惑星がきえる瞬間も隣にいてあげようか | ナノ

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「1年の神童くん、至急職員室に来てください」

繰り返します、という抑揚のない放送を聞き終える前にお箸を動かす手が止まった。給食のかぼちゃの煮物はお箸につかまり損ねてぼとんと音を立てながらあるべき場所に戻っていった。向かい側に座っているちかちゃんが、「なまえ?」と硬直するわたしに向かって首を傾げた。

「な、なんでもない」

苦し紛れにそう言って、さっき落としてしまったかぼちゃに再びお箸を伸ばす。だけどわたしの心はさっきの放送で完全に動揺しきっていた。……いまの呼び出されてた男の子って、神童くん、だよね。わたしの聞き間違いじゃなかったら。それにうちの学校で神童なんて大それた名字を持っているのは彼しかいない。
神童拓人くんは、雷門中サッカー部の期待の新人だ。1年生という若さで天才ゲームメイカーとして活躍し、「神のタクト」の称号を持っている。神童財閥の立派な御曹子で、つまるところ、言葉では収まりきらないくらいとんでもなくすごい人なのだ。そんな神童くんとわたしは、わたしの幼なじみでサッカー部所属の太一を通じて仲よくなり、わたしは彼を好きになった。いわゆる片思いなうということ。好きな人が無条件にかっこよく見えるフィルターをとっぱらっても、神童くんは問題児なんかじゃ決してない。
そんな完璧な神童くんがお呼びだしをくらった。しかも名指し。一体何があったんだろうかと不安になる。粗相をしてる神童くんがちっとも想像できなくて、それがさらに不安を増大させる。どうかへんな話じゃありませんように。放課後、部活が始まるまで、わたしはずっと悶々としていた。




今日の練習は広い校舎の周りをひたすら走るというもので、しんどいと思う反面とてもありがたかった。校舎内をまわるときは、雷門中サッカー部が練習しているグラウンドのそばも自然と通ることになる。神童くんの調子を確認することができるのだ。女子陸上部で固まって校舎内を駆ける。一周目でグラウンドの横を通りかかったとき、練習しているみんなに目を向けて眺めると、すぐに様子がおかしいことに気づく。連携ができてない。いつもならボールを奪えるはずの車田くんが技を失敗したり、南沢くんがシュートを大きくはずして頭を抱えている。走りながらもそっちに意識を集中させてみると、不調の原因がつかめた。
神童くんだ。神童くんのゲームメイクがみんなの動きにかみ合っておらず、全体的にぎこちないプレイになってしまっていた。神童くんも苦々しい顔をして指示を出している。彼は賢いから、自分のせいでうまくいってないことがきっとわかっているんだろう。声をかけてあげたいけど、部活中だからそれもむずかしい。わたしは下唇を噛んだ。




「よし、一旦休憩しよっか」

何周か走りまわってから先輩が休憩を告げたのは、幸運にもグラウンドのそばだった。休憩はからだを休めるのが目的なのに、お構いなしにわたしはグラウンドまで走った。

「あ、みょうじだド」

「ようみょうじ」

「天城くん南沢くん、やっほう」

「なまえ、どうした?」

「太一、あーうん、ちょっと用事!」

「どうせ神童だろ」

「え、南沢くんなにか言った?」

「いーや、なんにも」

ベンチに座ってドリンクを持った太一たちがわたしを見上げて次々と声をかけてくる。サッカー部も丁度休憩に入ったらしい。太一を通じてサッカー部とそれなりに面識のあるわたしは、勝手に介入してきても咎められることはあまりない。遠慮せずにグラウンドへ降りると、わたしに気づいた後輩の霧野くんが困った顔をしてわたしに駆け寄ってきた。

「みょうじ先輩、こんにちは」

「お疲れ様霧野くん、ねえ、神童くんとちょっと話してもいいかな」

そう言うと霧野くんは眉を下げて「そうしてやってもらえませんか」とみんなの輪から外れて座り込んでいる神童くんを一瞥した。顔はきれいなウェーブに隠れて見えないけど、きっと暗いだろう。

「朝から調子はよくなかったんですけど、昼休み、呼び出しくらってからはずっとあんな感じで……なにがあったのか俺にも話してくれないんです。先輩、ちょっと聞いてくれませんか?」

「そうなんだ……でも、霧野くんでさえ聞けなかったのに、わたしなんかに話してくれるかな」

やっぱり、あの放送が原因だったんだ。なにがあったんだろう。霧野くんが話を聞くようにわたしに頼んできたけど、霧野くんは神童くんの大事な親友で、そんな彼にも話せない悩みをわたしみたいなただの先輩なんかに簡単に話してくれるだろうか? だけどわたしの言葉を聞いた霧野くんは、さっきの心配そうな顔とは打って変わってにやりと笑った。意地の悪い顔でも整った顔の子がやるときれいに見える不思議。

「先輩なら、大丈夫ですよ」

どこからそんな自信が湧いてくるんだろう……と不思議に思いながらも、やっぱり神童くんが心配だからわたしは彼のもとへ足を運んだ。

「神童くん」

「……みょうじ先輩」

わたしが声をかけると、彼はゆっくりと顔を持ち上げた。予想通り顔は暗く、瞳はいまにもやぶれそうな涙の膜が張ってある。隣、いいかなと言うと、こくりと小さく首を動かした。隣に腰をおろすと、神童くんはまた顔を伏せる。霧野くん、ほ、ほんとに大丈夫なの?

