卒業論文が
終わらない





旦那様は分からない


お見合いから1年ほどのお付き合いを経て、結婚生活2か月。私は未だに男性と二人きりで家にいることや、父や兄以外の男性を迎え入れることに慣れていなかった。

「ただいま」
「おかえりなさい。お疲れ様」
「ん」

彼のことは好きだと思う。人目を引くほど整った顔も、透き通った金糸の髪も、私よりも大きくてがっしりした身体も、低くてたまに聞き取りづらい声も、全部愛おしい。けれど彼は私のことをどう思っているのだろうか。

「重いぞ」
「気をつけて運びますね」

グルッペンさんから荷物を受け取ると、なるほど確かにいつもより重たい。お仕事を持ち帰ってきたのかしら。殆ど定時で切り上げて帰宅するとはいえ、夫にばかり働かせるのは如何なものだろうか。そう思って婚前に聞いてはみたが、頑として首を縦に振らなかったのは他ならぬ夫だ。無口でぶっきらぼうなところがあるから理由も教えてくれなかったけれど、きっとお家のことをきちんとして欲しいとかそういう話だろう。

「ご飯温め直すので、先お風呂入ってください」
「……ああ」

スーツのまま風呂へ向かう彼を見送って、鍋を温める。今日はお味噌汁と肉じゃがとお漬物、彼はご飯の後テレビを見ながらのんびり晩酌をしたい人だから今のうちにおつまみも仕込んでおこう。温まるまでに風呂へ赴き、グルッペンさんの脱いだスーツを回収する。脱衣所に置きっぱなしでは湿気てしまうし、早めにシワを伸ばして置かなければ後に響く。

「……今日は」
「今日は肉じゃがとお味噌汁と、漬物も出します」
「そうか」

最近の彼はよく食べる。付き合い始めた当初外食に行こうものなら、半人前ほどしか食べなくて大いに心配したものだ。結婚してからは少なめな1人前程度は食べてくれるし、まれにおかわりを要求してくれる。1度も感想をくれたことは無いが、代わりに食べ残したことも無い。卵焼きの塩砂糖問題や味付けの好みに決着をつけなければならないので、そろそろ聞き出そうとは思っているが。

「皿を渡せ」
「はい、お願いします」

皿へ盛り付けるとグルッペンさんの手が伸びてきて、テーブルまで運んでくれる。コップやお箸を並べるのもいつからか彼の仕事になっていて、食後におつまみの用意をする私の脇で洗い物をしてくれるのも恒例になった。

「いただきます」
「……いただきます」

2人とも食事中はテレビを付けない家庭で育っているし、グルッペンさんの無口もあってか静かな食卓だ。咀嚼の音と箸が稀に皿を叩く音しか聞こえない、他人が見たら発狂しそうな光景である。私たちにとってはこれが普通だし、むしろ落ち着きさえ感じる。

「……」
「おかわり、いりますか?」
「頼む」

お皿の上に肉じゃがを残しつつ茶碗を空にしたグルッペンさんに声を掛ければ、やはりご飯の追加が欲しいようだった。差し出された茶碗に先程より少なめによそって差し出せば、何を言うでもなく受け取ってまた箸を取る。やがて味噌汁も肉じゃがも完食した彼と同時に私も食べ終わった。

「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」

大きな身体で律儀に手を合わせて空になったお皿を拝む彼は可愛らしいと思う。さっさと皿を重ねて片付ける彼に合わせて皿を積めば、全てまとめて台所へと運んでくれた。

「今日はシュークリームを焼いてみたんです。好きですか?」
「…………ああ」

あまり冷え過ぎても美味しくないし、冷蔵庫から出して食卓に置いておく。ついでにお酒を注ぐ用のグラスも出しておけば、彼の晩酌のために私が出来ることはなくなってしまった。

「お風呂頂いてきますね」

特に返事はなかったが、ふいと目を逸らされる。心当たりはないが、どこかでお気に召さない対応をしてしまっただろうか。止めなかったということは入っても良いんだろうし、早いところ出た方がいいかもしれない。

「……あれ」

脱衣所の扉を開ければ、柑橘系の甘い匂いがしていた。彼からそういう匂いはしなかったし、浮気の残り香にしては匂いのもとが近い。脱衣籠の底を確認すれば案の定メモが置かれていて、思わず苦笑してしまった。

