「修」

返事はない。ベッドでうつぶせになって、顔を枕に押しつけている修は、確かに起きているのに、わたしの声に応じようとはしなかった。
修悟がなにか落ち込んでるみたいなの、修のお母さんからそう聞いたわたしは、原因に大方の目星をつけながら修の部屋へやってきた。部屋の扉を開いたときから修はベッドで突っ伏していて、こんなに落ち込んでる修を見るのは小学校以来かもしれないなあと昔の記憶を掘り起こす。

「おばさんが心配してたよ」

「…………」

「……修、」

「……三橋、が」

「三橋、って……ああ、廉くん?」

「高校は、三星には行かねえって、」修はこもった声でそうつぶやいて、さらに枕に頭をうずめた。

「……埼玉に、行くって」

廉くんは、わたしと同様に修の幼なじみみたいな存在だ。修の向かいに住むルリちゃんのいとこで、小学校のころはしょっちゅうこっちに遊びに来ては、わたしを交えて修たちと野球をやっていた。中学に進学した際に、廉くんのおじいさんが理事長を勤めている三星学園に修と一緒に通い始めたのは聞いていた。たまに修と仲よく帰ってくるのを見かけたような、気もする。記憶が曖昧なのは、その光景を見たのが2年も前のことだからだろう。
廉くんを良く思っていないチームメイトたちに彼がいじめられているのは、帰り道を修がひとりで歩いているのを見てからなんとなく気がついていた。それから、修がそれを止めたりはせずにただ傍観していることも。

「さい、たま」

「あいつ、俺たちのせいで野球やめたらどうしよう。あいつが三星でやってたのは本当の野球じゃないのに」

「……」

「……三橋には、野球やめんなって言ったけど、俺が言えた義理じゃねえよ……」

修の肩がゆっくり、ふるえはじめた。枕の間から漏れ出す嗚咽。修を苦しめてるものはなんなんだろう。廉くん?野球?三星学園?それとも、彼自身?
息が詰まって苦しい。修の頭に手を伸ばした。修がわたしを、廉くんがルリちゃんを試合に呼ばなくなった理由も、ぜんぶ分かっていたはずだったのに、見て見ぬ振りをしたのはわたしだ。修をとがめなかったのはわたしだ。修にこんなに抱え込ませてしまったのは、わたしだ。
簡素な修の部屋に、彼の嗚咽だけが響く。黙って頭をなでていると修のやわらかい髪の毛が指に絡む。いつもは大好きな感触なのに、今だけは絡まってくる髪に、お前が悪いのだと責められているようで、泣きわめいてしまいたくなった。

「大丈夫、だから」

こうやって言ってあげることしかできない。わたしは廉くんじゃないのに。廉くんの気持ちなんか、廉くんにしか分からないのに。

「廉くんは、野球をやめないから」



「ゴールデンウイークに、西浦と練習試合することになった」

ゴールデンウイークのはじまる前日、修からそんなメールが届いた。西浦?このあたりでは聞いたことのない名前だ。「遠征?どこの高校?」と送ると、一分と待たずに返信がくる。メールを開いて、目を見張った。

「三橋のいる高校」

まっさきに浮かんだ感情は、安堵だった。よかった、廉くん、野球続けてたんだ。わたしは廉くんの連絡先を知らなかったから、気を揉んではいたけれど、高校でも野球部に入っているかは本人に聞けなかったのだ。返信しようとすると、また続けて修からメールが届く。

「応援、来いよ」



練習試合は西浦高校の勝利に終わり、廉くんも三星学園のみんなと無事に和解した。木の陰からこっそり応援しに来ていたわたしも、目ざとい修に見つかり、廉くんの前に引っ張り出される。わたしの姿を見た彼は、あっと一瞬驚き、どもりながらわたしの名前を呼んだ。わたしのことを覚えてくれていたことが、たまらなく嬉しい。

「廉くん、久しぶり」

「ど、どうした の?」

「うん、廉くんにちょっと聞きたいことがあって」

本当は、修たちのようにこれまでのことを謝るつもりでいた。だけどみんなと和解できてうれしそうな廉くんを見ていたら、謝るよりも他に尋ねるべきことがあるだろうと思ったのだ。廉くんがひとりで帰り道を歩いているのを見たときから、ずっと廉くんに聞きたかったけど、聞けなかったこと。

「廉くん、野球、楽しい?」

「……、うん、楽しい よ!」

その言葉をずっと聞きたかったのだ。「そっか、ならいいんだ」そう返すと、廉くんはちらりと後ろを見て、すぐに照れくさそうにはにかむ。西浦高校のみんなが、廉くんに本当の野球の楽しさを思い出させてくれたんだと分かった。廉くんが野球を楽しいと思える場所に出会えて、よかった。

「なーな、この人、三橋のカノジョ?」

鼻のあたりにそばかすを散らした西浦の男の子が、わたしを指差して突然声をあげた。男の子に肩を抱かれた廉くんは即座に「ち、ちがう、よ!」と否定する。

「この人、は、叶くん のカノジョ、だよ!」

「はあ!?」

わたしと同時に後ろからも声があがった。わたしよりはるかにすっとんきょうな声の主はもちろん修だ。修とわたしが恋人だなんて、そんなことあるわけない。彼はどっちかというと、もうひとりの家族みたいな存在なのだ。意地っぱりで変なところでプライドが高くてちょっと涙もろくてほっておけない、弟でも兄でもないけれど、大事な家族のようなもの。三橋くんはどうやら群馬を出る前に盛大な勘違いを植え付けていたらしい。

「違うよ廉くん。わたしと修がそんなわけないじゃん、ねえ修」

同意を求めて振り向くと、そこには信じられない光景があった。三星の野球部のみんなも目を丸くしている。部員の視線が修に集まっていた。それから、ゆっくりと頭が動き、今度はわたしにたくさんの瞳が突き刺さる。喉に短い息がひゅっと通って、呼吸がうまくできなくなる。
ねえ修、なんでそんなに顔がまっかなの?


くじらの鳴くころ、群青
20120226/叶修悟


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