(あれ、夏樹……と、誰だろう)
靴箱に向かっていたわたしの目に入ってきたのは、幼なじみで隣のクラスの夏樹と、見慣れない男の子がふたり。ひとりはクリーム色のショートカットが目立つ子で、もうひとりは夏樹に負けず劣らず無造作な朱色の髪の子。いったいどういう風の吹き回しなんだろうと思って、その軍団に接近してみた。わたしの視線に夏樹が気づき、名前を呼ばれる。
「夏樹、その2人は?」
「ああ。最近転校してきたんだよ」
あ、そういえばすこし前に夏樹のクラスに変な転校生がふたり来た、ってうちのクラスでも話題になってたっけ。それがこの2人かあ。ふーん。夏樹の後ろにそろりと避難する朱色頭の男の子とは裏腹に、クリーム色をした頭の少年は思いっきし身を乗り出してきた。ち、近い!
「誰? 王子の友達?」
「おうっ……!?」
「ハル! その呼び方やめろっつったろ!」
「なに夏樹、友だちに王子って呼ばせてんの?」
「……ちがうからな。おい笑うな」
いやだって、これが笑わずにいられますか。と頭の中でだけ思いながら、のど元にせり上がってくる笑いをどうにかこらえる。だって夏樹あんまりからかうとすねちゃうし。王子って夏樹のことを呼ぶのは彼女だけだから、たぶん海咲さんの入れ知恵なんだろうな。夏樹、釣りのことに関してはプロ並みだから。あ、海咲さんってことは、2人も釣りするのかな? 夏樹に尋ねてみたら、さっきハルと呼ばれていた男の子が「そう! 僕とユキも釣り、するー!」と夏樹よりもはやく返事をしてくれた。どうやら朱色頭の男の子はユキ、という名前らしい。とつぜん名前をあげられたことに驚いたのか、ユキくんという彼は肩をびくんと持ち上げた。
「あ、そういや紹介。こいつはハル」
「よっろしく〜!」
今さらな夏樹の自己紹介がはじまった。名前を呼ばれたハルくん(でいいのかな)、はぶんぶんと元気よくわたしに手をふったので、わたしも軽く振りかえす。「んで、こっちはユキ」夏樹がすっと体を右によけて、わたしはユキくんと真っ正面から向きあう形になる。ユキくんは「うあ、」とか「あ、」とかわたしの顔を見ながら母音をくり返しつぶやいていた。
「えっ、と、ユキくん?」
「う、うん」
「よろしくね」
「! よ、よろしく……」
ユキくんの語尾がだんだん縮こまっていった。なにかと相当緊張する子なんだろうな。顔がこわばってオコゼみたいになっちゃってる。と思っていると、夏樹が「ユキ、また般若になってるぞ」とたしなめていた。なるほど、夏樹はこの顔を般若ととらえたのか。わたしとおんなじオコゼだとてっきり思ってた。だって釣り王子だし。
「そうだ、お前も一緒に釣りやるか?」
「え、いいの?」
夏樹からの提案に心が弾んだけど、すぐに不安になる。だってわたしいまさっき2人と知りあったばっかりだし、2人だってついさっき言葉を交わしただけの人間と釣りしようっていわれたって実際は相当難しいだろう。誘いにのっていいのかわからずに黙ったままいると、ハルくんがわたしの両手をとった。
「釣り、やろう! 人いっぱいいるほうが楽しーい!」
「え、えっ、いいの?」
「うん!」
「ユキも構わねえだろ?」
「、うん。ぜんぜん!」
ユキくんも首を縦にふってくれた。それじゃあ、お言葉に甘えて参加させてもらおうかなあ。
4人で海に向かってる途中、色素の薄い髪でどこか片言だからずっとヨーロッパあたりのハーフだと思っていたハルくんが自称宇宙人で、朱色の髪が印象的なユキくんは正真正銘フランス人のクォーターだという事実を知りわたしはまた目を丸くすることになる。
○。 ○。 ○。
「ねえ夏樹、ふたりとも釣り上手なの?」
夏樹の影響でちょっとだけ釣りをしていたわたしは、ほんのちょっぴり興味があったから、2人が竿を準備している間に夏樹にこっそり尋ねてみた。夏樹は一瞬考え込んで、首を軽く横にふる。でもその顔に残念さはあんまり含まれていなくて、むしろどこかうれしそうに口の両端を持ち上げていた。
「まだ初心者だからな。けど上達ははやい方だと思う。とくにユキはな」
