猫族の女 『迷わないようにしといてやったぞ』 サスケからなまえへそんなメールが行ったのは、鶏肉のお礼の日の二日後だった。 ―猫族の女― 「…これかなぁ」 なまえは森に入って少しした所の木に、引っ掻いた痕があるのを見付けた。数メートル毎に同じような傷があり、それは真っ直ぐどこかに向かっている。この方角は確かにサスケの家が在る辺りだ。有難いと思いながら、なまえはその目印を辿って行った。 「わ、ホントに着いた!」 サスケの家には約十五分ほどで辿り着き、なまえは見付けると駆けていった。ドアの前に立ってノックしようとしたら、中から「誰だ」という問いが投げられた。しかしそれはサスケの声ではなく、女性の少し高い声だった。なまえは一瞬ためらい、入っても良いものかと考える。するとドアが勝手に開き、サスケが顔を出した。 「来たか」 「サスケさん!」 「入れ」 なまえは嬉しそうにぱっと表情を変え、尾を振りながらサスケの言う通り中に入った。するとやっぱり、知らない女性が一人椅子に座っている。アシンメトリーの赤い髪と赤い瞳と縁の太いメガネが特徴的で、強気な目付き。耳と尾は普通の猫のようだ。 「おいサスケ、誰なんだよこの女!」 「あ、えっと、初めまして。なまえって言いま…」 「なんで犬が来るんだ! ここは猫の区だ! ウチら猫族以外は来んじゃねー!」 「うるさいぞ香燐」 俺の客だ、と言いながら、サスケはドアを閉める。口の悪い香燐と呼ばれた女性は、少し怯んだものの続ける。 「でも犬だぞ!? ウチらのことを俗悪だとしか考えてないこんな奴等、呼んでどうすんだよ! 食おうとも思えないね!」 「少し静かにしろ。こいつはそんなんじゃねえよ」 「ぁ、えっと、……お邪魔だったなら、帰りますけど…」 「どうしてお前が帰る」 なまえは二人の間で困惑しながら、耳と尾を申し訳なさそうに下げて一歩下がった。でもそれはドアの近くに居たサスケに止められる。しかし香燐は「帰るならとっとと帰れ」と言うし、なまえは迷う。 「ぅ、ぅ…」 「なまえ。居ろ」 「でも、カリンさんが……」 「気安く呼んでんじゃねえぞ!」 「あ、はいっ、すみませんっ」 「アイツはほっとけ。勝手に居るだけだ」 「でも、」 すると香燐が立ち上がって、なまえの元へツカツカと歩いてくる。なまえがたじろぐとその隙に胸倉を掴み、ぐっと締める。香燐の手に両手をやってなまえはそれを外そうとするが、上手くいかない。 「香燐」 「お前、ここに何しに来たんだ。場合によっちゃあ今ここで殺す」 サスケが咎めるように名を呼ぶも、香燐は止めない。少し苦しそうに足掻くなまえに、香燐は鋭く紅い目を向ける。また少し強く締め上げる。 「っ、やめ、」 「お前はサスケの何なんだよ! このブス!」 「よせ香燐」 「だってムカつくんだよ! 犬のくせにサスケの縄張りに踏み込んでくるのが!」 「香燐、止めろと言っている。 ……殺すぞ」 「! っ…」 背筋がゾクリとなるような殺気が、空間を支配した。香燐はそれに怯むと、少ししてなまえを放した。すると殺気はあっさりと引っ込み、また元の空気に戻った。 「けほっ、けほ、」 「な、……なんでだよ、サスケ」 「大丈夫かなまえ」 「う、うん…」 香燐の言葉を無視して、サスケはなまえの傍へ行く。なまえは首の辺りに手を添えて、喉の違和感に数回咳をする。香燐はわなわなと震え、またなまえを睨む。 「香燐」 「……」 「こいつに何かした奴は、俺が殺す。覚えておけ」 「……なんで、そんな、……そんなやつに構うんだよ…!」 悔しそうに放ち、歯をギリッと噛み締める。サスケはなまえの背に手を添えたまま、香燐をじっと見た。 「…俺の大事なやつだ」 「!」 その言葉になまえは少し赤面して、サスケの横顔を見上げた。香燐はショックなようでうろたえている。 「な、んで、犬なんかが……大事なんだよ!」 「昔少しな。お前にする話じゃない」 「、……ウチ、ウチの方が、そんなブスよりずっとイイ女なのに…!」 納得いかない香燐は、なまえを睨むようにしながら言った。悔しそうにサスケとなまえを交互に見て、込み上げる殺意を押さえながら吐き捨てる。 「ウチは、お前なんかに負けた訳じゃないからな! サスケはウチのもんだ!!」 ダッと走って、ドアから出ていってしまった。完全に負けた者のセリフと行動だが、本人は気付かない。 