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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

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黒い猫 前編


まだなまえが幼い子供だった頃のお話。
街の端で一匹の猫を見付けた。


―黒い猫―


「フーッ、ウ゛ー…」
「そ、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ、猫さん」
「シャーッ」
「うわっ」


人通りの少ない路地裏。なまえは誰も通らないような場所を散歩するのが好きだ。それが幸いしたのか、その汚れた猫を見付けたのも、人の少ない場所だった。

この辺りの人がゴミ溜めにしている細くて狭い所。そのゴミ箱の裏に隠れるようにして寝ていたのを見付けた。ここのゴミを漁っていたのか、酷い臭いがする。毛並みもぐしゃぐしゃで、生臭い家庭ゴミの汁で体もドロドロ。なまえが手を伸ばせば、全身で威嚇しながら引っ掻こうと爪を振る。


「ぅうん……どうしよう、放って帰るなんてかわいそうだし……」


なまえは汚れた黒猫の前にしゃがんで、考えるように腕を組んだ。その間も猫は威嚇しながら睨むのをやめない。


「ねえ、私なまえっていうの。ウチにおいでよ、ちゃんとしたご飯もあげるから」
「フグゥ゛ウゥ…」
「警戒しなくても、悪いことなんてしないよ」
「ウゥゥ…」


この頃はまだ、犬族が猫族を嫌悪していることをはっきりとは知らない。ただテレビなどで猫族の悪評が時たま出てくるくらいなもので、周りに猫が居ないのも手伝って、犬族みんなが猫族をなんとなく嫌っていることをなまえは知らなかった。

そしてなまえは密かに嬉しかった。テレビでしか見たことのないあの「猫」が、今目の前で唸っている。一目見た時から猫を好きだと思っていたのだ。周りが一度として猫を肯定したことがないので、なんとなくそれを言わないでいたのだが。


「ね。猫さん」
「……」


訝しげに見上げる黒い猫に、なまえはにっこりと笑顔を向ける。すると猫は威嚇するのを止めて、なまえを観察するようにじっと見詰めた。蔑むような目で自分を見ない犬族に、心底驚いて、ついでに感心していたのだ。
なまえが試しにそろそろと手を差し出せば、猫はその指先のにおいをくんくんと嗅いだ。見極めるようにじっとなまえの目を見詰めながら。


「……」
「怖がらなくてもいいんだよ」


その言葉に目をぱちぱちとさせ、また考えるようにじっとなまえを見上げる。なまえがすっと頭の上に手をやれば、ビクリとして耳を下げ、体を低くする。しかしそれが危害を加えずに頭を優しく撫でるだけだと分かると、少しずつ体を縮こめるのをやめた。


「ね」
「……ゥ」


にこにこと笑顔を向けるなまえを見上げて、猫は警戒するのを止めた。それが分かるとなまえは言う。


「じゃあ、だっこしていってあげるね!」
「!」


急に体が浮いたのに驚いて、猫は一瞬暴れる。しかしなまえが無邪気に微笑むのを見ると、危険ではないのかと落ち着きを取り戻す。汚くて臭い筈の自分を、あまり抵抗もなく抱き上げた少女に感動する。世の中捨てたものではない、と。


「にしてもスゴいニオイ! 帰ったらまずはお風呂だねっ」
「! ……」


猫が風呂(水)嫌いだと知らないなまえは、嬉しそうに楽しそうにそう言った。








「ウゥゥ…にゃーあ!」
「ほら、暴れないの! 汚れがちゃんと取れないでしょ!」
「にゃーお、にゃーっっ」


風呂場に響き渡る声で、汚れた黒猫は叫ぶ。シャワーから出るお湯を見ては、嫌がって鳴く。シャンプーで洗っているだけの時は割に大人しかったのに、水が吹き出ているとダメだ。


「はい、終わったよ」
「ウー…」
「きれいになったね!」


毛からお湯を絞りながら、なまえは言う。頭から尻尾の先までびしょ濡れで、毛が張り付いて気持ち悪そうだ。足を順番にプルプルと振りながら歩く後ろ姿は、なんとも可愛らしい。耳に水が入ったのか、しきりに耳を気にして掻いている。


「体拭こうね」
「ゥ、」


バスタオルを被せて、その上からわしわしと少し乱暴に拭く。嫌がって逃げようとする猫を、なまえはまだ裸のまま追う。自分と猫の足跡が残る。

偶然、兄のカカシが明日まで帰らないというメモを残して出掛けていて、猫が家に居ることを咎める人は居ない。もうこの時には既に兄と二人暮らしになっていたので、今はなまえと猫だけ。家の在る場所も、猫の区との境の森の近くなので、他の家は少し離れている。お陰で猫の鳴き声に気付く人は居なかった。


「ほら、捕まえたっ」
「ウ、ニャ」
「ちゃんと拭かないと風邪引いちゃうっ」
「ウー…」


季節外れだが、出しっ放しになっているストーブの電源を入れる。この前で拭けば早く乾く筈だ。もう一枚のタオルで自分の体を時々適当に拭きながら、不服そうにしながらも大人しくなった猫を拭いていく。尻尾は嫌がるだろうと思ってなまえが拭かないので、黒猫は自分で舐めて水分を減らしていく。

