「犬」だの「猫」だの 「た、ただいま〜…」 「あれ、どこ行ってたの、こんな時間まで…」 「…迷子に、なってました」 ―「犬」だの「猫」だの― サスケに借りた地図とコンパスと勘をフル活用して、やっとなまえが帰り着いたのが夜の10時を回った頃だった。兄のカカシは呑気に読書をしていて、今までなまえが帰っていなかったのを咎めるでもない。 「ぼろぼろのドロドロじゃないの、早くお風呂入っちゃいなサイ」 「はーい」 灰色というより銀に近い色の狼の耳と尻尾。尾の先端はなまえと同じようにやはり白い。重力に逆らった髪の毛もまた、綺麗な銀髪だ。なまえはカカシの居る近くのテーブルに、持っていた地図とコンパスを置くと自室へ向かった。なまえが行くとその地図を徐に手に取り、広げて見た。地図には一点の印が有り、そこは猫の区の端。端とは言え猫の区に足を踏み入れたのだろうか、よく無事で帰ってこれたものだ。そこが深い森の中だったから人が少なかったお陰かもしれない。 「…にしても、こんなのウチに有ったっけ…? というか、散歩に行くのに地図なんて…。そもそもこの印はなんで付いて…」 そこではっと気付く。なまえ以外の誰かのにおいが付いている。 迷子になったとか言っていたし、まさか迷ってこの印の場所まで行っちゃって、それで親切な誰かに地図とこのコンパスを借りてきたのだろうか。 そうだとしたら、お礼が必要だ。今はお礼に渡せそうな物が何も無い。では明日にでも買いに行かなければ。 「…ま、取り敢えずは全部聞いてからだな」 手に持っていた地図をまたテーブルに置いて、読み掛けの本に目を移動した。思わずむふふと零れる笑いを少し押さえながら、なまえが風呂から上がるのを待った。 「ふー、すっきりサッパリ!」 「お、なまえ。ちょっとちょっと」 「んん?」 普段は本に夢中であまり相手にしてくれない兄が呼ぶので、嬉しくて少し尾を振りながら近くへ寄る。シャツとパジャマのズボンというラフな格好で、肩から掛けたタオルで藍色の髪を拭く。隣に座りなさいとソファの座面を叩くから、素直にそこに座った。 「この地図を貸してくれたのは誰?」 「えっとね、サスケさんだよ」 「そうか。じゃあ明日、買い物に行くから、他に必要な物がないか確かめといて」 「はーい。あのね、怪我の手当てまでしてくれたから、飛び切りのね」 「はいはい。じゃあおやすみ」 目に毒だから、と背中を叩かれ、なまえは立ち上がる。ちょっとラフ過ぎた。 なまえが少し拗ねながら自室に戻ってから、カカシは「ん?」と思う。この印、猫族の区域内だよね。自分の位置が分かっていたと言うことは、分かっていて猫の区に居たということだろうか。 それに怪我の手当てって、森の中で偶然出会った割に準備が良い。ちゃんと準備して入るような森ではない。まあ偶然持っていたってこともあるだろうか。 悶々考え、まあ明日またなまえに聞けば良いか、と結論を下す。考えるのが面倒になったのだ。 「さて、これで全部?」 「んー、シャンプーの予備買った、食料買った、洗剤買った、服買った、サスケさんへのお礼も買った、あれもあれもこれも。うん、大丈夫」 「よし。じゃ、帰ろうか」 「うん」 ご馳走の材料を買ったので、なまえは上機嫌だ。今から楽しみなのか、尾がぱたぱたと振れている。そのなまえの様子を見ながら、呆れたようにカカシは溜息を吐く。少し甘やかし過ぎただろうか、17の割に子供っぽくて困る。でもそこが可愛いのだから仕方ない。 「そうだなまえ」 「うんー?」 「そのサスケって人、どんな人なの?」 「あのねぇ、真っ黒で尻尾が長くてかっこよかったよ!」 「そうじゃなくて」 「ん?」 重い荷物をよいしょと持ち直して、なまえへの質問の仕方を変える。意味を少し取り違えられてしまった。大きな商店街の賑わいの中では少し会話しにくい。 