「え、ユキくん?」
「ああ。まあ見てろって」
竿を準備し終えた夏樹が立ち上がった。「ハル、ユキ! やるぞ!」夏樹の呼びかけにふたりとも元気よく返事する。あれ、なんか、ユキくんがさっきまでとちがって見えるような。ほんのすこし前までは夏樹の後ろに隠れておどおどしていたのに、いまは別人のような笑顔でいきいきしてる。
「えの! しま! どーん!」
3人がかけ声にあわせて竿を海に振った。江ノ島丼。夏樹のお父さんがやってるお店の人気メニューのひとつだ。きっと考案したのは夏樹なんだろうな。思わず微笑みそうになりながら、わたしはさっき夏樹に言われたとおり、ユキくんにひたすら視線を送って彼を観察してみる。ユキくんはわたしの目線なんて気にもとめずに、ただひたすら海を見つめていた。こうやって真剣にみていたら、結構ユキくんって整った顔してるよなあ。さすがフランス人のハーフ。なんて釣りに無関係なことを考えていたら、いきなりユキくんの顔がぱあっと明るくなった。まるで水を得た魚みたい。
「きた!」
ユキくんの叫びに、みんなの目が一斉に彼の糸が沈んでいる箇所に集まる。魚がルアーをえさだと思いこんでくわえているんだろう。わずかだが糸がくい、と上下して、まわりには小さな波紋が広がっていた。
ユキくんが釣竿を立てる。ルアーが浮き沈みするタイミングに合わせて力強くリールを巻いた。その動きに初心者のぎこちなさはまだ残ってはいたけど、釣竿を握って間もないとは思えないほど上手だった。
「ユキ、落ち着けよ!」
「ユッキーがんばれーっ!!」
夏樹とハルくんが声を張った。ユキくんは必死に竿を引いて魚をひっぱりあげている。その姿は真剣そのもので、のど元までせりあがるそれをどうしてもこらえきれなくて、わたしは思わず声をあげた。
「ゆ、ユキくん! がんばれ!」
「……! うん!」
わたしの呼びかけに一瞬だけ驚いた顔をしたユキくんは、すぐに力いっぱいうなずいて、また海に向き直る。まだ沈む気配をみせない太陽から降ってくる光が水面に反射して、ユキくんを照らした。
(……あ、)
太陽の光をめいっぱいあびたユキくんの瞳が、黒から透き通る緑に姿をかえた。透き通る緑、というよりは、エメラルドのほうが正しいかもしれない。彼の瞳はそれほどまでにきれいで澄んでいて、わたしは見惚れてしまった。
ばしゃん、水が大きく跳ねる音がしてはっとする。音のしたほうに目を向けると、ルアーの先っぽにかなり大きめのシーバスが食いついているのが見えた。
「……っ、やった!」
「やったーあ! ユッキーすっごーい!」
大興奮してるハルくんのとなりで、夏樹がユキくんと協力してシーバスを引き上げた。アスファルトに置かれたシーバスは、遠目からみてもかなり大きかったけど、近くでみるとまたさらに大きくみえる。まだほんの少し跳ねるシーバスを見つめていると、ふっと自分の視界に影がかかる。顔をあげると、髪の色とおんなじようにまっかな顔をしたユキくんが、シーバスをうれしそうに見つめていた。うわ、ちょっと、顔近い。恥ずかしさに顔に熱が集まるのがわかると、わたしの瞳とユキくんのそれがばっちり合った。太陽の光が反射されてまたたく海みたいに、きらきらとかがやくエメラルドに吸いこまれそうな感覚を覚える。
わたしの視線に気がついたユキくんも、思っていた以上に顔の距離が近いことにびっくりしたんだろう。「うわあぁ!?」とちょっと情けない叫び声をあげて後ずさりをした。さっきとは違う意味で顔が赤くなっている。
「ごっ、ごめん! でっかいのが釣れてうれしかったからつい……!」
「ユキくん、」
「へ?」
「おめでとう!」
「……! うん! ありがとう!」
ユキくんが笑顔でわたしにお礼を言った。長いまつげと赤髪がさらさらと揺れて、とてもきれいだと思った。彼のまわりがきらきらと、日の光じゃないなにかで輝いている。
どきんと、自分の心臓がはねて、顔があかくなるのがわかった。
ごく純粋な侵略者でもって
僕の平静は終わる
20120630/真田ユキ