共同で乾かしていくと、10分もすれば毛がさらさらになってきた。前足・後ろ足も一つずつ差し出させ、丁寧に拭く。猫は懸命に自分の世話をする明るい藍色の髪と毛色の少女をじっと観察していた。


「……」
「はい、終わり! あとは自然に……はっくしんっ!」
「!」
「えへへ、私が風邪引いちゃうね」


やっと本格的に自分の髪や体を拭き始めたなまえ。優しく明るい少女が、自分の所為でくしゃみをした。じっと見詰める中少女はタオルをかぶり、わしゃわしゃと頭を拭く。猫を拭くためにしゃがんだままなので、幼児体型の体は余計にぽちゃっとして見える。ずっとずっと左右に振り続けられたままの少し細い尾は、まだ拭かれていないので濡れている。


「んっ、わ、くすぐったい…!」


猫はその濡れた尾を舐めて乾かそうとした。なまえはそれが分かって、嬉しいような、でもくすぐったいから止めて欲しいような、複雑な感じだ。


「んん…っ、く、すぐったいぃ…」


ぷるぷるしながら舐められるのを我慢する。懸命に舐めてくれているのが分かるから、無理に止めさせられない。目をぎゅっと閉じて耳を垂れさせながら、猫がペロペロと舐め終えるのを待つ。


「ね、猫さん、もう良いよ」
「…ん」
「ありがとうね」


振り向いて頭を撫でると、舐めるのを止めて大人しくなった。にこっと笑い、さらさらになった猫の毛並みに満足そうに、なまえは撫でる。そうしながらもう片手で、自分の尾を拭いた。





服を着替えてくると、約束した通りに食べ物をあげた。まだ料理は作れないけれど、カカシが出掛けるにあたってレンジでチンするだけで良いものを買っておいてくれたようだ。魚のそれが有ったので、それをチンして分けて食べた。なまえは生活の中で、三度の飯が何より好きだ。今も美味しそうにもりもり食べている。


「美味しいね」
「……」


夢中で食べているらしい猫を見て、なまえは喜んでくれて良かったと思う。始めは熱くて食べられないようだったので、頑張ってふーふーして冷ましてあげた。やっぱり猫は魚が好きなんだ、とテレビで見た知識を思い出す。ぺろりと平らげた猫はじっとなまえを見上げて、何か言いたそうな顔をしている。


「ん? どーしたの?」
「……」


しばらく逡巡した後、黒い猫が口を開く。


「……ありがとう」
「! しゃべった!」
「…当たり前だ」


少し低い声で生意気な話し方。どうやら男の子だったようだ。それに長々と全裸の姿をさらしてしまったことを、今更ながらに恥ずかしく思う。だって、猫の姿なのに綺麗な顔をしてるな、と思ったから、てっきり女の子だと思っていたんだもの。だがまだ歳は10にも満たないので、身の危険を感じたりはしない。


「……その、美味かった。あと、……風呂、も、ありがとう…」


猫は「一応」という態で続ける。風呂に入れられたのは、実際ほとんど恐怖でしかなかった。それに子供なので、洗い方に配慮が足りていなかった。
尾を不機嫌そうにうねらせながらだったが、それでもなまえはぱっと笑顔になって喜んだ。それが猫の不機嫌の表れだとは知らないのだ。猫の皮肉は通じない。


「どう致しまして!」
「…、…」
「まだ食べる? 食べるならまだ有るからチンするよ!」


猫はなまえの笑顔から顔を逸らして、続いての問いに頷いた。なまえが張り切って魚を準備する間、猫は誤魔化すように顔を洗っていた。







「なんで? 一緒に寝ないの?」
「…ゥー…」


躊躇うように声を漏らす猫に向けて、なまえは半分空けた布団をトントンと叩く。しばらくそのやり取りを続けた後、猫が折れて一緒の布団で寝ることになった。


「猫さんはずっとその姿だし、私も犬になろうかな」


そう言うとなまえは布団の中で少し手足を伸ばし、ぐぐっと力を入れた。ほんのりと体から光を放ちながら形が変わり、藍色の毛色の子犬になる。黒猫より少し大きいくらいで、あまり大きさは変わらない。


「やっぱりこっちの方が楽だなぁ」
「…犬」
「えへ、猫さんと同じくらいのおっきさだね」


丸くなっている猫は犬を少し見上げ、その姿をじっと見る。遠慮のないその視線に、なまえはちょっと恥ずかしそうにしながら猫を見下ろした。


「ね、くっつこうよ。暖かくなるから」
「、…嫌だ」
「なんで?」
「……あんまり、近いと、…」
「…うー…そっか」


残念、と言ってなまえは頭を下ろした。


「じゃあおやすみなさい。楽しくて疲れちゃった……」
「……」


犬は目を閉じ、喋るのを止めて静かな呼吸を繰り返す。猫はそれを見ると自分も寝ようかと目を閉じた。でもしばらくするとまた目を開けて、隣で眠った犬をじっと見た。


「……」


徐に体を起こし、なまえの顔に鼻面を近付ける。鼻と鼻を軽く当て、その鼻を軽く一舐め。一瞬だけごろごろと喉を鳴らすと、また丸くなって、やや寄り添いながら眠りに就いた。



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