「そのサスケって人、どうしてあんな森の中に居たの?」 「……狩りしてたみたい」 「狩り?」 こんな豊かな時代に、わざわざ自分から狩りをしに行くなんて変わっている。狩りをしていたなら怪我の手当てができる準備をしていたのは頷けるが。趣味なのだろうか。カカシの頭の中には、ゴツくて逞しい男の像が浮かび上がっている。ただそれはなまえが「格好いい」と言う容姿かどうかは疑問だ。 「今の時代にそんな犬が居るなんてねぇ」 「え、あ、……犬族の人じゃ、ないよ」 「へ…?」 考えもしていなかった発言に、カカシは思わず声を零し、目を丸くした。 じゃあまさか、猫族だって言うのか? 「初め見た時は怪獣みたいで怖かったけど、優しかったよ」 「なっ、戦闘形態にもなれるのか!?」 「せ、戦闘形態っていうの、あれ」 必死で猫族の人に会ってしまった事を和らげて伝えようとするなまえだが、カカシの目はわなわなと怒りに震えている。 犬族と猫族の仲は、決して良くはない。今のカカシの状態から分かるように、会うことすらあまり快く思わない。それは犬族の風習とは相容れない猫族の性格に原因がある。 そうだ、猫族の区内なのだから、猫族の奴に会う確率の方がずっと高い。どうして犬族に会ったのだと思っていたんだ。なまえが悪びれていないからだ。 「わざわざ家まで連れて帰ってくれて、手当てして、帰れるように地図とコンパスまで貸してくれたもん、悪い人じゃないよ!」 「じゃああの地図の印はサスケって奴の家か!」 「、ぅ、…何で怒るの! 悪いことしてないよ!」 「お前は昔からそうだ、突然汚らしい猫を拾ってきて世話をしたり、猫と犬は住む世界が違うのだとどうして分からないんだ!」 怒鳴るカカシに、なまえはたじろぐ。腕に抱えたサスケへの礼を、渡さないと庇いながらカカシから後退りする。肉食だから、お歳暮などによく贈るハムセットを買った。 「猫なんかに礼をする必要なんか無い、それを渡しなさい」 「ヤダ! カカ兄のバカ!!」 「あっ、なまえ!」 言い捨てると、なまえは走って行ってしまった。呆然とその後ろ姿を見て、はっとするとその後を追った。しかし人込みと荷物が邪魔で、荷物の少ないなまえを見失ってしまった。 やはり甘やかし過ぎた。もっと荷物を持たせるべきだったか。それに怒り過ぎた。もっと優しく諭すべきだったんだ、なまえには。アイツはまだ心が大人になりきっていないから。 走って走って、家まで帰り着いた。しかし家の鍵はカカシが持っているから、中には入れない。少し涙目になっているのを手で拭い、玄関の前に座り込んだ。携帯電話にメールが来ているが、今は返事をする気にはなれない。 喧嘩してしまった。 大好きな兄と、喧嘩をしてしまった。 でも私は何も悪くないんだ、助けてもらったお礼をしようとしているだけなのだから。 「…何でみんな、猫が嫌いなんだろう」 なまえは、小さな動物が好きだ。中でも猫が、飛び切り好きだった。でもそれを言えば周りが怒り出すので、一度も言ったことは無い。たとえ兄相手でも。 確かに自分が生まれるよりずっと昔に猫族と交流があった時から、犬族と猫族は仲が悪かった。風習と性格が合わない、昔は確かにそれが理由だった。でも今じゃ猫族だというだけで忌み嫌い、嫌悪しているだけだ。会いもしないで嫌な奴だと決め付けている。 「…分からず屋ぁ。みんな頭固過ぎるよ…」 犬族は決まりを厳しく守り過ぎるきらいがある。長い間同じ文化や風習が残り続けているのはそれがあるお陰なのだが、好き嫌いまで凝り固まり、強要するのは悪い癖だ。 「……取り敢えずお礼、渡さなきゃ」 鼻をずびっと啜り、立ち上がる。地図を返してもちゃんとまた帰れるように、新しく自分用の地図とコンパスを買ってある。お礼のハムセットとそれらを持って、森の方へ歩き出した。 [←] [→] 戻る [感想はこちら] |