泣く子も黙るテスト期間の到来。ときどきわたしはテストっていう存在は怪獣と同じくらい怖いものなんじゃないかって思う。いつもはどの授業も話を聞かずノートもとらず、机にこんにちはしてぐーすか寝ているあの西野空くんまで、「喜多ぁ〜ノート貸して〜」 と(セリフだけだとそうは見えないけど)必死になるこの恐ろしい期間の2日目の放課後、わたしは隼総くんと机をはさんで向かいあっていた。わたしの座っているところは、ちょうど橙の光が廊下側の窓から差し込んで どんぴしゃで顔面に当たる。それは強い光線をおもいっきり当てられたみたいにまぶしい。目を細めていると、隼総くんは形のいい紫色のくちびるに隙間をつくる。
「……喜多と仲良くなる方法、ねえ。そんなん考えなくたってお前ら充分仲良いだろ」
「それは、わたしと喜多くんがマネージャーと部員っていう関係だからだもん…」
「普通の会話とかしねぇのかよ」
「会話の3分の2.5が業務連絡です」
「俺は残りの0.5にどんな話題が出てくるのかが謎だよ」
下がっていくわたしの頭の上から隼総くんがふうと小さいため息をもらす。テスト期間なのにそんなくだらない話題で引き留めるなよって気持ちがいっぱいに含まれているのが伝わってきた。わたしだってテスト期間は壊滅的にやばい英語をみっちり勉強したいさ。だけど勉強してたら喜多くんのことばっかり頭に浮かんできて集中できなくなるんだよ。それで自分が無性に恥ずかしくなって自己嫌悪してたらいつのまにかものすごく時間がたってて……をエンドレス。これだとまた次のテストもひどい点数を取るのが目に見えてる。
重たい気持ちが具現化されたように、ずしりと頭と肩にかかる重量感。わたしの黒髪とはちがうキューティクルのきれいな金色の髪がさらりと肩からこぼれおちる。わたしにこんなことをしてくるのも、こんなきれいな色のうらやましい髪を持つのもうちの学校ではひとりしかいない。
「な〜に〜? また喜多のこと相談してんのぉ?」
「よお西野空。掃除終わったのか」
「やっほー隼総。うん、だから迎えに来たんだあ」
「……西野空くん重いよ」
ごめんごめん、なんて退く気もないのに謝る西野空くんに慣れを覚えた自分はそろそろ危険だと思う。「今度はなに悩んでんのさ」 「なんか喜多ともっと仲良くなりたいんだと」ふうんとつぶやき、わたしの黒い髪を器用に三つ編みしながら 西野空くんはわたしにとんでもない爆弾を落とした。
「今日サッカー部メンツでミスドで勉強するからさあ、きみも一緒に来たらいいじゃん」
「……へ、」
「あーそれいいな。喜多英語すげぇできるし」
「それに教えるのうまいしねぇ」
「いやいやいやちょっ待っ」
「そうと決まれば、ねえねえ喜多ぁ」
わたしの髪で結った三つ編みを上下に揺らしながら、西野空くんは自分の机でかばんの整理をしている彼に声をかけた。「どうした?」と顔をあげた喜多くんは、数学の教科書を両手で抱えていた。大方数学の苦手な西野空くんに手とり足とり教えるために持って帰るんだろう。
「なんかこいつがお前に英語教わりたいんだとよ。今日のミスドついてきてもいいだろ?」
「うえっ、ちょっ隼総くん?!」
「俺は全然構わないが……女子ひとりだといたたまれないんじゃないか?」
「マネジだから部員との交流も大事にしたいんだってさぁ〜」
「そうか…。みんなにも伝えておけよ」
「おう、了解」
了解、じゃないんですけど隼総くん。わたしまだ行くなんて一言も言ってないんですけど。喜多くんは「じゃあ校門にいるからなるべく早くしろよ」と言いながら教室をすり抜けていってしまった。ちょっと待ってよ、これもうわたしがサッカー部のみんなとミスド行くのと喜多くんから英語教わることが確定になっちゃってるじゃん。わたしの英語の出来なさを喜多くんにさらすはめになっちゃうんだよ? わたしほんと引かれるレベルで英語出来ないんだよ? 目の前でにやにやしている隼総くんと早くきみも準備しなよぉと三つ編みをよいんよいんと揺らす西野空くんをこれほど腹立たしく思ったことはない。私終了のお知らせ。
☆ ☆ ☆
「……うわぁ」
「これは……」
ひどいな、と声を揃えていう二人の視線の先には、わたしの抹消したい記憶ランキングでも大分上位に食いこむ英語の小テストの紙。喜多くんは複雑そうな顔でわたしと忌々しいプリントを交互に見る。そ、そんなに見ないでください。主にテストのほう。恥ずかしい気持ちがお腹をぐるぐる巡って、もう今すぐこの場から逃げたい。全速力で逃げたい。けどわたしを間に置いて両隣に座っている隼総くんと西野空くんのせいでそれは叶わない。真正面にいる喜多くんはわたしの顔を見るのに飽きたのか散々な小テストを食い入るように見つめている。
「これは相当やばいな」
「きみって英語ここまでひどかったんだね」
「今回範囲すげえ広いだろ確か」
「ちょっと赤点は免れないかなあ」
「むしろ学年最低点とるんじゃね」
