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それぞれにできること



手術室のランプが点灯したのを見て、一度携帯の電源を入れるためにその場を離れる。「テニス部のみんなに連絡してみます」と伝えると、お母さまはありがとうと言って儚い微笑みを浮かべた。いつか見た幸村先輩にそっくりな笑い方だった。

すでに電車に乗っている可能性もあったが、すぐに連絡が欲しいという意味も込めて深雪に電話をかけた。しかし電話に出る気配はない。電話をかけ直して手術室前に戻る度、無言で首を振る私に沙耶とお母さまに不安そうな顔をさせてしまったので、もう確認に行くのはやめようと思った。着いたら受け付けなりなんなりに聞いてここまで来れるだろう。たぶん。

それにしても、さすがに柳先輩の試合がまだ終わっていないということはないだろうから、負けてしまって次の試合をしているのだろうか。二勝一敗、その先の結果…。いや、今は幸村先輩の手術が無事成功することだけ考えよう。


「それにしても、精市ったらいつの間にこんな可愛い女の子と仲良くなってたのかしら」
「へ!?」
「いや、沙耶はそうかもしれないけど私はいろいろちが…」
「おい!余計なこと言うな!」


手術が始まってしばらく経つと、緊張したままでいることに疲れたらしいお母さまが楽しそうな声色でそう言った。当然、これに沙耶はうろたえた。私が余計な一言を添えたせいもあるだろうがどうにか話を逸らそうと私や葵ちゃんに視線が泳いでいる。生憎だが幸村先輩のことはほとんど沙耶経由でしか知らないため、私に助け舟を求めるのは自殺行為に等しいことを知ってくれ。

自分たちから話そうとしない私たちに対し、お母さまはこれまた答えにくい質問を重ねていく。学校はと聞かれれば中学校はおろか小学校も違うと答えるしかないし、じゃあどこで知り合ったのと聞かれればこれはまあ馬鹿な幼なじみつながりでと答えられたが、続く「精市がね、沙耶ちゃんにはどうしても来て欲しいって言ってたのよ」の一言であえなく撃沈された。がっくりと項垂れる沙耶。と、それを見て微笑むお母さまを見て私は確信する。この人は間違いなく幸村先輩のお母さまで早い話、分かってやっているということだ。沙耶もとうとう観念した。


「すみません…息子さんとお付き合いさせていただいています…」
「ふふふ、私も前から沙耶ちゃんと付き合えばいいのにって思ってたから嬉しいわ」
「あ、の…それは初耳っす…」
「沙耶真っ赤」
「うるせ」


すっかりからかいモードに入ってしまったお母さまを見て、お父さまは葵ちゃんとジュースを買いに行くと言って席を外してしまった。逃げたなと心のなかで呟いたのは隣でしどろもどろになりながら質問に答えている沙耶も同じだろう。葵ちゃんまで連れて行った心境も分からなくはない。

沙耶が答えにくくて詰まった質問は再度私に振られ、ぺらぺらと答えると手をあげるわけにもいかない沙耶が項垂れて頭を抱えるという流れを何度か繰り返す。そうして気力体力共に尽きた沙耶がトイレに行くと言って逃げると、私とお母さまは二人っきりに。先程までとは違う雰囲気のお母さまに、思わず背筋を伸ばした。


「本当はね、すぐには精市に手術を受けさせたくなかったの」


困ったような笑い方。なんと返していいのか分からない私は、ただ黙って次の言葉を待った。


「テニスの大会が終わってから受けさせたかった。でないとあの子、絶対に無理するでしょう?本当にテニスが好きなんだもの」
「そう、ですね」
「だけど精市が手術を受けたいって言ってくれて。心配だけど、沙耶ちゃんみたいな子が一緒なら大丈夫って思ったのよね」
「それは私じゃなくて沙耶に直接伝えた方がいいのでは?」
「ふふ、女親にとって息子は特別なのよ。だからこのことは沙耶ちゃんには内緒にしてね?」
「はあ」


曖昧に頷く私に、お母さまはあなたも子供が生まれれば分かるわと言って微笑んだ。そもそも結婚ができるか…いや、それ以前に恋人ができるかすら怪しいがお母さまがとても美しいのでしっかりと頷いておく。きれいは正義なのである。

沙耶とお父さま、葵ちゃんが連れ立って戻る直前、お母さまは「精市が寄りかかれるような子がそばにいてくれて良かった」と私にだけ聞こえるように呟いた。その意味はなんとなく、私でも分かる。幸村先輩は傍目にもしっかりとして見えて、部をまとめるべき存在として完璧であろうとしていて、頼られるべき存在であろうとしている、ように見える。そんな幸村先輩はきっと、仲間だからこそテニス部の人たちには甘えられないし、甘えさせることもしない。

寄りかかり方を知らない幸村先輩の肩を掴んで無理矢理引き寄せる。沙耶にはそれができる。いまさらだがこの二人の恋が成就して本当に良かったと思う。お母さまとの間に私を置くようにして座る沙耶に、先ほどの言葉を聞かせてやりたくなったが頑張って口を閉じた。いつかペロッと話してしまう気はするがさすがに今話すのはいかんだろう。私の人間性を疑われかねない。


それからまたしばらく経ち、手術が終わる間際になって立海テニス部の人たちは慌ただしくやって来た。結果は関東大会二位。お疲れさま、と微笑む幸村夫妻とその後ろに隠れてしまった葵ちゃんに対して真田先輩は苦い顔をする。「二位じゃダメなんですか」という有名なフレーズが脳裏をかすめたが、そこまで空気の読めない子ではないので大人しく沈黙を貫いた。この冗談は通じないものと思われる。


「で、赤也はなんでそんなに落ち込んでんのさ」
「ほっとけ…」
「こいつ、試合に負けたうえに古怒田にすげえ怒られたんだよ」


丸井先輩曰く、赤也は試合中に八つ当たりでネットを蹴り上げ、審判に厳重注意されるほどマナーが悪かったらしい。短気で喧嘩っ早い赤也。それに赤目のこともある。容易に想像がついて思わずため息が出た。丸井先輩に肩を組まれた赤也は暑いから離れてくださいと言って柳先輩の後ろに逃げたが、


「テニスは紳士のスポーツだからな」


と柳生先輩を見ながら言われてしょげた。自業自得なので助け舟は誰も出さない。

一度は賑やかになった手術室前。しかし幸村先輩の手術が無事成功した報せを聞くなり、テニス部のみんなは学校へと戻って行った。決して薄情なわけではない。もう、次へ向けて動き出しているのだと思う。私は兄である仁王先輩について来た雅樹と一緒に帰ることになり、あの後の試合がどうなったのかを聞いた。

まず、柳先輩はタイブレークまでもつれ込む接戦の末に負けたそうだ。例のサッカーで言う延長の後のPK戦のようなもの。私が見ていた時点では柳先輩が圧倒していたのに、そこからひっくり返した相手選手はすごいと思う。続く赤也はやはりラフプレーが目立ち、ボールを相手選手の頭にぶち当ててしまい相手は目が見えないままプレイしていたとかなんとか言われた辺りで理解の範疇を超えた。無我の境地ってなんぞ。とりあえずシングルスが全滅だったことは分かった。


「でも最後の試合が一番すごかった。真田さんの相手、一年生だったんだよ?」
「どんなゴリラだよ」
「俺とそんなに身長変わらないくらいちっちゃい。でも試合内容は本当にすごかった」
「ふーん、そんなにすごかったんだ。なんていう子なの?」
「たしか…“越前”って呼ばれてた」


越前、越前。青学といえば従兄弟のかず兄がいる。差しかかった分かれ道で雅樹に手を振りながら、今度遊びに行くときにでも聞いてみようかと考えた。




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