名前変換


もう着古してしまったそれをやんわりと畳んでゆく。三年も着てよれよれになってしまったスカート。くったりとしているブレザー。服屋の店員がするようにていねいに折りたたんでいると、なぜか懐かしいきもちになった。ほんの2日前までこれを着て通学していたのが嘘みたい。我ながらきちんと折られた制服に感動していると、頭の上から聞きなれた声が降ってくる。

「なまえ」

「あ、秀」

いつのまに来たのと問うたわたしに、秀はついさっき、なまえが制服畳みだしてから、と笑って返した。丸い瞳をやさしく細めて、「なんか懐かしいよな」と言った秀は、きっと先ほどのわたしと同じ目をしている。

「2日前まではこれ着て片桐通ってたんだよ、わたし」

「いいなー女子は、制服持っとけて」

「え、秀制服どうかしたの?」

「片桐行くもとの友だちに泣く泣くあげた」

そっかあ、じゃあもう秀は制服持ってないんだねと言うと、彼はまあでも、セーターとかはあるんだけどねと両手を頭の後ろにまわしたまま言う。そんな秀から制服に視線を戻すと、片桐で過ごした3年間がふつふつと頭に浮かんできた。1年生になったはじめの頃、移動教室の帰りに迷っていたわたしを同じクラスの秀が教室まで連れていってくれて、そのときに絶え間なくわたしを笑わせてくれた秀を好きになって、告白して、つきあって、でもささいな喧嘩で別れて。別れてからわたしも秀も別の子と一時期つきあったけど、わたしはやっぱり秀がいいんだって実感させられただけだった。それは秀も同じだったみたいで、2年の秋のはじめに、今度は秀から告白されて、それから今までずっとこの関係を続けている。

「……うわあ」

「え、なに急にそんな渋い顔して」

「今、秀とのあれこれを思いだしてたらさ、結構壮大だったなあ、と」

「……あー」

いつのまにかわたしの隣に座りこんでいた秀はたしかになあ、といいながら苦い顔で頬をかいた。「今まで黙ってたんだけどさ、俺、なまえがあいつとつきあってたとき、めちゃくちゃあいつに嫉妬してた」「……へ、」思わず間の抜けた声がでて、右をむくと、そこにはりんごも妬いてしまいそうなくらい真っ赤な顔の秀がいた。嫉妬のしの字も知らなさそうな秀がまさか、嫉妬してくれていたなんて。湧き上がる特有のうれしさに、おもわず頬が持ちあがっていくのがわかる。

「……へへ」

「え、なにさなまえその笑い」

「や、うれしいなあって」

そう言ったら秀は「止めてよもー……」と火照りが治まっていない顔を左手で隠してわたしに背を向けた。そんなふうに後ろを向いたって、耳まで真っ赤だよ、秀。くすくすと抑えられない笑い声をこぼすと、秀はわたしのほうを見ずに「なまえのばか」とぼやく。

「でもね、わたしもちょっとだけ妬いてたよ。秀とつきあってた子に」

えという母音とともに秀の肩が揺れた。あ、確かに、これは、相当恥ずかしい、な。顔をりんごにさせていた秀の気持ちがすごくよく分かった。だんだんと自分の頬が染まっていくのが理解できて、なんとか冷まそうと両手で輪郭を覆っていると、とつぜん秀がものすごい勢いで、例えるならバドミントンが上手な子がスマッシュを打ったときにラケットからでる風を切るような音を連れて、体をわたしに向けて捻らせた。ばちりと目があった秀の顔は、やっぱりまっかなままで。

「あ、あのさ!」

「うん」

「なまえと俺って同じ大学だよね?!」

「そ、そうだけど?」

「……え、と。俺、いちおう家出て一人暮らしするんだけど、さ」

「おお、すごいね」

「……なまえも知ってると思うけど、俺家事全然だめで、けどなまえは料理とか掃除とか上手いじゃん?」

「う……うん、まあ」

「だ、だからさー……。えと、その、」

急に大声をあげて話を切りだした秀は、だんだんと勢いをなくし、目をせわしなくきょろきょろと泳がせた。その顔には緊張とか、焦りとか、恥ずかしさとか、そういったものがふんだんに表れている。今にも回転しだしそうな瞳が、ついに左斜め下で定まった。

「………秀?」

「い、一緒に住んだり、してくれないかなぁー、とか……」

思ってん、だけど……。語尾と一緒に頭を下げていく秀を見て、いきなりのことに対する戸惑いとか、名前がつけられない不安とかいろんな感情がないまぜになったけれど、やっぱりいちばんに思ったのは、うれしい。秀はもしかしたらわたしが嫌がるんじゃないかってひるんでいるみたいだけど、そんな質問、答えは決まってるじゃない。

「わたしなんかでよければ、お願いします」

ぺこりと頭を下げたわたしを見て、秀が肩の力を抜く。「はーよかったぁ……」「秀、テンパりすぎだよ」完全に脱力しきった彼に声をかけると、秀は個性的なグリーンの髪をくしゃくしゃと握りながら言った。

「ちょっとは慣れないとなー……これじゃあなまえの親にちゃんと挨拶できそうにないし」

「………え、なにそれどういう」

「……結婚しようよ。まだまだ先だけどさ」

わたしの小さい頭で彼の言いたいことに追いつくのはけっこう難しいけど、とにかく言えるのは、やっぱりわたしは秀が大好きで、秀はわたしが大好きなんだってこと。秀の放った言葉はわたしの脳みそにがっちりと掴まれて、もうきっと一生離されることはないだろう。みょうじなまえから井浦なまえになる日も、そう遠くはなさそうだ。


::何にでもなれる

井浦秀/20111015


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -