卒業論文が
終わらない




あまいドーナッツ


基本実働隊で書類の少ない俺に形ばかり与えられた部屋の隅で、小さな塊が蠢いている。城で働くメイドの服を仕立てている服屋に放り込んで適当に安く作らせた服はやはり丈夫で汚れにくい。
精一杯背伸びをして棚の3段目を雑巾で拭くそれが随分困っていそうだったので、自分が座っている椅子をわざわざ差し出してやった。何とか座面に這い上がって棚を拭き始めたが、どうにもゆらゆらと危なっかしい。落下して泣かれるのは面倒だし、棚の上の方なんか使ってないから掃除する必要も無かった。

「う、わ」
「黙れ」

執務室の柔らかいソファに小脇に抱えたそれを投げてから椅子を元の場所に戻して座り直す。ああくそ、イライラする。
暗殺や情報収集する為の囮としての訓練もこいつが弱っちいせいでペ神から許可が降りないし、文字を教えようにも俺がまず汚い文字を直さねばならないだろう。トントンだけがギリギリ判読出来る状態は少々マズい気がする。とにかく、あれに今出来ることは飯食ってちょっと運動して寝るくらいなのだ。ガキか……いやガキだった。

「……おい」
「っ、あ、そう、そうじ!おわ、る?り?ます……」
「終わりました」
「おわりました!」

コイツはそもそも言葉が不自由だ。路地裏で適当に拾って飼い始めたが、言葉は通じないわろくに食事してなかったせいか全然動けないわで時間だけが過ぎていく。
暗殺の話ならまだしも、こんな本来親がするような教育は俺の分野じゃない。そもそも俺だってまともに親から言語の手ほどきを受けた記憶は無いし、強いて言うならガキの頃は罵倒の言葉だけ覚えていた。

「ゾム、今ええか?」
「おん、ええで」

部屋に入って来たのはトントンで、手に持っている紙束は恐らくさっき俺が提出した書類。判読不能な文や文字を直接聞きに来て書き換えるトントンもなかなか苦労人だと思う。片手に持った箱から甘い匂いがして、幹部連中は本当にあのガキに絆されている。

「……おわ、静かやったから気づかんかった。元気しとる?」
「げん……?トントン!」

元気の意味も分からんのか。まあここへ来た直後に風邪引いてからは体調不良なんて全くない。野良育ちだから多少強がったりするかもしれないが、それを見抜けないほど俺の目は節穴ではないから大丈夫だ。キャンキャンと喧しくトントンに懐くガキに、頭が痛くなるようだった。

「うん、元気そうやなぁ。ゾムにドーナツ渡しといたから後で食べ」
「ドーナツ?まる、あな!ふわふわ!」
「せやで。好きか?」
「……?すき?」
「…………たくさん、食べたいか?」

じろりとこちらを睨むトントンから慌てて目を逸らした。あのガキは愛玩の為に飼い始めたわけじゃないし好きかどうかなんて関係無い。それをトントンに咎められる言われもないが、情に厚い真面目な男の事だから粛清剣を覚悟しよう。

「たべる!あの、ちょこ?」
「チョコレート?」
「ちょこれーと!」

箱を開けて中身を確認すると、チョコレートのかかったドーナツが2種類とシンプルなドーナツが1種類の3個が入っていた。今の時間はちょうどおやつ時、いやしかしあのガキに2つは多いか……。シンプルなドーナツを摘んで机の上に置き、箱を持って席を立った。

「そかそか、チョコレートが好きなんか」
「すき?うん……すき!」
「よしよし、後で食べような」

頭を撫でるトントン。ここに来たばかりの頃は叩かれるものだと思い込んでは怯えていた。今思えば随分図々しくなったものだ。ベッドの端に丸くなっていたガキは今では真ん中に転がる俺に引っ付いて寝たがる。鬱陶しいから無視しているが、朝起きると俺の腕を枕代わりにして気持ち良さそうに寝ている日もあるくらいだ。

「トントン、仕事」
「ああすまん。また晩御飯の時にな」
「うん、ばいばい」

机に戻って書類を整理し直すトントンと入れ替わって、ソファの前のテーブルに箱を置く。中には結局ドーナツが2つも入っているし、両方チョコレートのものだ。箱はちょっとつつけば開く程度には開けてあるし、いくらこいつが世間知らずでも食べられるだろう。

「黙って食ってろ」
「……ドーナツ、ちょこれーと!」
「ぴーぴー騒ぐな、響くやん」
「あのね、ちょこ、すき!あと、あと」
「黙って食え」
「ぞむと、とんとん、すき!」
「……………………………………さよか」

ドーナツに手を伸ばし始めたガキに背を向け、執務机に戻った。これからただでさえ苦手な書類仕事だというのに、面倒を自ら背負い込んだ気がする。

「……ゾム」
「何やはよ仕事」

書類で顔を隠したトントンは明らかに肩を震わせていた。さっきまでガキを可愛がって楽しそうに笑っていたが、それとはまた別の、言うなればムカつくタイプの笑い方だ。

「ゾム、顔めちゃくちゃ緩んどるで」
「うっさいねん」

幸せだの愛だのを知らないまま幸せそうにチョコレートのドーナツを頬張るガキに、ほんの少しだけ俺も絆されている。誰が何と言おうとほんの少しだけ、小指の爪の先くらいだけだ。

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