卒業論文が
終わらない





旦那様が分かってきた


「お待たせしました」

女性の朝の支度は時間がかかる。いつもは早くに起きて支度をし朝ご飯の用意をしてから、彼が起こしていた。だが今日はどうにも抱きしめられたまま離してもらえず、時間がずれ込んでしまったのだ。ゆっくり準備しろという彼の言葉に甘え、いつもよりバッチリ化粧もしたしオシャレもした。久しぶりのデートに、まるで付き合っていた時のように浮き足立っている。

「今日はどこに?」
「…………いや、その」
「ふふ、楽しみにしていますね」

ハンドルに手を掛けて頬を掻く姿は、以前なら気に触ったのかもしれないと不安になった。だが昨夜の様子でいわゆるツンデレや素直じゃないだけだと判明した彼の言動は大概好意的に見れる。私のシートベルトの確認をすると、彼はエンジンを掛けてどこかへと走り始めた。

「随分遠くまで来ましたね……」

高速道路に乗って2時間ほど。お昼時を少しすぎた頃にようやく車は止まった。海が綺麗に見える駐車場で車を降りると、潮風にスカートが揺れたものだから慌てて抑えた。グルッペンさんは見ていなかったらしく安心する。

「お昼ですか?」
「……うどん、好きだと言っていただろう」
「覚えていてくださったんですね」

そこは美味しいうどんが食べられると評判のお店で、頻繁にテレビ取材が入るような有名店だった。確かにうどんが好きだと言ったことはあるがこのお店に来たいと言ったことはないので、彼がわざわざ調べてくれたのだろう。さりげなく差し出された腕を取れば、満足そうにしながらも顔を逸らした。

「美味しそうですね。グルッペンさんは何にしますか?」
「……少なめ」
「天ぷら食べませんか?」
「…………かぼちゃ」

2人ともうどんは少なめ、天ぷらは単品でかぼちゃを2つ頼んだ。店内の喧騒の中では彼の低い声はなかなか通りづらいから、私が代わりに注文する。料理が届くまでの間、大体私が話すことに彼が相槌を打っていた。

「そういえば先日、大先生さんにお会いしました」
「大先生に?」

簡単な相槌を打つばかりだったグルッペンさんが大きく反応する。こうして話の中で彼の名前を持ち出すのは、件の大先生さんからの入れ知恵なのだけれど。

「何もされなかったか?」
「ええ、グルッペンさんのお話しを沢山しました」
「あの野郎……」

珍しく憎々しげに表情を歪めたグルッペンさんが吐き捨てるように呟いた。なかなか表情の変わるところを見せてくれない彼の素直な一面にきゅんとしてしまい、思わず目を逸らす。

「お待たせしました」
「ありがとうございます」

テーブルにうどんが届き、湯気が立ち上り出汁のいい匂いがふわりと香った。グルッペンさんも美味しそうだと思ったようで、うどんから目を離さない。

「いただきます」
「いただきます」

評判通りのコシとつゆに思わず頬が緩む。うどんの打ち方も調べてみようかな。男性であるグルッペンさんは少なめをわざわざ注文するのに少々面倒そうな顔をするから、家で気ままに食べられた方が楽だと思う。

「……美味いか」
「ええ、とっても。ありがとうございます」

心の底からそう言えば、彼は目を逸らしてうどんに視線を戻してしまった。数日前なら怒らせてしまったかもと心配になっていたその仕草も、どうやら照れているだけだと分かって見てみれば可愛らしくすらある。

「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」

かぼちゃの天ぷらはサクサクで熱くて、グルッペンさんは口の中を火傷したようだった。メニューからアイスを勧めるが、私と半分にするならと満腹を隠しもしない。そのくせアイスが目の前に出てくると半分では物足りなくて、1口差し出せばほんのり嬉しそうにしていた。

「美味しかったですね。潮の匂いも心地良い」
「……海はあまり好かん」
「そうですか?夏に泳ぐと気持ちいいですが」
「ダメだ」

あまり好きではないと言いつつ、彼の足は駐車場を通り過ぎて砂浜へと向かう。踏ん張りの利かない砂に足を取られながら何とか歩いていると、見かねたのかグルッペンさんが手を伸ばしてくれた。いつもなら貸してくれるのは腕なのに、珍しいこともあるものだ。そういえば彼とは手を繋いだことが無いかもしれない。

「手、借りますね」
「…………ん」

重ねた手は指を絡められて、いわゆる恋人繋ぎにされた。普通に繋ぐつもりだった私にその不意打ちは強い衝撃で、思わず顔に熱が集まってしまう。それ以上に赤い顔で頑なにそっぽを向いている人がいるから何だかおかしくなって、つい笑ってしまった。

