければならないという。となると日曜日しかない。


「じゃあ日曜日、十時くらいにそっちに着くように…」
『あー、ちょっと待って、おかんがなんか言ってる』


がちゃがちゃと音が鳴り、かず兄の声が遠くなった。くぐもった会話の中からかず兄の声はかろうじて聞き取れるが、近くにいるであろうおばさんの声は聞き取れない。声の雰囲気からしてそう悪いものでもないようではある。


『…悪い悪い、電話誰だっつーから説明してた。で、おかんがどうせこっち来るなら泊まってけってさ』
「おお!泊まる泊まる!やった!ゲームしよう!」
『ばっか、俺これでも受験生なんだって!』
「塾行ってるならそれでいいじゃん」
『…ちょっとだけだからな』
「やった!」


かず兄に最後に会ったのはたしか春休みだった。泊まりに行くのはかれこれ一、二年ぶりだと思う。待ち合わせの時間やゲームの対戦などの約束を取りつけ、電話を切ったあとはいつの間にか鼻歌まで歌い出していたのだから私は相当楽しみにしているらしい。何せ年が近く、かず兄といれば甘いものが食べられるという刷り込みがされているので懐かないわけがないのだ。今回もあわよくばどこかお店を教えてもらえないかと思っている。まあ時間的に考えると無理かもしれないが。

一泊だけなので荷物は最低限でいい。自室へ戻り、忘れないようにジローさんのティーシャツとハーフパンツを先に詰めて着替えや歯ブラシセットといったお泊り道具を詰める。あとゲームと、宿題と、充電器…はまだ使うから後で詰めるとして。

自堕落にごろごろしていた私が急に活発になったのを妙に思ったのか、リビングにいた母が私の部屋までやってきた。日曜日にかず兄のところに泊まりに行くことを説明すればまだ一週間近く先じゃないかと鼻で笑われる。…たしかに。今用意してしまうと二度手間にもなる気がする。

母が部屋を出たあと、ふと見回した視界に沙耶からもらったポストカードと幸村先輩からもらった水彩画が映った。大胆不敵。その花言葉を胸の内側で転がし、時計を見上げる。時刻は午後三時四十分ほどを指していた。


「部活が終わるのって、何時だろ」


携帯を開き、受信メールを上から順に眺める。この間、仁王先輩からハンとジンの写メをくれと催促メールが来たのは午後七時半頃。このくらいの時間に部活が終わるのかもしれない。夜になればハンとジンもどうにか外へ出られるようになる。それなら。

暑さと練習でバテた仁王先輩も、実物のハンとジンに会えば少しは元気が出るかもしれない。私なら出る。それも一週間ぶりともなれば禁断症状のち無敵、スター状態のBGMを口ずさみながら炎天下を走り回れるくらいには元気が出る。

母に頼んで早めに夕飯を済ませた後、私はハンとジンのリードを掴んで夜道を走った。連絡も何もしていなかったのでみんなに会えるかは五分五分といったところだったが、ちょうど校門付近でだらだら歩いているところにあうことができた。仁王先輩は真っ先にハンとジンに飛びつき、今まで会えなかった分を取り返すように二匹をまとめてモフモフしている。やっぱり来て良かったなと血迷ったことを考えていられたのも束の間、私はようやく厄介なことに気がついたのである。そして指摘されてしまった。


「でもよ、なんでわざわざここまで散歩に来たんだ?佳澄んちから遠くね?」


そう、私には立海まで散歩に来る理由があるようなないようなでやっぱりない。というか明らかに部活が終わる時間を見計らって来たのでたまたま偶然という言い訳が使えないのだ。申し訳程度に詰まった脳ミソをフル稼働し、どうにかこうにか言い訳を絞り出す。絞り出す。絞り、出す…。


「…赤也、日曜日にかず兄のところに遊びに行くから前に貸したゲーム返して」


我ながらなんてかわいくない言い訳だろうと思う。私は仕方なく、そこで笑い転げる丸井先輩に八つ当たりしておいた。




詐欺師には程遠い

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