きっかけらしいきっかけなんてなかったと思う。言いかえれば、本当に気まぐれ。なぜかいきなり耳の近くがさびしくて落ち着かなくなって、どうすればこの言いようのない寂しさを紛らわせられるだろうかと考え抜いた結果、わたしは携帯のアドレス帳のページを開き、中学のころの友だち、と形容していいのかいまいちわからない彼の名前を探した。







わたしが宮村くんとはじめて出会ったのは、それなりに仲がよかった進藤が彼にちょっかいをかけはじめたころだった。宮村伊澄、名前だけは時おり風のうわさで聞いていた。風のうわさって言うより主に谷原の愚痴のネタになってたってだけなんだけど、話したことなんてないしそもそも顔すら知らない人間の文句を聞かされても感情移入なんてできないから、ただ右から左へ聞き流していた。だから宮村くんの名前しか彼に関する情報はわたしの脳みそに残ってなかったのだ。

進藤に促されて彼とご対面したとき、宮村くんはおどおどしていて、緊張して怖がられているんだなあと分かった。わたしも彼も自分から話題を持ちかけたりするのが苦手で相手が話を振ってくれるのをずうっと待つタイプだったから、仲介役だったおしゃべりな進藤にはあのときを思い出す度に感謝してもしきれない。どうにかこうにかして自己紹介を終わらせて、すこしだけ話してみたり進藤とのやりとりを見ていたりすると、宮村くんは予想外に面白い男の子だった。なるほど、進藤が興味を持った理由がよく分かる。わたしももっと宮村くんと仲良くなりたいなあと素直に思った。
それからわたしは2人と行動することが増えた。大好きな進藤をとられたからか、谷原は余計に宮村くんを嫌悪するようになって、周りの人たちと小さないやがらせを彼にぽつぽつはじめるようになった。やさしい宮村くんは一時期わたしや進藤と距離を置くようにしていたけれど、わたしも進藤も気にせずに宮村くんに接していると、どうやら彼も彼で折れたらしく、わたしたちを遠慮なしに受けいれてくれるようになった。

「みんなには内緒だから」

ある日、わたしは放課後の2人っきりの教室で宮村くんにそう言われた。なにがだろうと思って首をかしげたら、耳まですっぽり覆い隠していた彼の髪がかきあげられ、「内緒」があらわになった。彼の薄い耳たぶを貫く銀色のそれに、わたしは息が詰まるのを感じた。

「宮村くん、それ、」

「うん、ピアス。あと体にちょっとタトゥーもいれてる」

「な、なんで。し、んどうには……」

「うーん、なんとなくかな。進藤にはもう言ったんだ。というか、見られちゃった」

ちょっと怒られちゃったよ。そう言いながらあはは、と眉を下げて笑う宮村くん。受験も近いし素行はそれなりにきちんとしていたわたしにとっては、ピアスも刺青も未知の世界のものでしかなかった。そんな世界のものを体に刻んだ宮村くんを、うらやましいと同時にかっこいいと思ってしまった。そしてわたしは自分の気持ちを、宮村くんを他の男子とは違う、特別な男の子なんだと、そうすり替えてしまった。どうして宮村くんがそんな世界に足を踏み入れたのか、なんて、あのときのわたしは考えもしなかったのだ。


わたしも宮村くんも進藤も別々の高校に進学して、けれどわたしは宮村くんに対する感情を引きずったまま高校3年生の夏を迎えた。夏季講習のために重たい体を引きずって熱を反射するコンクリートの上を歩いていると、この蒸し暑い中でベージュのカーデを羽織っている男の子が前からこっちに向かってくるのが見えた。誰だよこの時期にカーデなんて。見てるだけで暑いよ。そう思ってその奇特な人の顔を拝もうと視線をあげたら、

「あっ」

「………宮村、くん?」

そこに立っていたのは宮村くんだった。ピアスを隠すためにずっと伸ばしていた髪はばっさりと切られ、ピアスをつけている耳も全開だ。宮村くんはうれしそうにわたしに駆け寄ってくるけど、わたしは彼の大改造劇的ビフォーアフターにただ目を白黒とさせた。

「久しぶり、元気だった?」

「み、やむらく……どうしたの、それ」

「え、あー…イメチェン?」

頭をかきながら彼は笑った。わたしが好きな、あの笑い方だ。進藤から時おり彼の話は耳に届いていたけど、ここまで変わってるなんて一言も言ってなかった。だけど見た目の変貌ぶりと反して中身は全然変わってないなあ、と宮村くんの笑顔を見て安心していたけど、わたしは彼の次の言葉で崖のふちで大親友に背中を押されたような絶望を味わうのだった。

