※原作ネタバレと年齢操作


竜持くんは、名字を呼ばれるのが好きじゃないらしい。竜持くんは一卵性の三つ子のまん中だから、同年代の友だちに降矢くんと呼ばれると、自分なのか兄なのか弟なのかわからなくなるからまぎらわしいのだとこの間言っていた。一卵性っていうことは顔もそっくりなんだろう。お兄さんも弟くんもなんだかんだで会ったことはないから、死ぬまでには見てみたいなあ。などと思っていたら、

「自分から教えてほしいって言ってきといて、考え事とはいい度胸ですね」

「あたっ」

べしんっ、と弾むようなリズムで頭をはたかれた。呆れ顔の竜持くんの右手には丸められたわたしの数学の教科書。ちょっと竜持くん、彼女に対して加減が足りてないんじゃないのかな。たたかれた箇所が熱をもって痛む。

「手、完全に止まってましたよ」

「……ごめんなさい」

「わからなくて現実逃避するくらいなら、わからないって言ってください。教えますから」

「あ、ちがうの、そうじゃなくって」

竜持くんのお父さんは名が高い数学者さんで、大学のパンフレットで何度か名前も見たこともあるくらい有名だ。その血を特に色濃く引いたのが三つ子のなかでも竜持くんで、数学のテストは学年一位の座を守り続けている。数学のテストの順位は後ろから数えたほうがはやいわたしとはえらい違いだ。だからテストが近づくと、こうして竜持くんとマンツーマンで数学を教えてもらっている。竜持くんは人に教えるのがとても上手なのだ。
わたしが首を振ったことを疑問に思ったのか、竜持くんはこてんと首をかしげた。普段の口調や仕草は大人顔負けな竜持くんだけど、ときおりこういうあどけない行動をとる。そんな姿を見るとまだまだわたしたちとおんなじ子どもなんだなあと思う。

「竜持くんのお兄さんや弟くん、会ったことないから会ってみたいなあって」

竜持くんのお家は広い。同い年の子どもが三人もいるんだから当たり前かとも思うけど、お兄さんがサッカー留学でスペインに行ってしまったから、よりいっそう広々としてみえる。同年代の男の子よりも幾分か殺風景だろう竜持くんの部屋を見渡していると、目の前の彼は渋い顔をして「……ダメです。弟はとくにダメです」とつぶやいた。

「え、弟くん?」

「……こっちの話です。そろそろ遅いし、今日はこの辺で終わりにして帰りましょう。送っていきます」

「うん、ありがとう。かえってちゃんと復習するね」

「ぼくは部屋を片づけてから向かうので、先に外で待っていてください」

「はあい」

テキストと筆箱、その他もろもろをかばんに詰めこんで竜持くんの部屋をでた。ヤニが塗られてつやつやと輝く木の階段は、うちの階段とは違ってわたしが足をかけてもぎい、と今にも壊れて崩れてしまいそうな鈍い音がしない。あの音は自分の体の重さに木が勘弁してくれと悲鳴をあげているみたいなので正直とっても苦手だ。ダイエットを心に決めなきゃいけなくなる。玄関でローファーに足を通して、ドアノブに手をかけようとしたとき、わたしがふれるよりも先にガチャリ、とノブが勝手に動き、ドアが外へ引っ張られていった。

「竜持、帰ったぞー……ん? あんた誰だ?」

わたしの目に飛びこんできたのは、わたしよりも頭ふたつ分ほど高い竜持くんとよく似ている男の子。前髪をまん中で分けていて、それを目の上でぱっつんに切りそろえたら、きっと竜持くんと区別がつけられなくなるだろう。顔にいたっては、以前何度か見たことがある眼鏡を外した彼そのもので、けど竜持くんよりも少し目がつりあがっている印象を受けた。

