冬の名残がまだちょっとあるからだろうか、春の朝はすこし日が出るのが遅い。だけどまだお日様が寝ぼけてきちんと仕事をしてない空は、辺りを見回せないほど暗くはない。ぼんやりと霞がかかったような灰色で、そびえ立つ建物の位置や、誰がどんな動作をしているのかとかはなんとなく理解できる。
烏野高校の門をくぐり、砂を踏む感触を鮮明に足の裏に受けとめながら歩を進めていると、わたしの数メートル先を歩く人を見つけた。やわらかそうなんだけど、一束だけぴょこんと上を向いている髪の毛をもつ人。彼だ。間違いない。足が思わず駆けだしていた。
「スガせんぱーい!」
わたしたち烏野高校男子バレー部の練習場である第二体育館に向かう、ちょっとだけ曲がった背中に声をかけて全速力で近づく。背中の主のスガ先輩はゆっくりこっちを向いて、「みょうじ、おはよ」と笑いかけてくれた。足を止めてわたしが近づくのを待ってくれている。いつも思うけど、スガ先輩は本当に優しい。
「おはようございます。今日は早いですね」
「早く目が覚めちゃってな」
「あ、そういうときありますよね」
「みょうじはいつも早いよな。毎日何時起きなの?」「うち烏野から近いんでそんなに早くないですよ。いつも五時半とか、そのくらいです」
「五時半も充分早いと思うけどなあ……」
はは、と軽く笑ったスガ先輩は、すぐにまじめな顔になって「……西谷の調子、どう?」と尋ねてきた。良い返事ができない質問だった。下唇をかんでうつむく。同じクラスの西谷は、烏野高校男子バレー部のだいじな選手のひとりだ。一ヶ月前、ちょっとしたいざこざが起きていまは部活動参加禁止をくらっているけど、もう少しで謹慎はとけて、また西谷は部活に参加することができる。また西谷のあの静かだけど力強いプレイを見ることができる。だけど、
「やっぱり、旭さんがいないうちは戻ってくる気はないみたいです。旭さんがいないとダメだ、って聞かなくて」
「…………そっか」
「すみません、頑張って毎日田中と説得してはいるんですけど……」
「なんで謝るの。みょうじは悪くないよ」
ぽすん、と頭の上に手のひらが乗せられた。大きくてあたたかい手。顔を上げると、優しく微笑むスガ先輩の顔があった。まるい瞳と目が合う。視線が絡むとスガ先輩はさらにわたしの頭をあやすように数回ぽんぽんと叩いて言葉を続ける。
「西谷のこと、任せっきりでごめんな。俺も旭の説得頑張るから」
だからよろしくな、って付け足されて、スガ先輩の手のひらは離れていった。まだぬくもりが残る頭のてっぺんに触れてみる。じんわりとあたたかい。思わず変な声をあげて笑ってしまった。
「……ひひ」
「えっ、なに笑ってんの」
「へへ、内緒です」
「なんだそりゃ」
スガ先輩は知らないんだ。先輩の暖かさにみんなやわたしがどれだけ救われるか、先輩の言葉にわたしがどれだけ励まされているか。ほんとはスガ先輩もノヤや旭さんがいなくなって苦しくて仕方ないのに、無理して笑って頑張るって言ってくれるのがうれしいけど、同じくらい悔しい。
「スガ先輩、大好きです」
「うん、知ってる」
わたしが出来ることなんて限られているのかもしれないけど、今日もみんなのために、たくさん頑張らないとなあ。そう思いながら、第二体育館に向けてまた一歩踏み出した。
(20130107)