「グルッペンさん、顔真っ赤ですね」
「……うるさい」

昨日料理の感想を述べた時と同じように、彼は口元を大きな手で抑えた。彼は知らないだろうけれど、耳も首元も真っ赤なので大して意味は無い。寡黙で無口でかっこいい旦那様が照れ屋でシャイで口下手だったなんて、想像もしていなかった。キスの1つでもせがんだら、きっと爆発してしまうだろう。

「……すまん、その、……上手く言葉にならない」

染み込んだ海水で足場が固まり始める波打ち際で、彼は立ち止まった。相変わらず口元は抑えたまま、何とか身体は向き合ったものの忙しなく目が泳いでいる。何かを言いたいのに言えない、そんなもどかしさを抱えているらしい。

「ゆっくり、ひとつずつでいいですよ」
「……その、く、口下手で、すまん」
「グルッペンさんの傍は落ち着くので、静かでも私は幸せです」
「ぐぅ」

繋いだままの手にぎゅうと力が込められる。離れないように強く強く握る割には、私が痛くないように加減していた。やんわり握り返せばほんの少しだけ目が見開かれて、繋いだ手を凝視したまま動かなくなった。キスをせがむまでもなく爆発してしまっただろうか。

「だ、大先生に、……このままじゃダメだって、言われ、て」
「はい」
「…………ちゃ、んと、言うことに、する」

彼の綺麗な千種色の目が私を見据えている。私のことを見ているなぁと横目に感じることはあったけれど、しっかり見つめ合うのは結婚式以来だ。それくらい私たちの立ち位置は自然に隣合っていて、今更立ち位置を変えるつもりもなかった。

「毎日、美味い料理、を、ありがとう。スーツも助かる。洗濯も掃除も、任せきりで、すまない。あと、あと……晩酌のつまみ、いつも、ありがとう」

頭を鈍器で殴られるような、いっそ目眩すら感じてしまうような言葉だった。結婚してからと言わず、彼と出会ってから歴代で最長のセリフではなかろうか。告白は「好きだ、付き合って欲しい」なんてスマートを通り越してガリガリだと友人に酷評を受けたものだったし、プロポーズも「結婚してくれないか」に即OKを返してしまったからその後彼が言うつもりだったかもしれない口上はひとつも聞いていない。

「ま、毎日大変だろう、とは思うんだが……下手に外食に出かけ、て、大先生達に、その、……見せたくなくて。……すまない」
「み、見せたくない?あの、そこだけもう少し詳しく……」

隣を歩くのが恥ずかしいとかそういう話だったらもっと色々研究しなければならない。化粧とか服とか、あと毎晩彼の晩酌(スイーツ付き)に付き合っていたから少しダイエットしたりしないといけないかな。

「……………………ほ、惚れてる女を、わざわざ見せびらかしたくは、ない」

思わず息を飲んだ、驚きのあまり声も出なかった。
な、な、何だ、それ、会ってもいないのにただの想像で友人に嫉妬して、独占欲のままに外食しなかったってこと?じゃあ何だ、荷物が重くなるから1人で買い物に出ないように、自分も一緒に行くって言い張るのは。私も働きたいと言った時に何やかんや却下されたのは。最寄り駅までのお迎えを頑なに拒否するのは。全部全部先回りして、大先生を始めとする彼の友人達から隠そうとしてたのか。

「ぅ、わ、分かりました。納得しました」
「すまん、思っていたより、束縛するタイプだった。…………す、好き、なんや」

付き合い始める日に聞いて以来、1度も彼の口からその言葉を聞いたことは無かった。特に障害もなくトントン拍子で結婚までしてしまった私は、グルッペンさんから本当に愛されているか不安で仕方がなかったのかもしれない。感想を貰えない手料理も、理由を教えて貰えない生活の制限も、上手く愛情に変換する術を知らなかったから。

「……えっ、と……お、俺と、……けっ、結婚して、くれて、ありがとう。……愛、している」

決して良いとは言えない滑舌で、緊張と照れのあまり噛みながらも必死に紡いだのは確かに愛情だった。告白やプロポーズや結婚式の時の凛とした彼は必死に取り繕った仮面だったらしい。私の理解出来る形で本心を吐き出した彼は、もういっそ可哀想なほど茹で上がっていた。わざわざ夜を選んで告白されたのもプロポーズされたのも、赤くなった顔を誤魔化すためだったのかもしれない。日中に顔を突き合せてこういう話をするのは初めてだ。

「わたしも、愛しています」

きっと2人ともどうしようもないくらい真っ赤な顔をしていて、しばらくこの熱が引くことは無いのだろう。頬に触れる震えた手の体温や、唇に触れた柔い感触はきっと永遠に覚えている。




「そういえば、どうして急にデートなんて」
「……付き合って、1年と5か月の記念」
「……細かいですね?」
「口実に過ぎん」
「じゃあまたデート誘ってください」
「…………善処、する」

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