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花開き、愛



「幸村先輩、また火曜日に来てくれないかってさ」
「…へ?」
「つまり返事は保留ってこと」


今か今かと首を長くして待っていた私たちの元へ戻ってきた沙耶は、どこかすっきりした顔でそう告げた。イエスでもノーでもなく保留って。思わず飛び出しそうになった「幸村先輩の意気地なし!」という言葉はどうにかこうにか飲み込んだ。さすがに女の子に花束まで渡されて先延ばし、なんて女々しいことができる人ではないだろう。何か裏があるはずだ。たぶん。

しかし気になるものは気になる。試しに幸村先輩の反応を聞くと喜んでいたが恥ずかしがってもいた、とのことで少しにやけた。花言葉に詳しい幸村先輩のことだし、説明しなくともそこに込められた意味は伝わったのだろう。保留の真意は気になるところだが、今は沙耶がすっきりした顔をしているので良しとしておく。

そして昨日と同じく、夏休みの予定をみんなで話し合いながら帰り道を歩いた。私以外は練習試合やら合宿やらで大忙しのようだ。ちょっと寂しい。それでも夜くらいなら時間は空くのだし、今度みんなで花火をしようと約束してその日は別れた。


「沙耶の膝ねえ、あんまり調子良くないみたいなのよ」
「え、大丈夫なんですか…?」
「ただの成長痛。最近は治まってたんだけど、ここんところ練習がハードだったでしょ?だから怪しいってボヤいてたんだわ」


翌日、沙耶の大会会場へと向かう車の中で沙耶ママがぽつりとこぼした。私の身長は平均以下な上にこれ以上伸びる気配もほとんどなく、成長痛などというものとは無縁に近い。が、沙耶は長身で今もなお身長が伸びているというのだから成長痛に悩まされるのも無理はない。おまけに関東大会が始まり、経験の多い三年生に負けまいとする沙耶のやる気が更に負担をかけているらしい。今日の試合は大丈夫だろうかと心配になった。

会場は三回戦ということもあり、前回来たときよりも観客の数が多かった。これに勝てばベスト3入りで全国大会への切符が手に入る。応援の気合も当然違う。相変わらず覚えられない我が校の応援歌に混じりながら、私は沙耶に向かって声援を送り続けた。


ざわり、と空気が嫌な揺れ方をしたのは第三クォーターに差しかかってすぐのこと。相手選手のファウルで倒された沙耶が、右膝を抑えながらベンチへ下がったのだ。変な倒れ方をしたのか、もともと痛みがあったのかは分からない。すぐに顧問の先生が膝を診ていたが、沙耶が何かを言うのに対して何度も首を横に振って押さえつけていた。

そして、結果は49対55で負け。沙耶が抜ける前から負けていた点差はそれ以降もひっくり返ることはなかった。これで引退する三年生は泣いていて、右足を引きずりながらその輪に入った沙耶も泣いていた。浮かんできた涙を隠れるようにして拭い、私はお礼を言いに来てくれた選手たちに精一杯拍手を送った。


「なっさけねー…。こんなんで最後までコートに立ってらんないとかもう…はあ…」
「沙耶は頑張りすぎたんだよ。…膝は大丈夫?」
「まだ響いてる。もう治りそうなとこまできてたんだけどなあ」


がっくりと項垂れる沙耶は膝を診てもらうため、大会会場から沙耶ママの車で直接病院へと向かっている。どうやら痛みどうこうより悔しさの方が大きいらしい。そういうところもかっこいいとは思うが、今回ばっかりは沙耶の頭を叩いて馬鹿と言ってやった。沙耶はいつも無理をしている自覚がないからいかん。誰かが止めてやらなければ本気で壊しかねないのだ。

それでも引かない沙耶に私がもう一度馬鹿と言おうとすると、彼女は窓の外を見ながらひとり言のようにこう言った。


「あっちが頑張ってんのに、あたしが頑張んなかったら説得力ねえじゃん」


沙耶ママは運転に集中していて聞き取れなかったのか、何か言ったかと聞き返している。沙耶はなんでもないとだけ言って寝る体勢に入ってしまった。…幸村先輩、本当にどうして保留にしたんだ。私なら即OKにしている。

病院で診てもらった結果、沙耶の膝は骨には異常なしとのこと。だが一週間は部活動禁止を言い渡されてものすごく嫌そうな顔をした。痛みが治まったら出てもいいかと粘ったが、今無理をしたら一生引きずることになるかもしれないと脅されて渋々頷く沙耶。今度は沙耶ママに頭を叩かれていた。

そして月曜日に海の日を挟み、火曜日には終業式を終えた。成績は上々。母に見せても全く問題ない内容だ。強いて言うなら美術がにっちもさっちもいかない結果だがこれはもう諦めているので仕方ない。母も諦めているので仕方ない。…で、今日はいよいよ幸村先輩の返事をもらう日なわけだが。


「心の準備はいいですか」
「おう」
「…私がよくない!」
「なんで佳澄の方が緊張してんのさ」
「だって、だって、なんか…!」
「はいはい。結果がどうであれみんなには報告するから、携帯見とけよ」
「待ってます…」


どんと構えた沙耶を、私はおろおろしながら駅前で見送った。どうか神様よろしくお願いします、と両手を合わせて拝みたい気分だ。いやむしろ幸村先輩お願いします、か?赤也が幸村先輩のことを“神の子”がどうたらこうたらと言っていた気がするし、やはり幸村先輩を拝んでおくことにする。どうか沙耶をよろしくお願いします。

重い足取りで家へ着いた後も落ち着かず、冷蔵庫を開けたり閉めたりしながら家の中をさまよい歩いていた。冷凍庫を開けるとハンが首を突っ込みたがったが、見つかったら母に怒られかねないのですぐに閉めた。しかしあーだのうーだの呻く私を母が鬱陶しがらないはずもなく、やかましいから部屋へ行けとリビングを追い出されてしまった。そして一人寂しく階段を上っていたとき、ポケットに入れていた携帯が震えた。

受信メール一件。差出人は沙耶。

私は残りの階段を一気に駆け上がり、自室へと飛び込んだ。深呼吸を一回、二回。震える手でメールを開き、一瞬固まってから思わずその携帯をベッドへと叩きつける。


“みんな本当にありがとう。これが幸村先輩の返事だって”


短い本文と一枚の添付画像。それは赤いバラとマーガレットを描いた水彩画。まさしく私たちが用意した花束なのだが、これには二つほど違う点があった。


「くっそお…やっぱり幸村先輩負けず嫌いだ…」


六本に増えた花たち。そしてつぼみの開いた赤いバラが、幸村先輩の答えだった。




花開き、愛

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