『ゆっくり風呂に入れ』

几帳面でありながら癖のある字は間違いなくグルッペンさんのものだ。風呂場のドアを開ければ柑橘系の匂いは一気に強くなり、片付け忘れたのか入浴剤の箱が置かれていた。結構お高い入浴剤のパッケージで、そういえば以前CMを眺めながら「どんな感じなんだろうね」と興味を示したことがある。そんな些細なことを覚えていて私のために買ってきてくれたのだろうか。確かに最近は彼が洗い物をしているうちに晩酌の用意と風呂を済ませて、寝るまでずっと隣にいた気がする。必然的に女性としては物足りないくらいの入浴時間しか取れていない。

「ほあ……」

身体を流して湯船に足をつければ、しゅわしゅわとした不思議な感覚があった。これはお値段相応に気持ちいい。同棲を始めた頃にグルッペンさんが買ってきたあひるのおもちゃを浮かべてぼんやりと手遊びをしていれば、あっという間に30分が過ぎていた。流石にゆっくりしすぎたかと少し慌てて風呂を出れば、まだグルッペンさんはお酒を飲んでいるようだった。テーブルには手をつけられていないシュークリームがあって、もしかしてそれがお気に召さなかった原因かと肝が冷える。

「その、おまたせしました」
「ん、」

心做しか彼の顔は赤くなっていて、それなりにワインを飲んでいることが伺えた。私の分までグラスに注いでくれて、自分のグラスを差し出すものだから私もグラスを持ってあわせる。甲高いが心地よい音が響いて、グルッペンさんこだわりのグラスは違うなぁなんて呑気なことを考えてしまった。ワインを口に運んだ直後、グルッペンさんの手がシュークリームに伸びるものだから驚く。

「……食べないのか」
「あっ、いえ、食べます」

あんまり食べられないからご飯をセーブしてまで晩酌のおつまみに甘いものを所望する彼が、待っていてくれた?わざわざ長風呂を促しておいて?

「……あの、どうですか?」

ほんの好奇心だった。甘いものが好きだというのは彼のご両親から聞いた話だし、直接私の料理がどうとか聞いたことは無い。不味いと思いながら我慢して食べていたらどうしようかといつも不安で、ちょっとだけグルッペンさんのご両親に泣きついては料理の練習をさせてもらっている。もし口にあっていないのならまたご両親にお世話にならなければ。

「………………あー、その」

シュークリームの最後の一口を放り込んで、彼は言いづらそうに口を開いた。とはいえ口元は手で抑えてしまっているし、どんな表情をしているかまでは伺えない。

「……わ、るくは、……ない」

それだけ言うとグラスを持って台所に向かってしまった。シュークリームを食べながらいつも以上にワインが進んでいたのもあるが、それにしたってああまで赤面したグルッペンさんは初めて見た。色白な彼が赤くなると耳どころか首元まで赤くなるのか。美味しいとは言ってくれなかったけれど、普段の行動や先程の反応を見るにつまり彼はもしやそういう属性なのでは。

「明日、予定無いよな」
「あ、はい!無いです!」
「10時に出かけるから寝るぞ」

デートしてくれると?いつも私から誘って、私が行きたいところに着いてきていた彼が?天変地異の前触れではなかろうか。自分のグラスとシュークリームが載っていたお皿を片付けて寝室に向かえば、そういえばベッドはキングサイズ一択だと言わんばかりにカタログを見ていたのはグルッペンさんだったと思い出した。

「電気消しますね」
「ん」

電気を消してアラームを掛けた。彼は何故かいつも私が横になるまで横にならず待っていて、私が居場所を定めた頃になると枕代わりに腕を差し出してくれる。男性的な腕に安心していると、不意に背中に彼の腕が回った。

「……いい匂いだな」
「入浴剤、いい匂いでした。ありがとうございます」
「そうか」

一定のリズムで背中を撫でられると、だんだん目蓋が重くなってきた。試しに彼のパジャマの胸元を軽く握れば、小さく息を止める音がしてリズムも乱れる。ああこれ、本当に素直じゃないだけなんだ。思い返せば告白もキスもプロポーズも彼の友人が語るような自信に溢れたものではなく、たどたどしくも必死に彼から与えられていた。

「おやすみなさい」
「……おやすみ」

結構愛されているじゃないか、私。小説やドラマみたいに順調な結婚生活ではないけれど、ゆっくり理解を進めるような今の生活も悪くない。


- 1 -


[*前] | [次#]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -