※最終回ネタバレあり


ひとつ年上の夏樹の将来の夢がバスプロだってことは、わたしが幼いときからずうっと夏樹に聞かされていたから知っていた。だけどお父さんのお店のこととかもあって、夏樹はその夢を胸を張ってみんなに言えないということだってわかっていた。はやく島を出たいという思いと、お父さんやさくらちゃんを案じる気持ちとの葛藤で、高校生になってから夏樹はいつもいらだちを隠せないようになっていた。
だけどハルくんとユキさんに出会って、夏樹は変わっていった。昔みたいによく笑うようになった。お父さんとのわだかまりも前よりはとけたみたいで、仲よく釣りをしている景色も何度か見かけた。
ハルくんとさよならをしたときに、夏樹はハルくんに「世界の釣り王子になる」って宣言していて、やっと夏樹は自分の夢を堂々と言えるようになったんだ、ってうれしくなった。
けど、わたしはなにも知らなかったんだ。ブラックバスが江の島では釣れないこと、日本のブラックバスがどこから輸入されてきていたのかってことも、なにひとつ。

「俺、アメリカに留学するんだ」

「……え、」

「再来週には、島を出る」

目の前がまっくらになりそうだった。なんでそんな大事なことはやく言わないのさ。それじゃあ頭の悪いわたしが必死こいて勉強して、夏樹とおんなじ高校に入学したのも、夏樹のあとを追っかけてヘミングウェイでバイトはじめたのも、ぜんぶぜんぶ、むだになっちゃうじゃんか。
わたしが夏樹を恋愛の意味で好きなことを、夏樹は知らない。言ってないんだから当たり前なんだけどね。行ってほしくない。ずっと江の島にいてほしい。夏樹がいないとさみしい。こんなのはただのわたしのわがままだってわかってるんだ、わかってる、のに。
たっぷりの沈黙のあと、わたしが夏樹につぶやいたのは、

「……夏樹のばかやろう。どこでも行っちゃえ」




 :



「……で、夏樹と喧嘩したんだ」

「……ふぁい」

バイト中、わたしがカウンターでひどく落ちこんでいるのを見かねたユキさんが、どうしたの、と声をかけてくれた。(夏樹は今日は遅番なのだ)そしてまあ、ユキさんに昨日起こったすべてを包み隠さずお話して今に至る。わたしの話を聞き終えたユキさんは、まずはじめになるほどなあとえらく納得したような声をあげて、苦笑いをくださった。なんかショック。

「だから夏樹、今日不機嫌だったんだな」

「もう夏樹なんか知らないんです。アメリカでもインドでもどこへでも行っちまえばいいんです」

「い、インドって……」

困ったように笑うユキさんから視線を外して、かかあ天下を繰り広げている海咲さんと歩ちゃんをみる。結婚してからの海咲さんは、あんなに海咲さんラブだった歩ちゃんも引いちゃうくらいに鬼嫁の才を発揮させてしまった。そして今日も今日とて歩ちゃんを振り回している。それがうらやましいとは思わない。だけどお互いに好きあっているからこそ、そうやって自分の素をだせるんであって、そこは純粋にいいなあと思う。

「……でも、夏樹はアメリカに行くことをきみに一番に言いたかっただろうし、言いたくなかったんだとも思うよ」

「……ごめんユキさん、ちょっとよくわかんない」

「……ごめん、俺もどう言えばいいのかわからない。けど、ふたりとも意地っ張りだなあってことは、言えるかな」

はあ、と思ってユキさんをみると、ユキさんは我が子を見つめるような目でわたしをみていた。意地っ張り、かあ。夏樹は言わずもがなだけど、わたしも大概そうなのかもしれない。


 。

 。



「……げ」

わたしの視線の先には、これまたやっちまった、って言いたげな顔をした夏樹の姿があった。バイトの時間がなかなか合致することがなく、学年もちがうし学校で会うこともほぼ無いに等しかったから油断していた。喧嘩してから早1週間、ひさびさに夏樹と顔をあわせた場所は商店街の八百屋のまん前だった。
ちくしょう。お母さんのおつかいなんて引き受けなかったらよかった。きっと夏樹もしらす亭のおつかいを頼まれたんだろう。悔やむわたしが目線を下におろしていくと、夏樹の左手にあるそれがふと目に入る。……あれ。それはいつもの水色の携帯ではなくって、黒く光っていて四角い、ユキさんがもってるようなあれ。

「夏樹、スマホにかえたの?!」

「あ? ああ……まあな」

「いいなー! ねえちょっと使わせて!」

「は、」

喧嘩していたことも忘れて、笑顔で右手を夏樹にさしだすと、彼は一瞬目をぱちくりとさせて、すぐに「……壊すなよ」とちょっと顔をほころばせながらわたしの手のひらにスマホを置いた。へえええ、たしかに最近話題になってるスマホだ。ユキさんからときどき借りて使わせてもらったことは何度かあるから、スマホをさわるのはこれがはじめてではないのだけど、なんだかえらく興奮してしまう。
ユキさんからスマホを借りたときから感じていたが、やっぱりわたしは指を使うこの画面操作があまり得意ではなくて、思い通りにいかないところも何回かあった。とりあえず一通りいじくってから、そういえばとふと思い直す。

「夏樹、あんなにスマホに興味ないって言ってたよね。急にどうしたの?」

「……ユキとビデオチャットとかするためだよ。国際電話って高いしな」

「…………そっ、かあ」

聞かなきゃよかった、と後悔した。夏樹がアメリカに行くっていう事実をまざまざと見せつけられてしまったから。夏樹もなんだか苦い顔をしている。いやなこと、聞いちゃったな。暗くなった気分をむりやり押しこんで、「それじゃあ、帰るね」と夏樹にスマホを返して隣をすり抜けようとすると、買い物袋を持っていないほうの手首を強い力でつかまれた。