散々な言われようだ。わたしだって英語のできなさは理解しているんだ。なのにわざわざ追い討ちをかけるみたいに、しかも喜多くんの目の前で言わないでほしい。じわあ、と視界がにじんでくるのを感じた。これじゃあ喜多くんと仲良くなるどころか、むしろわたしが頭悪いってことがわかって印象が悪くなるだけじゃない。もう泣きたい。目のふちの雫が留まることに限界を迎えようとしたとき、「……いや、」ずっと黙っていた喜多くんが口を開いた。
「いま解答を見ていたんだが、ほとんど単語の綴りが間違っているだけだ。文法はできてるぞ」
「……え、」
「たとえばここ。この単語のaがeになってるだけだ」
「ほ、ほんとだ」
「文法はちゃんと頭に入ってる。あとは単語を間違えずに書くだけだからそんなに難しくはないだろう。大丈夫だ」
「へぇ。よかったじゃん」
「………」
「わ、なに泣いてんだよお前」
「だ、だってさぁ……」
ずっと英語だけできなくって、頑張ったってぜんぜん成績あがんないしもう無理だから半ば諦めかけてた。でもちがうんだ。単語を間違えずに覚えればいいだけなんだ。すごく救われた気持ちになる。
「とりあえずひとつの単語を最低でも十回は書くようにしたら絶対頭に入るだろう。頑張れよ」
「うん、ありがとう喜多くん」
とりあえず、甘いものを食べて本気だしてがんばろう。ぬれたほっぺたをこすり、食べかけのドーナツに手をのばす。一口食べようと口をひらくと、なぜかドーナツを持っているてのひらが 右からやってきた両手につつまれる。は、と息をもらしたと同時に、ぱくりと大きく口をあけてそれにかみつかれる。間から見える八重歯と、さらりと流れてくる金髪。西野空くんがわたしの食べかけドーナツを横から食べたことに気づいたのは、彼が口を離しそれを咀嚼し終えたときだった。
「わ、わたしのポンデリング……!」
「ごちそうさま〜」
「西野空くんひどい! なんで食べるの!」
「だって甘いものほしかったしぃ」
「まだ自分のいっぱい残ってるじゃん!」
「いいじゃんべつに〜」
よくないよ。ぜんっぜんよくないよ!せっかくいまから頑張ろうって気になってたのに、西野空くんの横どりですっかり気持ちがしぼんでしまった。西野空くんめ……食べものの恨みは海よりもずっと深いって言われているのに。今度西野空くんのお弁当から卵やきくすねてやる。悲しみに暮れながらドーナツを食べようとすると、目の前にわたしの持っているそれよりもぜんぜん食べられていないポンデリングが差し出される。後を追いながら顔をあげると、眉を八の字にさげた喜多くんがわたしを見ていた。
「悪かったな。西野空が……。食べかけだけど、これで許してやってくれないか」
「そ、そんな! 喜多くんが悪いんじゃないんだからいいよ!」
「そうだよぉ。だいたいドーナツへのガードが緩いのが悪いんだしぃ」
「それはわたしじゃなくて西野空くんが悪いんだから反省して!」
「いいんだ。それにそんなに甘いものを食べたい気分じゃないし。せっかくだからもらってやってくれ」
「……そういうなら、ありがとう」
わたしの言葉を聞いた喜多くんはにこりと笑いながら「かまわないさ」と言った。彼からポンデリングを受け取って、食べようと口をひらいたときに気がつく。これって間接ちゅーなんじゃない? と。誰とって? もちろん喜多くんとだ。それを思うと意識がそっちばっかりに向かってしまって、恥ずかしくってポンデリングに飛びつけない。喜多くんは不思議そうな顔でわたしを見ている。た、たべなきゃ。でもでもでもそれじゃあ間接ちゅーすることになっちゃう。
「早く食べろよ。なんなら俺がもらうぞ」
「だ、だめ!!」
自分はともかく、喜多くんと隼総くんの間接ちゅーを目の前で拝むなんて残念すぎる。隼総くんに飛びつかれないようにドーナツを持ち上げると、じゃあ早く食べなよぉ、と催促が右からやってくる。だから心の準備が! まだなんだってば!!
「……仲いいんだな。ふたりと」
ばちりと、喜多くんと目があった。隼総くんと西野空くんも突然の喜多くんの言葉に驚いたのか、目をぱちくりさせながら彼をみる。するとぽかんとした顔の西野空くんが、だんだん口にあやしい三日月をつくりだした。はっはーん、彼はいたずらっこの口調でそうつぶやく。
「さては喜多ぁ、嫉妬したんでしょ」
「、は?」
「さっきも僕と彼女が間接ちゅーしてるのがいやだったんだぁ」
「ああ。だから自分の食べかけドーナツ渡したんだな」
やるね〜と喜多くんの肩をこつくようにひじを押しつける西野空くんに思考がショートしかける。ええと、それってつまりそれは
「…きた、くん?」
りんごもうらやましがるくらい顔をまっかにさせた喜多くんに、わたしは期待してしまってもいいんだろうか。
とりあえず隣にいてよ
喜多一番/20111128
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