太陽の熱がコンクリートを仲立ちして、より暑くむわわっとした空気をあたりにまとわせる。今日、わたしが通う雷門中学校は無事終業式を迎え、明日から待ちに待った夏休みがスタートだ。稲妻総合病院の自動ドアをくぐると、病院独特の薬品のにおいがすんと鼻を通りぬけていった。もうすっかり道順を覚えてしまった太陽くんの病室までまっしぐら……はせず、売店の入り口で方向転換して、アイスをふたつ購入。よし、これで準備オッケー。あとは太陽くんに会いに行くだけだ。
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「太陽くん、やっほー」
「あ、先輩!」
暑さ対策で日光を遮断するために引かれていたカーテンから顔をのぞかせると、太陽くんは名前負けしないほど明るい顔を見せてくれた。さっき買ったアイスを片方手渡すと、「やった!」と大喜びしながら雑に包装をはがす。一番安かったからと言う理由で選んだガリガリ君も、ここまで喜んでもらえたら報われるだろう。
わたしが太陽くんと出会ったのは、幼なじみの優一兄さんのお見舞いの帰りだった。廊下を歩いていると、病院に似つかわしくないバダバタと誰かが走る音が聞こえてきて、振り向いてみたらオレンジ色の髪をなびかせた男の子が「ごめんなさいかくまって!」と叫ぶやいなやわたしの背中に回り込んだ。だけどそのすぐ後に冬花さんが「こら、太陽くん!」とわたしのほうにずんずん近寄ってきて、太陽くんは冬花さんに首根っこをつかまれてお説教されていた。それからわたしは優一兄さんを見舞うついでに太陽くんの病室にも足を運ぶようになって今に至る。
ソーダ味のガリガリ君をしゃくしゃくと小気味よい音を立てて食べながら、太陽くんは「今年ってびっくりするくらい暑くない?」とわたしに尋ねる。太陽くんの歳はわたしのひとつ下なんだけど、彼はわたしを先輩と呼ぶ以外は常に友だちのように砕けた口調で接する。最初のころはとがめていたりしたのだけど、改善の兆しが一向に見られないのでもうあきらめた。今では太陽くん以外の後輩(松風くんとか影山くんとか)にある日いきなり常体で話しかけられてもべつにいいかも、と思うくらいにまで麻痺した。慣れって恐ろしいなあとつくづく感じる。
「昨日群馬のほうで38度超えたってテレビで言ってたよ」
「うええ、人間の体温でゆったらもう熱でてんじゃん。そりゃ暑いよ」
はあ、とため息をつく太陽くんを見ながら、棒に残ってる最後のひとかけらのアイスを口に含んだ。棒ははずれていた。
「けど病院は涼しくない?」
「慣れたらすぐにぬるく感じるよ」
ああ言えばこう言う。ちょっとむかっとして、「わかった。じゃあもうアイス買ってきてあげない」っていじわる言うと、すごく焦った声で「うそうそ冗談だから!病院って冷房効いてて涼しいよね!」って返ってきた。ふんと鼻を慣らすと、「子どもなんだから……」って小さくぼやかれた。安静にしなきゃいけないのに病院の外走り回ってはその度に冬花さんに叱られてる太陽くんにだけは言われたくない。だけどちょっとふてくされてる太陽くんは、少し前までランドセルを背負っていた小学生の名残が見えてかわいいなあって思う。おかしいなあ、わたしの初恋は優一兄さんだったのに。小さいころ、年が近いわたしと京介はよく優一兄さんをとりあって喧嘩をしていた。けどすこし歳の離れた優一兄さんはいつもにこにこ笑いながら、誰かを贔屓することもなく3人一緒に遊んでくれた。そういう大人な振る舞いが、同い年の子や京介をがきんちょだと思ってたわたしには新鮮ですごくかっこよく見えたんだよなあ。……ほんとなんで今は太陽くんなんだろう?太陽くんに気づかれないように小さく首を傾げた。
「アイス当たってた?」
「うーうん。はずれ」
器用に棒をゴミ箱に投げ入れた太陽くんは、おっきなあくびをひとつしてベッドに背中を預けた。オレンジ色の髪がふわりと舞う。
「ね、先輩。外出許可とれたら遊びに行こうよ」
「え、どうしたのいきなり」
「病院暇なんだもん。はやく動けるようになりたい。バッティングセンターとかどう?」
「バッティングセンターってサッカーできるやつあったっけ?」
「あるある」
「……ね、太陽くん。『サッカーやり太陽』って言ってみてくれない?」
「怒るよ」
「ごめんごめん、冗談だよ」
手を振って笑うと、太陽くんはも〜と唇をとがらせた。ばたばたと両足を上下させることで整えられていた白いシーツが波打つ。開きっぱなしの窓からじわじわじわ、とセミがけたたましく鳴く声が遠くから聞こえる。クリーム色のカーテンで切り取られたわたしと太陽くんだけの世界。
「……ね、先輩。今日は優一さんのお見舞い行くの?」
「え? 行かないよ。今日は太陽くんに会いに来ただけ」
「そっか。……あーはやく外出許可もらえないかなー!」
おっきく伸びをした太陽くんが、わたしの両手をぎゅうっと握りしめる。歩くだけで汗をかきそうなくらい暑いのに、太陽くんの手のひらはひんやりとしていて気持ちがいい。そういえば昔っから手が冷たい人は心があたたかいってよく聞くけど、太陽くんを見ていたらその通りかなあと納得してしまう。僕行きたいところたくさんあるんだあって言って顔をふにゃりとほころばせた。
「バッセンもそうだけど、お祭りだって行きたいし、花火大会もやりたい! あと新雲のみんなと合宿もしたいし、先輩と海も行きたいな。夏休み中に全部出来るかな?」
「うーん、そうだなあ。もしかしたら足りないかもね」
「うわー楽しみ!」
ベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねそうな勢いの太陽くんを見てると、これなら外出許可をもらえるのも結構すぐなんじゃないかなあって思える。どうか太陽くんがやりたいこと、全部叶いますように。全部成し遂げられますように。すこし不安になったけど、太陽くんがあどけない子どものようにいひひと笑う。その顔を見たら安心した。きっと大丈夫だ。だって、夏はまだはじまったばかりなんだから。
ミゼラブル進化論
雨宮太陽/20120831
熱々 に提出