「こ、こんばんは。お邪魔してます」

「……あんたもしかして、竜持の彼女?」

「はい、まあ、一応」

「へええ」

竜持くんが常に敬語だからか、彼の顔で砕けた口調を使われるとなんだか新鮮でおもしろい。ひとしきりほーおとかはーんとかふーんとか感嘆詞をフル活用させた彼は、にやりと竜持くんが意地の悪いことを考えてるときの顔をしてわたしに右手をのばす。

「おれは凰壮。竜持の弟」

「お、おーぞー、くん?」

「ああ」

おうぞう、ってなかなかクセのある名前だなあ。漢字で書くとどんな字になるんだろうと考えながら伸ばされた右手に自分の右手を重ねて握手をする。おうぞうくんはにっこりと笑いながら 「竜持、けっこうめんどくさいやつだろ。なんかあいつのことで聞きたいこととかあるか?」と尋ねてきた。竜持くんをめんどくさいなんて思ったことは一度もないんだけど、聞きたいことというか、最近ずっと思っていたことを言うために口を開く。

「……竜持くんって、あんまり誰かに固執することってないよね?」

「ん、…確かにあんまないかもな。それがどうした?」

「いや、竜持くんって妬いたりしないなあ、なんて……思ったり」

竜持くんはモテる。それはもうモテる。クラスの中でも抜きん出るほどかっこいいルックスに、優秀な成績(とくに数学)とスポーツ万能(とくにサッカー)が相乗効果をもたらして、彼は学年クラス問わず人気がある。そしてわたしよりも何万倍もかわいくて細い女の子が彼にアプローチしているのを見る度、わたしは一丁前にも妬いてしまう。こんな平々凡々なわたしで本当に竜持くんはいいんだろうかって無性に不安になってしまうのだ。
わたしはそもそも男の子と話すことがあんまりないから、それもあるのかもしれないけど、わたしもたまにはやきもち妬かれてみたいなあ、なんて思う。わたしの言葉を聞いたおうぞうくんは、一瞬驚いた顔をしてから、またすぐにくつくつと笑いはじめた。笑い事じゃないよ。こっちはすごく真剣なのに!

「安心しろよ。竜持はお前のことちゃんと好きだから」

「……本当?」

「ああ。というか、お前携帯持ってるか? アドレスとか交換、」

「ダメ」

おうぞうくんの言葉を遮ったのは、強い力でわたしの肩を引っ張る竜持くんだった。「りゅうじ、くん」「……帰るよ。凰壮くん、留守番よろしく」「おー」頭が追いついていないわたしの手のひらをつかんで、おうぞうくんと会話をしながら隣をすり抜ける竜持くん。わたしは半ば引きずられるような形で降矢家をでた。去り際におうぞうくんをみたら、彼は口元に手を当てて笑いを必死にこらえていた。

「……竜持くん?」

「………」

いつもは自転車を用意してわたしを送るのに、今日の竜持くんは自転車のハンドルではなくわたしの右手を握ったまま無言で足早に歩く。名前を呼んでみても返事はなく、なんだかたまらなく不安になってきた。まとっている空気もなんだか重い。

「……なに話してたんですか、凰壮くんと」

「え? 世間話だけど……」

きみのことだよとはさすがに言えない。適当で無難なセリフを返すと、竜持くんは前を向いたままほんのすこし鋭い口調で言う。

「いいですか、これから先、凰壮くんにメールアドレスとか電話番号を聞かれても絶対に教えないでください。絶対にですよ」

「う、うん」

早口でまくしたてられたけど、とりあえずおうぞうくんに連絡先を教えないでほしいっていうことはわかった。肯定の返事をすると、手の力がいくぶんか和らいだ。ピリピリとした空気も薄れてきたので、軽く冗談を言おうと思い言葉を紡ぐ。