「つきあってる人がいて、その人につりあいたいなあって思ったんだ」

わたしの恋はあっけなく終わりを告げた。広すぎる宇宙のすみっこに置き去りにされた気分だった。







ほんとにいいの?と宮村くんに聞かれるのはこれで三回目だ。わたしは静かに首を縦にふる。そう、と伏せ目がちに言う彼の右手には、開封したばかりのピアッサー。わたしは今から、この道具を、本来の使用目的どおり正しく使って耳に穴を開けるのだ。ピアッサーをカシャンカシャンと押してもてあそびながら、宮村くんは口を開く。

「おれは安全ピンで開けたけど、さすがにそれはまずいだろうしね」

「あ、安全ピンって…痛かったでしょ?」

「そりゃあ痛いよ。身体に穴を開けるんだもん。開けてからしばらくは枕が血みどろだったなあ」

宮村くんの言葉で、真っ赤に染まる白いまくらカバーをうっかり想像してしまって、肩にへんな力が入るのがわかった。きゅうにこわばったわたしを見て、にぶちんの宮村くんも自分の失言に気付いたようだ。すぐに「あ、でもおれは安全ピンだったからで!ピアッサーは絶対にそんなことないよ!」と慌ててフォローをいれる。だけど一度固まった身体をほぐすのはそうそう簡単なことではなく。

「……宮村くん、ごめん。10分だけ待ってもらってもいい、かな」

「……はい」




10分も過ぎると緊張もどうにかほどけてきた。わたしを待っている間ひたすらピアッサーで遊んでいた宮村くんに、もういいよと声をかけると、また聞こえる「ほんとに大丈夫?」とわたしを心配する声。宮村くんって、意外に心配性なのかもしれない。わたしが進藤と一緒にいる彼しか見たことなかったからなのかもだけど、彼は結構強気でタフなイメージがあった。

「うん、もう大丈夫だよ」

「…そっか」

じゃあいくよ、と彼はピアッサーをわたしの右耳に近づけた。「力抜いててね」そう耳元で言われて、へんなところに力が入ってしまう。刹那、耳たぶににぶい痛みと、カシャンという先ほどまで宮村くんがいじっていたそれと同じ音がした。う、結構痛い。眉をひそめていると袋詰めにされた氷を、穴を開けた部分に押し当てられる。

「……はい、終わり。結構痛いでしょ」

「うん…」

注射苦手な子にはちょっときついよね、と宮村くんは肩をすくめた。その反動でさらりと髪が流れ、先ほどまで隠れていたピアスが2、3個ついている耳があらわになる。

「宮村くんは、もうピアス開けないの?」

「うん。…おれが身体に穴開けたりすると、叱られちゃうから」

そう言ってなにかを思い出すようにはにかむ宮村くんに、中学の頃の面影は見えなくって。なんだか、ひどくさみしく感じた。だけどそれと同時に、もしかしたら宮村くんは、自分の身体に傷をつけるのに憧れる人じゃなくって、自分の身体を大事にしなさいって叱ってくれる人を求めていたんじゃないのかなあと思った。彼の隣にいま立っているのは、そんな女の子なんだろう。きっと彼は、今の生活がとても幸せなんだろう。その空間に自分がいないことに、ほんの少しだけ泣きそうになる。この間谷原と仲直りしたのだとうれしそうに話す宮村くん。そっか、谷原も、足を踏みだしたんだな。進藤も、宮村くんも、谷原も、みんなで果てしなく広い宇宙のすみで三角座りしていたのに、周りはもう立ち上がって前に進みはじめている。座り込んだまま動けていないのはわたしだけなんだ。そう気づくとうんと寂しくなって、涙を堪えるために下唇を噛むと、思い出したように宮村くんが口を開いた。

「そういえば、ピアス持ってきてるの?」

「ううん、持ってきてないよ」

「え、やばいよそれ。穴塞がっちゃうよ」

「……じゃあ、宮村くんのピアスちょうだい」

「え、おれの?」

「うん。使わなくなったやつでいいからさ」

どこしまったっけなあ、と宮村くんは机の引き出しをまさぐりだす。ごめんね、宮村くん。ピアス忘れたっていうの、ほんとうは嘘なんだ。わたしが、宮村くんがつけていたものを欲しいだけなんだ。宮村くんが、わたしのことを忘れてしまわないように、わたしにくれたピアスのことを思い出すたびに芋づる式のようにわたしのことも思い出すように、わたしのことをずっと覚えていてくれるように。ああ、やっぱりわたしはまだ、引きずって動けないままの弱虫だ。
てのひらに忍ばせてあった新品のピアスを、わたしはぎゅうっとにぎりしめた。


そうしてやっぱり君に落ちる


20121012/宮村伊澄
ポロネーズ午後五時 に提出

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