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素直に言えない半分こ



夏休み。敵は暑さと宿題である。


「だからってわざわざうちまで持って来るってどうよ」
「一人でやってると飽きる」
「まあ気持ちは分からないでもないけどね」


エアコンの効いたリビングのテーブルには、夏休みの宿題として出されたワークや教科書が広げられている。中学二年生の問題と小学六年生の問題。向かいに座った雅樹は五分ほど前にアポなしで我が家へ突撃して来た。冬に控えた立海の受験に向けて、今から少しずつ過去問も始めているらしい。どこぞのワカメにも聞かせてやりたい話である。

雅樹の持ってきた教科書が懐かしく、思わず自分の勉強そっちのけで「うわー、こんなのやったなあ」「これ好きだったんだよね」だのかんだのを連呼し続けていたら邪魔するなと怒られてしまったので大人しく勉強を再開することにする。雅樹が開いている教科書と同じ教科、数学を選んだことに他意はない。ただ単にやるものが決まっていなかっただけだ。

私も雅樹も、一度やり始めると集中して周りの音が聞こえなくなるタイプらしい。気がついたときには一章分の問題を終えていて、時間にして二時間ほどが過ぎていた。きりのいいところまで進んだのだし、と持っていたシャーペンを投げ出せば、向かいの雅樹の手が止まっていることに気づく。どうやら応用問題で詰まっているらしい。ふむ。


「分かる?」
「…よく分かんない」
「じゃあ教科書貸して。そこの単元って何?何ページとか書いてある?」
「44から63って書いてある」
「ほうほう」


最近の問題集は親切だ。雅樹の手が止まった問題と教科書とを照らし合わせると、二、三種類の公式を組み合わせて解くものだと分かった。私は自分のノートを引っ張りだして空いたページにペンを走らせ、ひとつひとつ雅樹に質問しながら問題を解いていった。

この答えを出すにはどこの数字を出さなければいけないか。その数字を出すにはどこを計算しなければいけないか。ひとつひとつ順序立てて道筋を示してやればなんてことはない。雅樹はものの五分ほどで応用問題を解いてみせた。基礎がしっかりしているから、きちんと問題が整理できれば応用だろうがなんだろうが解けるのだろう。なんだかんだ言って雅樹は頭がいいらしい。しかし、奴は私に教えてもらったことが不服なのか、問題集に顎を乗せて不服そうな顔をしている。


「まさか佳澄姉ちゃんに教えてもらう羽目になるなんて…」
「ふふん。これでもテストの順位はいいからね」
「そうは見えない」
「お黙り!」


可愛げのない小僧め。今に兄ちゃんみたいになるぞと頭を思いっ切り撫でてやったら「なりたいから立海受けるんじゃん」と言い返されて私は思わず雅樹の頭が心配になってしまった。撫ですぎたのか。揺らしすぎたのか。何を好き好んであの白髪野郎に似たいのか心底分からない。これで髪染めよっかなあだとか言い出した日にはブリッジで頭を抱えてしまうだろう。それくらい理解に苦しむ。

変な顔で頭を捻る私を尻目に、雅樹は再び問題集に取りかかり始めた。一方、私は今のですっかり集中力が切れてしまって問題を解く気が起きない。ついでに言うとアイスが食べたい気分だ。しかし外は灼熱地獄。ハンとジンも窓際から離れ、エアコンの風に当たって涼まなければいられない程度には暑い。


「雅樹くん、雅樹くん」
「…なに。くんづけ気持ち悪いんだけど」
「さっき問題教えたお礼にアイス買ってきてちょーだい」
「はあ!?それくらい自分で買いに行け!」
「だって外暑い!死んじゃう!あとアイス食べたい!」
「食べたいなら自分で買いに行って!俺は今勉強中なの!」
「少年は外でアホみたいに駆け回って来いよ…私は自宅待機してるから」
「アホみたいに駆け回るのは祥平だけで十分だよ」


何かを思い出したのか、雅樹は疲れきった表情でため息を吐いた。私の脳裏には祥平のアホ面が浮かんでいる。恐らく雅樹の脳裏にも祥平のアホ面が浮かんでいる。悪い子ではないが、若干オツムの弱そうな臭いのする子だからため息を吐きたくなる気持ちが分からないでもない。あいつは宿題そっちのけでカブトムシでも取りに朝早くから出かけるタイプだ。

アイスは食べたい。外には出たくない。しかし雅樹は買いに行ってくれそうにはない。そもそも年下をパシリに使うなという話なのだが、そこはそれ、慣れというやつである。あまりにも頻繁に我が家へやって来るものだから、私も遠慮や加減というものをしなくなったのだ。雅樹もそれに関して文句は…今現在言っているか。


「…ったく、しょうがないな」
「え、行ってくれるの!?」
「佳澄姉ちゃんも行くならね」
「ええ…」
「じゃあ俺一人で行ってくる。もちろんアイスは買ってこない」
「行く行く!もうこの際道連れにできればそれでいい!」


一人でこの炎天下の中を歩くのは嫌だが、もう一人同じ思いをする人間がいればまだ出ていいかという気にならなくもない。行くなら早くしろと急かす雅樹に待ったをかけ、ハンとジンにお留守番を頼んで家を出る。案の定外は灼熱地獄だったが、コンビニまでは歩いて五分ほど。話しながら歩けば我慢できる距離だ。

エアコンで冷えた体が一気に熱を帯びる。汗をかき始めるのも一瞬だった。暑いとぼやけば知ってると微妙な相槌が返ってくる。それだけのことが嬉しいというのは、雅樹には絶対に言えない。

そうして私のぼやきと雅樹の妙な相槌が途絶えた後、彼は少し言いにくそうにこう切り出した。


「佳澄姉ちゃんさあ」
「ん?」
「今週の日曜日、どうなった?都合が合えば立海の試合見に行こうって言ってたやつ」


立海の試合、それすなわちテニス部の関東大会。以前聞かれたときは沙耶の試合を見たいからと保留にしていたが、残念ながら沙耶はこの間の試合で負けてしまったのでその日は空いている。だから行けるよと答えると、意外にも雅樹は目に見えて嬉しそうな顔をした。何がそんなに嬉しいのかは分からないが、私もなんとなく嬉しくなって頭を撫でた。暑いから触るなと怒られた。可愛くない。

コンビニに着くと、空調の効いた空気に思わず生き返るような心地を覚えた。たった五分、されど五分。いやしかし外と中のこの温度差はものすごく体に悪い気がする。まあコンビニが寒いほどに空調を効かせているのは客を長居させない意味もあると聞いたので、そっちの意味では効果てきめんだなあと思う。ここはさっさと目的のアイスを買って退散するとしようではないか。


「雅樹は何食べる?」
「スーパーカップのバニラ」
「外れないところ行くねえ。これなんかどうよ」
「…俺、あずき系はあんま好きじゃない」
「パピコは?」
「普通に好き。うまい」
「だよねー。手も汚れないし」


自分の分のアイスを持ってレジに並ぶ雅樹に続き、私もアイスを持ってレジに並ぶ。先に会計を終えた雅樹は隣に並んで私を待っており、袋の中身を見て二つも食べるのかよと笑った。雅樹が言う通り、ビニール袋にはスーパーカップのクッキー味とパピコが入っている。カップアイスはスプーンで食べるため、家に帰ってからでなければ食べられないのが難点だ。

コンビニの自動ドアが開いた途端、叩きつけるような蝉の鳴き声と熱気とが一気にやってきた。暑い溶けるとぼやく雅樹。私もアイスもたしかに溶けそうだ。だが、行きほど辛い道のりにはならないだろう。


「アイス、二つも食べ切れないから半分あげる」
「え」
「パピコ、いらないの?」
「…いる。ありがと」


買ったばかりのアイスをひとつ取り出し、封を切って二つに割る。二人で並んだ帰り道、暑さが和らいだ気がしたのはきっとアイスのおかげだろう。




素直に言えない半分こ

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