「もしかして竜持くん、さっきやきもちやいちゃった? なーんて……」

言い終わる前に、竜持くんの足が止まった。止まったっていうよりは、動揺して動けなくなったっていう表現のほうが正しいかもしれない。しばらくその場で立ちどまって、ようやく竜持くんがくるりと振りかえった。白くて女のわたしよりきれいな肌は、全体的にうっすらと赤く、いつもはゆるい三日月を描いている唇はおあずけをされた子どものようにとがっている。予想外の反応に目を丸くしていると、小さい声で「………あんまり不安にさせないでくださいよ……」と彼はぼやいた。

「そっちがものすごくやきもちやきだから、ぼくはすごく我慢してるんですよ」

「えっ、気づいてたの?」

「そりゃあね。あれだけわかりやすく視線を投げかけられたらイヤでも気づきますよ」

「うう、なにそれ恥ずかしい……」

自分の顔に熱が集まるのがわかった。顔を見られたくなくて手で隠そうとすると、それよりも先に左腕をがっちりとつかまれる。両手をつかまれる形になったわたしは、最終手段としてうつむいて顔を見えづらくなるようにした。わたしが照れているのをみてちょっと冷静になったらしい竜持くんはくすくすと笑って、いきなりわたしの腕を自分に引き寄せる。わたしの頭は竜持くんの鎖骨あたりに預けられ、竜持くんの頭はわたしの肩にこてんと置かれた。突然のことに頭が追いつかず、ぐるぐると脳みそがかき混ぜられる感覚におそわれる。

「りゅ、じ、くん……?!」

「はい」

「あの、これ、なに」

「とくに意味はないです」

意味ないんかい。なんて突っ込みはいれられなかった。それよりもばくばくと心臓が脈打って仕方ない。竜持くんがときどき頭を首筋にすり寄せてくると口から心臓が飛び出しそうなくらい体がこわばった。さらさらとした彼の髪の毛がこそばゆいとかもう気にしてられない。どれくらいそうしてたんだろう。しばらくしてから竜持くんが顔をあげて、わたしの手を引っ張った。

「……帰りましょう」

「……はい」


∵*


「お、竜持の彼女だ」

「あ、おうぞうくん」

あれから数日後、発売したばかりの漫画の新刊を買おうと学校帰りに出向いた本屋でおうぞうくんと会った。わたしに気づいたおうぞうくんはとんとんと軽いリズムで駆け寄ってくる。右手には数学の参考書。さ、さすが天才数学者の息子だ。びっくりしていると、おうぞうくんは「そういやさ、」と切りだす。

「こないだ、あの後なんかあったのか? 帰ってきたとき竜持の機嫌がやけによかったからさ」

「うえっ?! ないない! ないよ!」

「……ふーん。じゃあそういうことにしとくか」

たぶんおうぞうくん、わたしと竜持くんになにかあったんだろうって践んでる。絶対。でも思わず焦ってあからさまな対応をしてしまったから仕方ないといえば仕方ない。熱が集まってきた顔を冷まそうと両手を頬に当てていると、おうぞうくんがにやにやと薄ら笑いを浮かべながら唇を動かした。

「この間さ、お前はちゃんと竜持に好かれてるって言っただろ? あれちゃんと理由があんだよ」

「理由?」

「そ。あいつって普段から誰にでも敬語だろ? あれおやじの真似でさ、ほんとは敬語なんか使わないしおれのことも凰壮って呼ぶ」

「う、うん?」

おうぞうくんの言葉の意図がつかめなくて首をかしげると、おうぞうくんはこっから本題、と心底おかしそうに言った。

「竜持、自分が譲れないものが誰かにとられそうになったら、敬語が消えんだよ」

「……それ、って」

ついこの間のことを思い返してみる。あのとき、わたしがおうぞうくんにアドレスを聞かれているとき、竜持くんは彼を「ダメ」と制した。わたしに「帰るよ」と言った。普段は敬語を使っていないところを全くみないので、あんまりにも印象的だったから覚えていた。
どうしよう、さっきやっとおさめたはずの熱が、またぶり返してくるのがわかった。


ぴかぴかきらきら


降矢竜持/20120708

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