「……一緒に帰るぞ。もう暗いだろ」

そのまま夏樹とわたしの家があるほうへと歩を進める夏樹。手首はまだつかまれたままで、夏樹の広い歩幅にあわせきれずなんとか転ばないように歩くので精いっぱいだった。夏樹の行動が読めなくて、声をかけたいと思ってもなにを言っていいのかわからず口をつぐんでしまう。結局お互い無言のまま、わたしの家の前まできてしまった。

「……」

「……なつ、き?」

玄関の前にきたのに、夏樹はわたしの手をつかんだままだった。手首をつかんでいた手のひらは、いつのまにかわたしの手のひらにまで移動している。夏樹はうつむいたまま何も言わない。表情を知りたくても暗がりで顔がよく見えない。なんなの、わたし、どうしたらいいの。どうにもできない悔しさで胸がいっぱいになって、ぽたりぽたりと頬を伝っていくそれ。夏樹が顔をあげて、ぎょっとしたようすでわたしを見るのがわかった。

「っく……ふぇ、」

「……おい、なんで、泣いてんだよ」

「っ、もうやだ、わかんないよ……夏樹はさみしくないの?」

「……」

「夏樹のばか。なにひとりで決めちゃってるの。っ、夏樹が江の島でていっちゃうの、さみしいよっ……アメリカなんか行かないで、ずっとここにいてよ……」

夏樹は黙ったままだった。わたしの鼻をすする音と咳き込む声だけが空間を支配して数分経ったころ、やっと夏樹が口を開いた。

「……お前、さ。買えよ、スマホ」

「……え、」

「そしたら、ビデオチャットとかでいつでも顔合わせられるだろ。声だって聞けるだろ」

「え、え、」

「……寂しいのは、お前だけじゃない」

彼の手がちいさく震えるのを感じた。そしてわかってしまった。……ああ、そっか。夏樹も、一緒なんだなあ。ずうっと地元で生きてきたから、知らない土地、しかも外国に足を踏み入れるのは、すごく勇気が必要だろう。それに17年間も育ったこの島を離れるのは、心細いし、こわい。きっとわたしも夏樹の立場だったらそう思う。だけど、自分の夢だから。自分がやりたいことだから、彼はどんなに怖くても不安でも進もうとしてるんだ。それなのに、わたしのわがままで彼を困らせちゃ、だめなんだ。
ごしごしごし、と目が痛くなるのもいとわずに荒く涙を拭って、まっすぐ夏樹に向き直る。わたしの家のリビングから漏れだした光が、うっすらとだけど夏樹のちょっと情けなくなってる顔を照らしていた。

「ごめんね、もう大丈夫だから」

「……ああ」

「夏樹、がんばれ。ずっと応援してるから、絶対プロになって帰ってきてよ!」

「ああ、まかせとけ」

夏樹が昔のように無邪気な顔で笑った。もう言葉はいらない。わたしも夏樹も大丈夫。それはぎゅうって握りしめられた手のひらの温度が、感触が、ぜんぶが、証明してくれている。







夏樹が渡米してから半年が経った。ユキさんとわたしはまだヘミングウェイでバイトを続けていて、海咲さんと歩ちゃんの端から見ればもはや漫才と化したそれもあいかわらず続いている。
アキラさんもときどきふらりと江の島へタピオカを連れてやってくる。そしてなにより驚くことに、半年前にさよならしたはずのハルくんが、ユキさんのクラスに転校生として帰ってきたのだ。てっきりもう二度と会えないんだと思っていた彼が、突然ユキさんと一緒にわたしのクラスに乗りこんできてわたしに飛びついてきたときは本当に夢でも見ているのかと思った。(このときはさすがに夏樹もユキさんのスマホ越しにあらわれたハルくんの姿を見て相当驚いていた。)

そして、わたしと夏樹はというと。

「それでさ、あいかわらず数学が赤点ギリギリだからユキさんに教えてもらってるの」

「お前、昔っから数学は駄目だもんな」

わたしはガラケーをスマホにかえた。はじめの頃はとにかく操作がうまくいかなくっていらいらしっぱなしだったけど、ユキさんに教えてもらいながらしばらく使っているうちにだいぶ慣れて、間違い電話もメールの誤変換も少なくなった。そして毎日のように夏樹とビデオチャットで近状を語りあっている。

「ハルくんは毎回数学赤点らしいんだけど、宇宙人だからって先生も多目に見てるみたい」

「はは、なんだそれ」

けらけらと声をあげる夏樹に、思わずわたしの顔もほころんだ。わたしは結局夏樹に思いを伝えなかったけど、これでよかったのだと今なら思う。わたしの中で大切に大切にあたためておいて、いつか夏樹の夢が叶ったときに言って驚かせてやるんだ。そう思っていると、夏樹がなにかを思い出したように口を開く。

「あ、俺、来月一旦そっちに戻るから」

「えっ、ほんとに?」

「ちょっと長い休みが取れたんだよ。親父やさくらたちにも会いたいしな」

「そっかあ、楽しみだなあ。盛大に出迎えなきゃね!」

「……そのときに、お前に言いたいことあるから。期待してろよ」

「……え、」

もしかしたら、わたしが夏樹に気持ちを伝える日はそう遠くはないのかもしれない。


自転車こいで帰るから、きみはカルピスを薄めて待ってて


20120704/宇佐美夏樹
BGM:aiko「キラキラ」


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