「……神童くん、なにかあった?」

「…………」

「神童くんが言いたくないなら言わなくていいよ。だけど、もし誰かに話したいのに遠慮とかして言えないんなら、……気にせずに話してほしい」

神童くんは黙ったままだ。表情も見えない。もしかして無理強いしちゃってるのかなあ。これ以上声をかけるのは憚られて、わたしもつられてだんまりになった。お互いに口を閉ざしたせいで、気まずい沈黙が流れる。やだなあ、わたし、神童くんの力になりたかっただけで、困らせたいわけじゃないのに。情けない。彼に謝ってこの場から立ち去ろうとしたとき、となりからか細い声がした。

「……進路希望調査、やったんです」

「へ」

進路希望調査、たしかに1年生のこの時期に書かされたような気がする。つい最近ランドセルを卒業したばかりの人間にこんなこと聞いてどうするの、ってみんなで愚痴っていたのを思いだした。

「神童くんはなんて書いたの? やっぱり財閥を継ぐの?」

「……サッカー選手、って書いたんです」

「サッカー、選手」

「それで昨日父さんともめたんです。父さんたちが反対するのは仕方ないんでしょうけど、サッカー選手どうこうっていうより、とにかく跡を継いで欲しいみたいで……学校でも先生にいろいろ言われて。財閥を継がなきゃいけないのは分かってるんです。けど、やっぱりあきらめきれなくて」

俺、間違ってるんでしょうか。先輩も、やっぱりおかしいと思いますかって頼りない問いかけが降ってくる。上手に言葉にできるかわからない。神童くんのお父さんの気持ちだって理解できるけど、神童くんの気持ちも痛いほどわかる。御曹子って、いいことばかりじゃないんだ。家を継ぐって将来だけ勝手に決めつけられて、反抗したくてももがくことすら許されない。だったら、せめて

「……いいんじゃないかな」

「えっ、」

「だってわたしたちまだまだ義務教育だって終わってない子どもだよ? ずっと先の将来のことなんていまは考えなくたっていいよ。いま神童くんはサッカー選手に将来なりたいからそう書いたんでしょう、自分の気持ちに素直でいいじゃない。こうならなきゃいけないって決まってたとしても、未来は何があるか分からないよ。他人からしたら無謀なのかもしれないけど、叶えたい夢に思いを馳せてもまだ全然かまわないと思う。……って、神童くんの事情も知らないのに無責任、かな。ごめんね」

彼が今だけはその存在に縛られてしまわないように、そう思いながらわたしは言った。だけど彼をしがらみから解放してあげたいといくら思っても結局わたしは彼にとってはただの他人で、なにも知らない人間に好き勝手言われるのはいやかもしれない。神童くんのほうを伺うと、いつの間にか顔を上げていた彼は首を横に振った。そしてしばらく黙ったあと、「……そう、ですね」とつぶやく。

「今は反対されていても、いつか説得してみせます。やっぱり俺は、サッカーが好きだから、俺のやりたいこと、ちゃんと分かって貰いたいから」

「……うん、頑張れ」

神童くんのチョコレート色の目は凛と澄んでいて、元気になってくれたみたいだと安心する。応援の言葉を贈ると、彼はふにゃりと破顔した。その顔がたまらなく愛しかったから、思わず腕を伸ばして彼の頭をなでた。いいところのシャンプーをつかっているんだろうきれいで細い髪が、わたしの指に絡まってくすぐったい。神童くんは一瞬驚いて目を瞬かせ、すぐに頬をまっかに染めた。他人に触れられるのに慣れてないんだろうな。

「神童くんなら、もしかしたらサッカー選手件財閥の会長になれたりしちゃうかもね」

「ええ……そうですか?」

「うん、神童くんならできそう」

「俺そんなに超人じゃないですよ……」

「なに言ってるの、神童くんすごいじゃん。神童くんの奥さんになれる人はきっと幸せだろうなあ」

神童くんの髪に指を絡めながら思う。うん、だって、神童くんみたいな素敵な人に愛される子って本当に幸せ者だよ。それがわたしだったらいいのになあなんてわがままは言わない。神童くんが笑いたいときに、幸せだと感じているときに隣にいるのはわたしじゃない別の人でもかまわない。だけど、もし神童くんが泣きたいとき、くじけてしまいそうなときに隣にいて話を聞いてあげるのは、わたしであったらいい。わたしだけであったらいい。わたしは神童くんの支えになりたいから。

「……じゃあ、立候補してくれませんか」

「……え」

今度はわたしの顔が熱くなる番だった。


惑星がきえる瞬間も
隣にいてあげようか



神童拓人/20121027
ピーターパン1周年ありがとう


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