開けっ放しになっているドアをサスケが閉め、なまえを椅子に座るよう促す。なまえは申し訳なさそうに、香燐が通ったドアを見詰めた。 「……悪いことしちゃった」 「お前が気に病む必要はない。アイツが勝手に押し掛けて、勝手に恋人のつもりでいただけだ」 「……」 ひと月ほど前にこの家の場所を突き止められ、それ以来度々やって来るのだと言う。サスケは迷惑そうに言うので、なまえは少しほっとした。知らず、尾は左右に動き始める。 「……サスケさん、私はサスケさんにとって“大事”なんだよね」 「……ああ」 「私も、サスケさんのこと、大事で大好きですっ」 「……」 照れ笑いしながら、サスケを向いて言った。 確かに照れてはいるが、恥ずかしがってはいない感じがする。 これをもっと、その一言が重くなるように。 そう思いながら、サスケは小さなヤカンをコンロにかけた。 「…コーヒーいるか?」 「うんっ。ミルクと砂糖は多めです!」 「だろうな」 小さく鼻で笑い、味覚まで子供っぽいなまえをちらりと見る。なまえは少しむっとしたような表情で、サスケをじとと見ている。それに苦笑して、コーヒー豆をガリガリと挽き始めた。 「それにしてもこの家、何も無いですね……」 「ここまで運んだりするのが面倒だからな」 サスケが入れたコーヒーを飲みながら、そう話す。部屋の数はドアから入って直ぐあるこのリビング兼ダイニングと、もう一つ奥の部屋の寝室だけだ。あとは隠し倉庫。風呂は在るがシャワーは無い。洗濯機は小さいもので、それも普段はコンセントからプラグを抜かれている。テレビなんかは当然のように無い。掃除機も無い。 「なんでこんな森の中に住んでるの…?」 「……俺は騒がしいのは嫌いでな」 「……それだけですか?」 「…………あそこがそもそも嫌いなのかもな」 ずず…とブラックコーヒーを飲み、少し黙る。 猫の区は、年中争いが絶えない。金銭トラブルであったり、男女関係のもつれであったり、些細なケンカからであったり、理由は様々である。猫族は自分の縄張りには、あまり他人を招かない。友好的な犬族に比べて、猫族は敵対的な態度を取ることが多い。中でも同性同士はその気が強い。 「……大変なんですね、色々…」 「…まあな。この家だって、口止め料で口が止まる奴を捜すのが大変だったぜ」 「約束を守らないんですか?」 「そういう奴は多い。もちろん誠実な奴も居るが」 「……ぅうん……そうなんだ……」 難しい顔をしながら、甘めのコーヒー牛乳を飲む。 犬族は決まりを厳しく守る種族だ。約束事や契約内容なんかもしっかり守る。全てがそういう人ばかりだと思っていたなまえは、少しがっかりしたようだった。 「……そういう人も居るんだ…。そっかぁ……」 「……軽蔑するか?」 猫族を。 試すような質問。サスケはじっとなまえを見詰め、返答を待つ。 温かいコーヒー牛乳をまた一口飲んで、なまえは答える。 「うーん……軽蔑っていう訳じゃないけど……。そうだよね、種族が違うんだから、色んな人が居るのも当たり前だよね」 「……」 うん、と納得したように頷き、なまえは受け止めた。サスケは一口飲んで、少し目を細める。ちょいちょいと手招きして、なまえの注意を自分に向けた。 「ん?」 「ちょっと、近付け」 「んん?」 疑問に思いながらもなまえは身を乗り出して、向かいのサスケに近付いた。するとサスケも同じようにして、なまえの顔に顔を近付けた。 「…ゎ、」 「ん。それで良い」 なまえの頬にキスをして、頭を撫でる。猫族を嫌うような言い方もせず、否定もしなかったなまえへの、ご褒美だ。なまえは照れながら小さく笑い、嬉しそうにサスケに撫でられていた。 「なまえ」 「う?」 「猫は好きか?」 「うん、好きだよ」 「猫族は、嫌いか?」 「ううん、嫌いではないよ」 「そうか」 「?」 サスケと問答し、なまえはその意図を掴み切れずに不思議そうな顔をする。でもサスケがそれらの答えに満足そうにしているので、まあいいか、と思って尾を振った。 「怖いけど、悪い人じゃないもんね」 「……一応、危ないからあまり他の猫族には近付くなよ」 「はーい」 とても良い返事をしたなまえを見て、サスケは微かに微笑んだ。 なまえは気付かなかったが、穏やかな雰囲気で時間を過ごした。 [←] [→] 戻る [感想はこちら] |